第一話/後 リヴァイアサン=クリスタル

     2


 翌朝。

 二頭引きの馬車の上、一行はテイクアウトした朝食を摂りながら、セントラルを北上している。

「“ノース地区漁港占拠・フィッシュヘッド送還任務”」

 この日行うクエストの概容書をイッサが読み上げていく。

「“先日よりセントラル・ノース地区の漁港にフィッシュヘッドが押し寄せ、住民に襲いかかる被害が続出。住民の避難後、漁港は封鎖。対象区域内に居るフィッシュヘッドを生息域に返すことを任務とする。”」

「ふむふむ……フィッシュヘッドってなに?」

 サンドウィッチを手に、隣で聴いていたアチキが尋ねた。

「それも書いてある。“フィッシュヘッド――陸上でも活動可能な海洋生物。ヒューマンの子どもないし、細身のドワーフの頭部を魚にすげ替えたような外見。一匹であれば小物だが、非常に好戦的で、二十匹以上の群れで行動するため注意が必要。”……だって」

「要は魚頭の小人ってことね」

「まあ、その認識でいいんじゃないかな」

 サンドウィッチを頬張り、イッサは最後の一項を読み上げる。

「“ランクⅣ”」

「えっ、ランクⅤじゃないの?」

 これにはハドが答える。

「可能な限り高ランクをとのことでしたが、ランクⅤの受注にはランクⅣの修得実績が必要なので」

「そうだったの。あたしとイッサは最高でランクⅢだからなー」

(しかもそれ、失敗して単位もらえなかったやつ)

「ハドは作戦とか考えてあんの?」

「そうですね……フィッシュヘッドは他の動物をみると追いかけてくる習性があるので、ポイントまで誘導して来てください。ポイントに着く前に対処してもらっても構いませんが、後は自分が対処します」

 数十分後。

「ぅああぁぁぁあ!」

 叫び声を上げながらイッサは二十近いフィッシュヘッドを誘導――いや、それから逃げていた。

 はじめ一匹を見つけたときは余裕もあったのだが、誘導しているうちにどんどん数が増え、今や追いつかれないだけで必死である。というのも、海洋生物とは思えぬほど機敏な上、手に槍を持って襲いかかってくるのだ。イッサでなくとも逃げたくなる。

 そして、誘導地点まであと三分の二を切ったというとき。

 フィッシュヘッドの足跡だろうか。イッサはぬるっとしたものに足を取られた。

「――っ」

 致命的な転倒。

 後ろを振り返ったときにはフィッシュヘッドの群れがすでに跳びかかって来ていた。

「うそうそうそうそっ!?」

 咄嗟とっさに剣を抜いた。イッサとしてはこれだけでも上出来だ。剣術の教員に伝えたら赤飯あかめしを炊かれるに違いない。

 立ち上がる猶予もなく、仰向けの体勢で襲いくる槍をさばこうとする。

 矛先が剣の側面に衝突した。それをフィッシュヘッドごと横へ押し退ける。

 と、

 ガキィン

 金属の砕ける音がした。

 槍を受けた衝撃で、イッサの剣は真っ二つに折れていた。

「剣がーーっ」

 心も体勢も立ち直れぬまま、後方を振り向く。

 第二陣が襲い来ようとしていた。

「わあああああ――」

 この日何度目かの悲鳴を上げたそのとき――

 イッサとフィッシュヘッドの間へ光の弾丸が撃ち込まれた。

「なにしてんのよイッサー」

 振り仰げば、光線銃を手にしたアチキが悠々と、スプーンに乗り飛んでいた。

「アチキたすけて~」

 情けない声を上げたイッサの身体がふわりと浮き上がる。アチキの念力のためだ。

 そして、スプーンの上に下ろされた。

「ありがとアチキ、助かったよ」

「いいってことよ。このまま飛んでくかんね」

 フィッシュヘッドを寄せ付けず、かつ引き離さないよう移動を続ける。

 下後方を見ればアチキが誘導していたものも合わさり、五十に及ぶフィッシュヘッドがうじゃうじゃしている。

 自分ではどうにもできない光景に、イッサは声をもらした。

「ハドさん、どうする気かな……」


 誘導地点――空が開けた十字路で、少女は待ち構えていた。

 整えられた藍色の長髪から、かどのある耳が覗いている。

 左手にした金属製の籠手こて以外、防具らしい装備はなく。腰にメインの刀と、後ろにサブの小刀を二本いた、いつもの決まった装備をしていた。因みに籠手で重要なのはのため、外側は日によって替えることがある。今日は海辺の任務にも適したチタン製を着けていた。

「ハドーー」

 アチキの声に振り向き、少女――ハド・ペルセポネは路の先へ眼を向けた。

 細い路地をひしめき合い、魚頭の大群が向かって来ていた。

 ハドは腰の刀に手を添え、腰を落とす。その呼吸はどこまでも落ち着き、研ぎ澄まされている。

 フィッシュヘッドが路地を、抜けた。抜けた者からハドへ襲いかかっていく。

 瞬間。

 少女が閃いた。

 襲いかかった者から次々に平伏させられていく。かすり傷を負わせることも、触れることすらも叶わずに。

 ハドの作戦とはとても単純だった。

 真っ向から叩きのめす、である。

 上空から見るそれは、演劇でも観ている気分にさせた。

 あまりに無駄な動作がなくて、流れるようで。フィッシュヘッドの動きさえ、示し合わしたものに思える。

 しかしこれは実戦だ。予行演習も打ち合わせもありはしない。

 それでも、舞うように、華麗に、見る者を魅せるのが、彼女の戦い方だった。

 アチキが感嘆の声を漏らした交戦は、一分にも満たないほどで終わった。

 戦いの後とは思えぬ涼やかさで、ハドは上空のふたりに声を向けた。

「もう下りてきて大丈夫ですよ」


「拘束しなくて大丈夫なの?」

 降り立ったアチキが尋ねた。

 命に係わるような傷を負ったフィッシュヘッドはおらず、既に数匹は起き上がっていた。

「彼らは自分より強いと認識した者には従順なので、問題ありません」

(つまり自分より弱いにしか向かっていかないのか。小物感すごいな)

 そんなイッサの心の声を読み取ったのか、近くに居たフィッシュヘッドが槍を向けてくる。

「ひっ」

 そこへイッサを庇うようにハドが割って入ると、従順なフィッシュヘッドは槍を引いた。イッサを攻撃してはいけない対象と認識したようだ。

(ばかにした相手に怯える俺って……)

 ひとり肩を落とすイッサをいて、アチキが話を進める。

「で、このあとどうするの?」

「自主的に海に帰ってもらおうかと」

 と、会話を聞いていたらしいフィッシュヘッドが一斉に、首を横に振りだした。

「なんか嫌がってんね?」

「…………」

 ハドがなにやら思案顔をしていると、遠く海から聞こえてくる。

 咆哮――正確には大気の震え。

 その場のみなが視線を向けた。

「なに今の。ドラゴン?」

 この星メシエではドラゴンの咆哮が聞こえるのは珍しいことではない。しかし、今回の主はそれとは異なるもの。

 フィッシュヘッドたちがハドの傍で身を寄せ合い、震えていた。

 海の方向を見据えたまま、ハドがそれの名を呟いた。

「リヴァイアサン……」


     3


 リヴァイアサン。

 メシエ最大級の海洋生物。生物学では魚類に属しているが、その純粋たる力は竜といってもよいかもしれない。

 体躯は全様を捉えることができないほど長大で、身をよじるだけで海が渦を巻く。

 硬質な鱗で覆われた身は、鉄のもりごときでは傷つけることもかなわない。

 故にその背鰭が目撃されれば船は欠航。予期せず出くわせば、船乗りは死を覚悟する。そういう存在である。

 リヴァイアサンを脅威に感じるのは海中で生きる者も同じ。フィッシュヘッドたちはリヴァイアサンを恐れ、陸に逃げてきていた。

 そして、ハドたちの任務はフィッシュヘッドを海へ返すことなわけで。

「あれをどうにかしないといけませんね」

 海岸からその姿を遠目に確認したハドが言った。

「こりゃ、骨が折れそうだわね」

 アチキが苦笑と嘆息まじりに吐いた。

 そんな少女たちの後ろで呆然としていたイッサが声を張る。

「っ……ま、待ってよ! あんなのどうにかできるわけな――」

 言葉が続かなかった。

 藍髪の少女が振り向いて。

 その少女――ハド・ペルセポネを前にして「できるわけない」という言葉は出てこなかった。それは彼女に向けるには不適格な言葉に思えた。

 イッサは唾を飲み込み、改めて言葉を紡ぐ。

「……どうにか、できるの?」

 少女は凛と答える。

「はい」


 巨大なスプーンに乗り、ふたりの少女が海上を飛んで行く。

 アチキとハドだ。船で近づくことができないため、上空から接近することにしたのである。

 イッサは海岸で待機している。もしものことがあった際、教員に連絡をしなければならない。そして、他にできることもない。

 小さく見えていたリヴァイアサンの姿が近づいてきた。

 リヴァイアサンは海面付近で身をよじり、激しく暴れている。ときには海上に顔を突出し、大気を震わせる。

 数キロメートル離れた漁港に居ても感じた震えだ。数十メートルの距離で感じるそれは、戦意を削ぐには十分だろう。

 アチキは膝が折れそうだった。

 それでも引き返そうとは思いもしなかった。

 目の前に、もうひとりの少女が居るからだろう。

 ハドは大気の震えを感じて尚、身じろぎ一つすることなく、そこに居た。

 彼女を見ていると、眼前の巨大魚さえ、ただの魚に過ぎないと思えてくる。

 リヴァイアサンまで五〇メートルを切った。

 同時、巨大スプーンは高く飛翔した。リヴァイアサンの頭上に位置取る。

「いつでもいいよ」

「行きます」

 言うが早いか動くが早いか、ハドが飛び降りた。

 と、ハドの籠手から鎖が生み出された。ヘケルの力を使うことの出来る道具――『ル』であった。

 伸びた鎖をアチキの念力がとらえ、リヴァイアサンの首に巻きつける。アチキの役目はこのままリヴァイアサンの首を固定しておくことだ。

 頭下まで落ちたハドは、遠心力で振り子のように、リヴァイアサンの胴に着地する。

 と、海中の尾へ向かい駆け出した。

 入水。視界に映るのはうねる巨躯ばかり。海面近くは鱗が日光を反射して光り、深海に向かっては暗く、その姿を隠している。

 ハドはその暗闇へ、目を凝らした。


 海上では、アチキが額に青筋を浮かび上がらせ、唸っていた。

「うおぉぉ……ヤバいぃぃ。血っ管切れるっ」

 限界が来るのは時間の問題となっていた。

 一方海中。

 ハドは暗闇へ進んで行く。

 その間にもリヴァイアサンは激しくうごめいている。振り落とされぬよう、張り付くようにして慎重に進む。

 時に激しい深度変化に襲われるが、必死に食らいつく。

 百メートル弱は進んだだろうかというとき、三〇メートル弱先――わずかな光しか射さぬ深度に、鱗でも鰭でもないものが突き出しているのを捉えた。

「…………うわっ!?」

 アチキは鎖に精神を集中するあまり、自身の乗るスプーンへの意識がおろそかになってしまった。

 落下して間もなく立て直すが、真下にはリヴァイアサンの開口。

「――っ」

 集中が途切れた。

 リヴァイアサンの首が大きくかしぐ。

 海面へ続く鎖が、はじけた。

「ハド――――!」

 アチキが叫ぶとほぼ同時。

 海中に沈んでいた胴の一部が噴出した。

 そこにハドが立っていた。巨大魚の胴に突き立つ槍を握って。

 その様は海の怪物を仕留めんとする英傑を思わせた。

 しかし、少女がしようとしていることは、その逆だった。

 ハドは両手で槍を引き抜いた。


 と、


 リヴァイアサンが動くのを止めた。

 今まで痛みに悶絶していたが、それがなくなったことに気づいたらしい。

 あれ? とでも言うように目をぱちくりさせると、海中へ潜り始めた。

 そうなると新たな問題が起こる。

 足場としていたリヴァイアサンの胴がなくなり、ハドは空中に放り出されてしまう。

 それを見取り助けようとするアチキだったが、

「――――」

 寸前、リヴァイアサンの身体が接触した。

 衝突した船底が割れると云われるもの。アチキの意識は一瞬で奪われた。

 海上数百メートルより、ふたりの身体は落下を始めた。

 その光景を海岸から望遠鏡を通して、イッサは見ていた。

「あれ、アチキ落ちてるよね!?」

 まずい状況であることはイッサにも理解できた。

(どうしよう、このままじゃふたりとも……。っ、でも俺になにができるっていうんだ)

 考えている間にもふたりの影は海面に近づいていく。

「……っ」

 イッサはわかっている。

 自分が無力なことを。

 しかし、ヘケルであることを。

 イッサは叫ぶ。

「こんなときくらい言うこと聞いてくれ!」

 次の瞬間。

 ハドとアチキの真下。海上に巨大な樹が生えた。

 イッサのヘケルがそれを生み出したのだ。

 巨大樹の茂る枝葉がハドとアチキの身体を受け止める。

 先の衝撃からアチキは気絶したままだが、一応無事だ。

「…………」

 そして同じ樹の上で、ハドは啞然とするのであった。


     4


 舟でハドとアチキが回収された後、フィッシュヘッドたちは自ら海へと帰って行った。

 途中リヴァイアサンと対峙することになってしまったが、これでクエストを完遂できたわけだ。

 気づけば陽が傾き始めている時間。

 嵐が去った後のように穏やかな海を、ハドがひとり海岸に座って見つめている。冷たいそよ風が髪を撫でている。

「ハドさん? 風邪ひくよ」

 声を掛けたイッサにハドは振り向いた。

「イッサ。自分は大丈夫です。アチキの様子はどうですか?」

「まだ唸りながら眠ってるけど、少し落ち着いたみたい」

 帰りの馬車を待つ間、漁師小屋を借りてアチキを休ませていた。

 ハドは少しほっとしたように「そうですか」と言うと、また海へ視線を戻した。

「…………」イッサは徒ひとりぶん間を開け、隣に腰を下ろした。ちらりとハドを見やったが、その至上の芸術品のような横顔に、堪らず海を向いた。

 束の間会話が途切れ、波の音だけが聞こえた。

(ど、どうしよう、なにか話さないと。こんなチャンスもうないかもしれないし。って、なんのチャンスかわかんないけど)

「……なに見てるの?」

 間もなく。

(――って、海に決まってるよね、俺のあほーっ)

 イッサは枕に顔を埋めて叫びたい気持ちになった。

 しかしハドは「なに、このアホな質問をする徒は」と思った様子もなく、いつもの調子で答える。

「漂っていないかと思いまして」

「?」

 と、視線の先、海面から数匹の魚頭が覗いた。

 内、一匹のフィッシュヘッドがハドへ近づいた。

 そして両手で捧げるように、それを差し出す。

 それは青い光沢を放つ、花形の結晶だった。

「くれるんですか?」

 問いかけにフィッシュヘッドはずいっと、よりそれを近づけた。

 ハドは結晶を受け取り、

「ありがとうございます」

 言って微笑みを向けた。笑みなのかわからないほど微かな。

 するとフィッシュヘッドはぽっと頬を染め、海へ潜って行った。

 百年に一度、海ではリヴァイアサンが渦を巻く。リヴァイアサンのつがいだ。

 二匹が絡み合い、互いの鱗は剥がれ、砕ける。

 砕けた鱗が塩などと結びつき、結晶化した物が海面に漂っていることがある。ハドが言ったのはそれだった。

 フィッシュヘッドが持ってきたのは正にそれであった。

 結晶の名を『リヴァイアサン=クリスタル』という。

 受け取った結晶を眺め、ハドは唇を綻ばせる。

 その横顔をみつめ、イッサは想う。

 彼女を見ていると、自分の無力さを思い知らされる。

 けれど、それ以上に――わくわくする。と。

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