11.土曜日の訪問2


それから何度か物音がしたが、俺は気にしなかった。やっとひと段落した頃にちょうどばたばたと廊下を歩く音がする。どうやら全員帰るみたいだ。


『なぁ上手くいったじゃん!』


『でもさぁ結構バレたらやばくね』


『バレねーって、俺がちゃんと部屋に隠しておくからさぁ』


げらげらと笑う声は嫌な感じだ。その中に塚本くんの声は聞こえない。勉強の合間に聞こえた物音は塚本くんが先に帰った音だったのかもしれない。

だがそんなことはどうでもよくて、話の内容が気になる。俺はやめておけばいいのにドアに張り付くようにして聞き耳を立てた。


『いっつもスカした顔しやがってムカつくんだよなぁ』


『流石に困るんじゃない?』


『今度証拠隠滅で使い切っちゃおーか』


随分と楽しそうな声音だが、多分いい話じゃない。彼らの声が聞こえなくなるのを確認すると、俺は弟の部屋へダッシュした。久しぶりに入ったその部屋に少し戸惑うが、もたもたしてる時間はない。一通り見渡すと、無造作に財布が部屋の真ん中らへんに落ちていた。見たことがある。それもつい最近。売店で俺に食わせるためにに無理やり自腹を切っておにぎりを買っていた。そう、塚本くんのだ。

恐らく弟らがこっそり盗んで彼が帰った後、面白半分に話のネタにしていたのだろう。我が弟ながらこれは酷すぎる。盗むにしても財布は良くない。嫌がらせのレベルを超えている。頭のいい彼がそんなことをわからないはずがないだろうに。俺は舌打ちをしてさっさとそれを拾い上げる。塚本くんの奴め。面倒かけやがって。

急いで弟の部屋を出て自分の部屋へ戻った。鍵をかけてしまいたい気分だが、それだと怪しまれる。違和感のないよう、机に向かって座るがまるで集中できなかった。ノート上の文字の意味は全く頭に入ってこない。心臓がドクドクなっている。手に持ったままだった財布は慌てて机の中へ隠した。

もしもバレたらどうなるのだろう。絶対に弟は怒る。これが普通の兄弟ならバレたところで悪いのはお前だろと、説教でもしてやるのだが。昔ならきっとそうしてた。でも、今はどう考えても彼に向かって言い返せる自信がなかった。


彼が怖いのだ。今回のことではっきりした。あいつは決して周りが思うようないい奴ではない。しかも金を盗むだけでは飽き足らず、使い切ろうとまでするなんて。普通じゃない。にこやかな仮面の下はこれほどまでに邪悪な本性が隠れている。そして俺は塚本くんと同じく、その彼の気に入らないターゲットの一人なのだ。

そう考えれば、この間だってわざと彼はドアにぶつかったんではないだろうか。俺が弟に害を加えたと思い込ませ、父さんが俺を殴ることを期待して。もしも全てが弟の計画だったら。そんなことまで考えてしまう。


考えれば考えるほど動機は激しくなり、吐き気がするほどに恐ろしくなってきた。だいたいなんであいつがそんなことするんだよ。俺はそこまでされるようなことを彼にした記憶はない。彼に恨まれるような覚えなんて。


しばらくして弟の廊下を歩く音が聞こえ、部屋へと戻る。俺は息を殺して物音に耳を立てていた。この時点で俺は激しく後悔している。余計なお節介なんてするべきじゃなかったと。塚本くんとは浅い関係のほぼ他人だと結論付けたんじゃなかったのか?今更弟の部屋に戻しようもない。腹を括れ。

大丈夫。バレるわけがない。だってあいつは俺と塚本くんが知り合いだということすらそもそも知らないじゃないか。彼には俺が財布を取る動機が思いつかないはずだ。


すると、突然部屋がノックされる。耳をすませていたはずなのに廊下を歩いて来る音が聞こえなかったから、俺はひどく驚いた。シャーペンを握り、机に向かう。勉強をしているふりをする。


「兄さん、友達帰ったよ」


「ああ、そう」


弟の方を向かずに答えた。いつもこんな感じだったよな、と不安になる。彼との接し方はこれくらいあっさりしたものだったはず。さっさと出て行ってくれと願う心とは裏腹に、何故か弟は黙って入り口に立っている。しばらく適当な文字を書きながら無視していると、彼は口を開いた。


「ねえ兄さん」


「…なんだよ」


「俺の部屋入った?」


息を飲み込む。手が震えそうになるのを無理やり抑え込む。なんでそんな質問をする?ばれた?まさか。ものがなくなっているのに気がついて俺に聞いているだけだ。確証があって言っているわけじゃない。大丈夫。大丈夫なはずだ。


「入ってねーよ。見ての通りずっと勉強してたけど」


勇気を出して彼の方を無理やり向く。落ち着け俺。こいつは恐ろしいやつだがエスパーとかではない。平然としてればなんの疑いもなく出て行くはずだ。どれだけ自分をなだめようとしても、彼と目が合うと、どくどくと激しく心臓が動き出す。

数秒が何倍にも感じられるその時間。

思った通り弟はあっさり「そっか」と言った。その表情は明るく特に俺を疑っているような感じはしない。その表情に、心の中でほっと息をつく。


「なんか置いてあったはずのものがなくってさ」


「机の下とか落ちてんじゃねーの」


「あ~…そうかな。まあ別にいいや。そんな大事なもんでもないし。なくなったらなくなったで」


そんなことをにこにこしながら言って部屋から出て言った。安心はしたものの、あいつの性格の歪み具合にはゾッとする。人のものをとって置いてなくなってもいいって。返す気0。ほんとどういう神経してるんだよ。

シャーペンを握りしめた手の平は手汗でぐっしょりと濡れている。


とりあえず、この財布は学校で塚本くんにあったら返しておこう。なんて言って返すかはちゃんと考えておかないと。俺が彼の財布を持っているのはどう考えてもおかしい状況だしな。


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