第8話

「片足けがした状態で走ると体に悪いぞ」

 翌日の僕は文芸部室に駆け込んで入っていったので、そう言われても仕方ない。

「はあ、はあ……すみません、少し、息を整えさせて、ください」「わかった。そこのソファに」

 僕はふらふらになりながら、ソファに横になった。息は整ってきたが、まだ体が起き上がらない。

「大変そうだな」

「まあ……そうですね」

 ここ最近は調査にかまけていたので、文化祭委員の仕事を他に任せてばかりいた。さすがにそろそろ仕事をしなければ、仕事のためすぎになると思って、ためてしまっていた仕事をまるごと片付けてきたのだ。そのため、それにくわえて体験部員に証言を撮りに行ったので疲れてしまった。いつも放課後になればすぐ来ているところを、下校時間ギリギリになってしまったのだ。

「すこし、眠るか?」

「まさか……そんなこと……」

 そう言いながらも、眠気がやってきていた。早く話さなければならないのに、体が休むことを求めている。

 視界の端で、笹谷有紀が動くのが見えた。彼女は、いつもは僕がかけて上げている毛布を手に持って、僕にかけた。

「休め。働き過ぎはよくない」

「そう……ですね……」

 はははと、軽く笑おうとした。声は出なくて、口をゆがめるだけになってしまった。

「ああ、起きたらまた、話をしよう」

 そこで僕の意識は途切れた。


「ん……」

 目が覚めて、僕はすぐに時計を確認した。時計は七時を指している。かれこれ一時間も眠ってしまっていた。

「あれ……」

 そこで自分の腰ぐらいに、なにか温かいものが乗っかっているのを感じた。

 上半身を起こすと、そこには笹谷有紀の頭があった。彼女も彼女で、スースーと寝息を立てている。

「……律儀な人だなあ、本当に」

 先に帰ってしまえば、この文芸部室の後始末を僕に任せてしまうことになってしまうとでも考えたのだろうか。だからといって、ただ待つだけならば、いつものように自分の椅子に座っていればいいのに、わざわざこうしている。

 やっぱり彼女は優しい。僕はそう思って、彼女の頭をなでた。

「でもこれは……」

 笹谷有紀が起きないとここからでられないんだよな。

 僕は苦笑して、スマホを取り出し、「今日は遅くなる」と、家に連絡を入れた。


「……うん……?」

 笹谷有紀がまぶたを動かした。

「ようやく起きましたか……」

 僕はため息をつきながら話しかける。

「今は……何時だ」

「八時を回りましたよ。全く、かれこれ一時間は寝ていますね」

「……そうか」

 彼女が僕の上から退くのを見て、僕もまた立ち上がった。

「人には休めって言っていて、自分は仕事ですか。あなたも人間なんですから、どうか休んでいてください」

「……そんな訳にもいかない。もう少しでわかりそうなんだ」

 僕は笹谷有紀の机の上に目をやった。僕のあげた報告書や、美術部室の写真が散らかっている。そばにはメモのようなものも落ちていて、『佐々木太一・油絵・小村悠斗・油絵・川本光・水彩画・長沢恭一』とある。名前を聞かない彼女が、人の名前をメモしているなんて珍しいなと思ったのもつかの間、すぐに別のことを考えた。

「あなたここに住んでるとかそういうわけじゃ無いですよね?」

「失敬な、私にはちゃんとした住居があるぞ。そんなホームレスみたいな……」

「だったら!」

 僕は彼女の肩をつかむ。

「だったら、現実的な範囲で頑張ってくださいよ。ご家族が心配しますよ」

 きっとそれは嘘だ。珍しく感傷的になっている。ただ単に、今まで見えていなかった笹谷有紀の裏側が、僕にそうさせているだけだ。

「どうした、急に」

「……すみません。余計なことを言いました」

 彼女は僕のことを聞こうとしない。なのに、僕だけ彼女のことを聞くのは、フェアじゃ無い。そんなこと、笹谷有紀に話したことは無いが。

「まあいい。わかった今日は帰ろう」

「え?」

「なんだ、意外か?」

 そりゃそうだ。笹谷有紀は基本的に、人の言うことを聞くような子では無い。

 笹谷有紀はふんと鼻を鳴らした。

「言っておくが、君の忠告を聞いたわけでは無い。しかし私が帰らなければ、君は帰らないだろう? となれば、君のご家族が心配する。だからだよ」

「は……」

 開いた口が、塞がらない。予想外すぎて、笑ってしまった。

「はははは! そうですか、なるほど……」

 しばらくそのまま笑い続けてしまって、彼女にため息をつかれてしまった。

「まったく……そんな大笑いして、何が楽しいんだか」

「すみません……」

 僕はそう言いながらも笑ってしまって、それをこらえることは無理そうだった。

「はあ……帰るぞ」

「……はい」

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