第6話 ダリアの過去Ⅴ

 館の中から花嫁(彼女の近くには、その両親が歩いています)と花婿が出て来ました。二人は仲良く並んで、司祭の前に歩みを進めました。二人が司祭の前に向かって歩いている間、ダリアの視線が花婿に向けられました。花婿の年はやはり、彼と同じくらいでした。

 

 ダリアは無言で、花婿の姿を見つめました。花婿は、笑っています。その表情は、とても嬉しそうでした。彼がその笑みを浮かべている間、ダリアの中である感情が生まれました。花婿に対する嫉妬です。彼の容姿はとても美しく、その目もキラキラと輝いていました。

 

 ダリアは、花婿の顔を睨みました。花婿の隣では、△△嬢が頬を赤らめています。幸せそうな顔で、その口元をニコリとさせながら。彼女の微笑みは、周りの農奴達にも影響を及ぼしました。ある農奴は(彼女と同じくらいの女性です。十七、八くらいでしょうか)は羨ましげな顔で、彼女の微笑みを見つめています。またある農奴は悔しげな顔で、彼女の顔を睨んでいました。


 ダリアは、彼女達の表情に苛立ちました。「身分」と言う意味ではなく……おそらく、自分も花婿とそう変わらないでしょう。人生における僅かな違いこそあれ、「自分の家族を喪っている」と言う点では、まったく同じなのですから。

 それにも関わらず、花婿は多くの人に好かれている……いや、好かれようとしている。ダリアには、その現実が許せませんでした。自分には無い物が、花婿には生まれた時から(彼の直感ですが)備わっている、その事が悔しくてたまらなかったのです。

 

 ダリアは、△△嬢の花婿を睨みました。相手は、彼の視線に気づいていません。それどころか、彼のいる方に顔すら向けませんでした。彼の目は変わらず、隣の花嫁を見つめつづけています。


 彼は、花婿の顔から視線を逸らしました。司祭が二人の結婚式をはじめた事もありますが、本当はその雰囲気に気持ちがどうしても耐えられなかったからです。だから、暗い顔で庭の中から出て行きました。庭の外には、人がほとんど歩いていません。自分の周りをぐるりと見渡してみても……視界の中に入ってくるのは、領内の畑や建物だけでした。

 

 ダリアは、自分の家に向かって歩きました。周りの景色には視線を向けず、両目から溢れた涙も拭わないで。彼の涙は、その頬を伝いつづけました。「う、ぐっ、はっ」と、嗚咽が漏れます。彼の嗚咽は、誰の耳にも届きませんでした。

 悔しげな顔で、封土の通りを歩きつづけます。自分の家まで買えると、小屋の中から農具を出しました。「領主の命令」とは言え、農奴達は「自分の仕事」を怠けている。それに対して、自分は「自分の仕事」を怠けていない。誰に命令されたからでもなく、その仕事をすすんでやろうとしている。


 ダリアは、自分の仕事をやりました。その額から汗が流れようと、畑のライ麦を育てつづけて。彼の仕事は、夕方になっても終わりませんでした。

「あれ、ダリア。お前さん、いつ戻ったんだい?」と、農奴の一人が言います。それを聞いて驚いたダリアでしたが、すぐに「気分が悪くなってさ。式の途中で抜け出してきたんだよ。それで」と笑い、自分の心を誤魔化しました。


 農奴は最後まで、彼の話を聞きませんでした。


「ふーん。それは、残念だったな。すごく楽しかったぜ? 花婿のガキは良い奴だったし、式に出された飯だって」


「そうそう」と、別の農奴がうなずきます。「領主様が気を利かして、色んな食い物を出してくれたんだ」


 彼等は満足げな顔で、互いの顔を見合いました。


「そうかい!」と、ダリアが怒鳴ります。「それは、良かったね!」


 ダリアは彼等から視線を逸らし、小屋の中に農具を片付けはじめました。


 農奴達は、彼の態度に苛立ちました。


「何だよ、今の態度は?」


「さぁね、ご馳走が食えなくて悔しいんだろう?」


 彼等は、それぞれの家に向かって歩き出しました。



 それから数ヶ月後。


 ダリアの畑は、その一面に美しいライ麦を実られました。


「やった、やった」


 声が弾みました。視界の景色もぼやけましたが、空の太陽はしっかりと見えていました。


 ダリアは急いで、畑のライ麦を収穫しました。父から教えて貰った方法を使って。畑のライ麦をだいたい収穫すると、領主の館(正確には、その倉庫ですが)に「それ」を持って行きました。倉庫の前には、農奴達の列が出来ていました。

 

 ダリアはその列に並んで、自分の番を待ちました。彼の番になりました。係の奴隷が彼に向かって「次の人、貢納をお願いします」と言うと、それに従って自分の貢納を治めましたが、家に帰ろうとした瞬間、その意識が奪われてしまいました。△△嬢が現れたからです。彼女の隣には、あの花婿が立っていました。


 二人は楽しげな顔で、農奴の列を眺めています。


「うーん、素晴らしい。今年は、豊作だね。どの荷車にも麦がたくさん積まれているし」と、△△嬢。彼女が満足げな顔でその様子を眺めている間、農奴の一人が彼女に向かって「そうだろう! そうだろう! 今年は、特にめでたい事があったからな。気合いを入れて作らせて貰ったぜ!」と言いました。周りの農奴達も、その言葉にうなずきました。


「うん、俺達の最高傑作だ」


「領主もきっと、お喜びになるだろうよ」


 ダリアは彼等の笑みにうなずきましたが、花婿の表情を見てからすぐ、その気持ちを忘れてしまいました。花婿は、笑っています。それも、すごく嬉しそうな顔で。だから、その顔に苛立ってしまいました。彼の表情からは、何の不安も感じられません。それどころか、一種の余裕すら感じられます。


 ダリアは、その余裕を睨みました。考えてみれば、自分の作った麦は……そのすべてではないにしろ、彼の腹にも収まるわけです。彼の気持ちに関わりなく、テーブルの料理として。その現実に思わず怒ってしましました。倉庫の前から歩き出します。一歩、また一歩と。彼が館の門に向かって歩いている間、他の農奴達も△△嬢や花婿達に麦を納めつづけました。「はぁ」と、溜め息が出ます。


 ダリアは自分の家に帰ると、部屋の壁に寄り掛かって、子供のように「わんわん」と泣きだしてしまいました。


 

 そして……その涙が涸れてから数年が経ちました。


 彼はすっかり大人になって、その容姿を「少年」から「青年」に変わっていました。腕の筋肉も少し硬くなって、顔の表情もかなり鋭くなっています。

 

 ダリアは小屋の中から農具を取りだし、自分のライ麦畑を耕そうとしましたが、それに合わせて、何処からか馬の足音が聞こえて来ました。「なんだ?」と、その足音に目をやり……馬の足音には、色々な思い出があります。今度の報せも吉報(去年は、△△嬢と花婿の間に子供が生まれたと言う報せを聞きました)か、それとも「領地をしばらく留守にする」と言う断りか。

 

 ダリアは、畑の地面に農具を置きました。視線の先にはやはり、領主の使いが見えます。使いは暗い顔で、館の馬を走らせていました。


「良くない報せだが」と、青年の前で馬を停めます。「落ち着いて聞いて欲しい。領主様が倒れた。奥様の同じ病で、床に就いている。それと」


「なんだよ? 『それと』って?」


「△△様やそのお嬢様にも同じ症状が見られる。おそらくは、もう」


「そんな……数年前は、まるで元気だったのに。花婿は、無事なのか?」


「ああ、辛うじて。館の物は止めるんだが、『俺が看る』と聞かないんだよ。特に」


「特に?」


「お嬢様の看病はもちろんだが……それよりも、△△様の看病にかなり力を入れている。余程喪いたくないんだろうな、『今度こそは死なせない』と言って彼女の事をずっと」


 ダリアは初めて、花婿に同情しました。


「花婿は確か、孤児だったよな? 自分の嫁さんに死なれるのは、やっぱり辛いんだろうよ」


「ああ、私もそう思う。『家族の死』と言うのは」


 使いは、その続きを切りました。


「詳しい事はまだ、決まっていない。彼の命令で、私は封土の農奴達に『これ』を知られているだけだが……最悪の事態は」


「ああ、覚悟しておくよ。でも、俺は諦めないね。領主様は、立派な人だ。病気なんかでくたばるタマじゃない。その内、すっかり良くなると思うよ」


「私も、そう信じている」


 二人は、彼等の回復を祈りました。ですが……彼等の祈りは、叶いませんでした。近所の農奴から聞いた話によると、ダリアが使いからその話を聞かされた三日後、四人は花婿や召使い達に見守られて、天国に旅立ってしまったとの事です。


「領主様、△△嬢」


 ダリアは、封土の空を仰ぎました。封土の空は、澄んでいます。雲はおろか、一つの濁りもありませんでした。


「神様はどうして、人間を永遠に生かしてくれないんだろう?」


 彼は自分の両親を思い浮かべましたが、その両親が彼に微笑むと、頭の空想から意識を逸らして、自分の足下にまた視線を落としてしまいました。



 ……四人の死から数ヶ月が経ちました。封土の農奴達は、領主の死から立ち直りました。館の召使い達も同じです。彼等は新しい領主の花婿を受け入れて、彼のためにせっせと働いていました。彼等が花婿のために働いている間、ダリアにもの報せが届けられました。


 ダリアは、彼等の心に苛立ちました。いくら領主と言っても、元は孤児の少年です。身分的な立場で言えば、自分達とどう変わるモノではありません。それなのに……。


 彼は、花婿の支配に従いませんでした。花婿のために働くなんて真っ平御免です。彼は使い慣れた農具を捨てて、自分の仕事を怠けはじめました。

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