第三話/後 蚤の市

「このに見覚えは――。そうですか。では暴行事件について――」

 アチキとイッサが勝負用の欲しい物を選んでいる間、ハドはヂーコスチに関する訊き込みを再開していた。勝負を受けたことで少年が静かになったからだ。その少年は急かすようにアチキとイッサの間を行ったり来たりして、傍に張りついている。

「――ところでこのカフスボタンの台座の交換品はなんでしょうか?」

 勝負に夢中の少年とは違い、ハドは訊き込みの上に自分の買い物までしていた。

(抜かりがないなー)

 と、向かいの露店から様子を見ていたイッサは思った。

 さて、斜め下から刺さってくる少年の視線が痛いので、露店に視線を戻そう。

 目の前の出展は武器工房のものらしい。新作だろうか。使われた様子のない剣が並べられている。長さや形状は様々だが、風合いが似ている。

 剣士を目指す者ならば少なからず心惹かれるところがあるものだろう。

 イッサもかっこいいな、とは思う。けれど手に持って戦うことを想像すると、違うな、と思うのだ。

(シャオさんとかハドさんが持って戦ってたら絶対かっこいいんだけどな)

 こうしていると戦闘員になりたいわけではないとはっきりしてくる。イッサも男であるから、強くなりたいという思いはある。しかしシャオ・エンティが戦闘員でも、ガーディでなくても、憧れを抱いただろう。

 では彼のどこに憧れたのか。増々もってわからない。

 頭の痛くなる思いに、イッサは一旦考えるのを止めた。

 とりあえず今わかっているのは、剣は欲しい物ではないということだ。

 イッサが移動すると少年も付いて移動する。

 ふと、イッサは少年に尋ねてみた。

「君、ハドさんとの勝負にこだわってるけど、憧れだから超えたいとか、そういうこと?」

「僕――じゃなくて、俺が憧れてるのは兄さんだ。ハド・ペルセポネじゃない」

「お兄さん?」

「ふふん。聞いて驚け。ぼ……俺の兄さんはオールメーラの英雄、ブライト・シールズだ」

「ああ!」

 イッサは少年の風体に既視感を覚えていた。ブロンドの髪と虹彩。騎士のような鎧に、丈の長い外套。そして大きな金属製の盾。それら全ては武闘大会で名をせたブライト・シールズその徒と重なるものだったのだ。

 得心がいって上がったイッサの声に、少年は不満を示す。

「なんか驚いた反応じゃないな」

「そ、そんなことないよ。驚いた」

 ブライト・シールズというと、イッサが入学して間もない頃、すでにオールメーラの有名生徒だった。武闘大会上位の常連で、「ヘケルを除けば最強」とうたわれていた。その実力は誰もが認めるところでありながら、ついぞ彼はヘケルに敵わなかったのだ。

 ヘケルにヘケルをもたない者が敵わないのは当時あたりまえのことだったのだが。

 噂によると、彼は周囲から「あいつはヘケルに勝って優勝するまで、オールメーラに居座る」と言われていたらしい。事実、彼は在籍可能年齢ぎりぎりになるまで、卒業しなかった。

 彼が卒業しなかった要因はヘケルだけではない。〈無敗の女王〉ことハドの存在だ。

 ヘケルにあらずしてヘケルを上回る者。

 自らがそうなろうとしていたブライトからすれば、ハドはヘケル以上に倒したい存在だったのではないだろうか。

 しかし彼女は〈の女王〉。ブライトは彼女に勝利することができなかった。

「もしかして、お兄さんの代わりにハドさんに勝とうとしてるの?」

「違う、代わりにじゃない。兄さんが勝てなかったハド・ペルセポネに勝って、兄さんを超えるんだ」

 あ、そういうやつか。

「回りくどくない? お兄さんに直接勝負を挑んだらいいのに」

「直接やっても勝てないからハド・ペルセポネに挑んでるんだ」

(え、えぇ~?)

 イッサは呆れと困惑の表情を浮かべる。

(単純に考えて、ハドさんに勝つ方が難しいと思うんだけど)

 しかし。

 思い至る。自分にとってシャオ・エンティやハドがそうであるように、少年にとっては兄が誰よりも大きな存在なのではないか、と。

 イッサはやさしい声音で「そっか」と返した。

「それよりあんた、早くなににするか決めてくれよ」

「あ、ごめんごめん」

 結局イッサは夕方までかかって勝負用の品を決めた。

 アチキは一足先に決めていて、イッサの決定を聞くと、少年は縄が切れた犬の如く、走って交換品を探しに行ってしまった。

「ハドは探しに行かなくていいの?」

「問題ありません。それより本部でヂーコスチと暴行事件の捜査資料を見せてもらいましょう」

 ハドはオールメーラ兼ガーディ本部へ歩を進める。

(問題ないって、もしかして勝負は捨ててる?)

 イッサが心配していると、なにか思い出したというようにハドが振り返った。

「本部へ行ったらシャオを紹介します。会えるかはわかりませんが」

「そういえば訊きそびれてた。シャオ・エンティとどういう関係なの?」

 アチキの質問にハドは表情を変えずに答える。

「シャオは自分の兄弟子です」

「へぇ、兄弟子……そもそもハドって師匠なんていたんだ」

 アチキではないが、イッサも同じように思った。ハドほど腕が立つ者なら師がいるのは自然なことなのに、ハドは産まれたときから強くて、そんな彼女に物を教えられる者はいないように感じていたのだ。

 ハドにも修行時代があったのだと思うと、イッサは胸の内でなにかが軽くなったような気がした。

 ハドは機会があれば師のことも紹介すると言った。

「師匠はとても素敵な毛並みなんです」

(毛並み……?)

 ハドの言葉は、ハドとシャオ・エンティの師匠は動物なのか? という疑念をふたりに抱かせたのだった。


     3


 捜査資料を見せてもらうことはできたが、シャオ・エンティは警備に出ているとのことで、会うことはできなかった。

 この日は一緒に夕食を摂って別れたが、ハドが少年との勝負のために動いている様子は見受けられなかった。

 そして翌日。

 アチキとイッサは勝負の行方を見守るため、それぞれが選んだ物の出展の傍で待機していた。

 蚤の市が開場して十分が経ったかという頃。早くも勝負に動きがあった。

 イッサが待機している露店にシールズ少年がやってきたのだ。

 駆けてきた少年は露店の前で急停止し、出展者に紙袋を突き出した。

「じょうろの交換品。ガスパロ・ベーカリーの焼きたてスコーン」

 肩で息をしている少年から出展者の女性はゆったりした動作でそれを受け取ると、じょうろを渡した。

 それはイッサが選んだじょうろだった。

 これで少年が一歩リードしたことになる。どころか彼の敗北はなくなった。

 つまりハドの勝利もなくなったことになる。

「ほら、あんたの言ってたじょうろだぞ」

 弾んだ調子で少年はイッサにじょうろを差し出した。

「あ、うん」

 少しぼぅっとしていた。自分のことではないのにショックだった。

 ハドの負ける姿をイッサは見たくない。ハドが「どうでもいい」と思っている勝負であっても。

 まだ負けたわけではないと、イッサは努めて明るく言った。

「アチキの方の指定品は手に入ったの?」

 アチキが選んだのは武器ホルダー用のベルトだ。交換に指定された物は『フェーナスリプル』という鉱石。「仄かに光るさざなみ」という意味で、波模様を浮かばせながら仄かに発光する。そのままで美しく、観賞用として人気のある石だ。

 イッサの質問に少年は少しむっとした様子で答える。

「……そっちはまだだ。〈永久鉱山〉まで行ったけどここ数ヶ月出てなくて、市場に出ている物を探すしかないって」

(昨日のうちに〈永久鉱山〉まで行ったのか。がんばるなー)

「だから今から探しに行くんだ。じゃあな」

 少年はそう言って行ってしまったが、蚤の市の間、開催地の店は出展のため休店していることが多い。イースト地区で調達するのは難しいだろう。

 今から入手するのが難しいのはハドも同じ。

 イッサはまた不安になったが、ひとまずアチキと合流することにした。

「えっ、あの子もう来たの」

「うん……」

「まあ、ハドは負けても剣で勝負するってだけの話だし、構わないんだろうけど……。ハドが負けるとこは見たくないなー」

 アチキもイッサと同じ気持ちのようだ。

「さっきの様子だと彼はしばらく来ないと思う。ハドさんは見た?」

「少し前に通ってった。けど、なんか関係ない物持ってたわよ」

「関係ない物? まさか自分の買い物優先してるのかな……」

 ハドは名声などには関心のない性格だ。昨日も訊き込みをしながら蚤の市を満喫している様子であったし、十分に考えられた。

(そこまで勝負に関心がないと思うと、あの子が可哀相になるな)

 それではまるで、少年は独り相撲をしているようだ。

(でも、ハドさんがそんな不誠実なことをするとも思えないんだよな)

 考えを巡らせていると、「アチキ、イッサ」と呼ぶ声がした。

 イッサが振り向くとなにやら瓶を持ったハドが立っていた。

「あ! ハドあんた、イッサのほう先越されてるわよ」

「そうですか」

 ハドに慌てた様子はまるでなかった。

「そうですかってあーた」

「ベルトは入手できるので、問題ありません」

 そう言うとハドは持っていた瓶を掲げた。

 瓶には青く仄かに発光している石――『フェーナスリプル』が入っていた。

「あ、それ!」

 声を上げたアチキにイッサが言う。

「さっき、関係ない物って言ってなかった?」

「さっきはこれじゃなかったんだって。――いつのまに手に入れたの?」

「今しがた他の露店で」

 ハドは昨日、蚤の市を回りながらどこでなにが出品されているのか覚えていた。アチキがベルトを選んだ時点で指定品の鉱石が出品されていることも知っていたのだ。

 イッサが品物を選んでいる間に鉱石と交換するための指定品を訊き、さらにそれを出品している露店へ行き――と、順序を組み立てた。始めの品は身近なところで手に入るように。アチキが見たのはこの過程の一つだったのだ。

 そうして見事、目的の品を入手した、というわけだ。

「これで引き分けですね」


「引き分けか……」

 鉱石を求めて走っていた少年は呼び戻され。無念と安堵の入り交じった表情を浮かべた。賭けた物が盾でなければただ悔しがっていただろう。

「〈無敗の女王〉と引き分けただけでも凄いと思いなさいよ」

「あくまで武闘で勝負して勝ちたかったんだ。これじゃ喜べない」

 勝者が出なかったため、剣での勝負も、盾の譲渡もなされない。

 少年はやるせなく俯いている。

 そこに手が差しだされた。

「握手、してもらえますか?」

 ハドの右手。

 互いに誠実に戦ったからこそ、交わされるもの。

 その意味を知っている少年は、ゆるんだ口元を噛んで、自身の右手を重ねた。

・シールズの活躍が耳に入ってくるのを待っています」

 少年は目を光でいっぱいにして、

「ああ!」

 込み上げた感情が凝縮されたような返事をした。

「すぐだからな。〈無敗の女王〉伝説がかすむくらいの活躍をしてやる!」

「はい」

 ハドは微笑みを浮かべていた。

 少年も笑顔を向けると握手を解き、走り出す。少しして「じゃあな」と手を振った。

 ハドとアチキとイッサ、三徒の視線が少年から外れると声が掛かった。振り向くと走って行った少年が立ち止まり、声を張っている。

「勝負してくれてありがとう! 貧――じゃなくて、触角と冴えない先輩も、付き合ってくれてありがとう!」

 それだけ言うと、少年はまた前を向いて走って行った。

「“冴えない先輩”だって」

「地味にショック受けてるんだからやめてよ」

 いじわる顔でからかうアチキに、イッサは苦笑して返した。

「そういえば、ハド。なんであの子の名前知ってたの? 訊いてなかったよね?」

「盾に刻印されていたので」

 実は初対面のときからハドは盾に刻まれた「ナイト・シールズ」の文字に気づいていたのだった。

「全然気づかなかったわ。よく見てんね」

「素晴らしい盾だったのでつい」

(そういう意味じゃないと思うけど)

「てことはあの盾欲しかったの?」

「いえ。大切な物を指定した方が都合がいいかと思ったので」

「え、どゆこと?」

「彼は負けても勝つまで勝負を挑んでくるでしょうし、手を抜いて勝たせても満足しないでしょう。自分としては「勝ち」も「負け」も都合が悪い。ので、確実に「引き分け」にしたうえで、すぐには再戦を挑まれないよう――大切な盾を要求しておけば「勝てなかった」悔しさより、「守れた」安堵がまさってしばらく再戦を挑む気にはならないだろうと」

 つまりハドの目的は始めから引き分けることだったのだ。

(それって……)

 ある意味、ハドの勝利ではないだろうか。


     4


 ナイトは夕闇に染まるセントラルの街をカシャカシャと鎧を鳴らしながら、軽快に小走りしている。

 ハドとの勝負の後、すぐにオールメーラへ戻ったナイトは単位修得に励まんと、クエストを受けていた。今はその帰りである。

 抱えた収得物に視線を落とすと笑みを零した。

 そして顔を上げた瞬間。

 路地から伸びる暗く大きな手が、ナイトをさらっていった。

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