第3話・帰る場所

 自称悪魔の少女、シエラちゃんとの脅迫生活が始まってから数日が経ち、いよいよ今年も終わりの日を迎えていた。


「ねえシエラちゃん、そろそろお家に帰る気にならない?」


 冷えた空気が部屋の中を包み込む昼頃、俺は小さな台所で昼食を作りつつ、狭い部屋の中にある電気ストーブの前で暖をとるシエラちゃんに問い掛けた。


「帰りたくても帰れないって前にも言ったよ」

「確かに言ってたけどさ、でもご両親も心配してると思うよ?」

「……心配はしてると思う、でも帰れない、私は人間界で勉強しないといけないから」

「勉強か……ねえ、シエラちゃんの苦手な科目って何なの?」

「歴史」

「歴史か、それなら俺で良かったら少し教えよっか?」

「えっ、教えてくれるの?」

「これでも一応学校の先生だからね、ある程度は教えられると思うよ」

「よろしくお願いします、先生」


 シエラちゃんはこれまでとは明らかに態度を変え、俺に向かって頭を下げた。


 ――もしかしたら勉強のことで親と喧嘩して帰り辛いって理由も有り得るし、ちょっと勉強を教えたら帰ってくれるかもしれないな。


「分かった、それじゃあ昼食を摂ったら少しやってみよっか」

「うん」


 シエラちゃんは口の両端を小さく上げると、明るい声でそう答えた。

 こうして二人で昼食を摂ったあと、俺はシエラちゃんに勉強を教えることになったわけだが、シエラちゃんがどの程度勉強が出来るのか分からなかったので、とりあえず中学生レベルの問題からやってみることにした。


 ――へぇ、思ったよりもちゃんとできてるじゃないか。


 勉強を始めてから約二時間、俺はシエラちゃんに感心していた。勉強を教わる姿勢は良いし、想像していたよりもずっと問題を解けているからだ。苦手だと言っていた歴史はまだやってないが、その他の学科については特に問題を感じない。


 ――これなら大して問題なさそうだけどな。


 そしてこのあと、シエラちゃんが苦手だと言っていた歴史の勉強を始めたわけだが、歴史の何が苦手なのかさっぱり分からないくらいにちゃんと出来ていた。


「ねえシエラちゃん、歴史の何が分からないの?」

「どうしてこんなことがあったのかが分からない」

「どういうこと?」

「人間の歴史には不可解なことが多い、だから難しい、どうしてこんなことをしたんだろうって思うから」

「ああ、なるほど」


 それを聞いた俺は、シエラちゃんが歴史を苦手だと言っている理由がなんとなく分かった。

 これは短い同居生活の際に気付いたことだが、どうもシエラちゃんは人の心情や気持ちを読み解いたり汲み取ったりするのが苦手なようだった。だから歴史についても、何でこんなことをしたのか気持ちが分からないから理解できない――みたいな感じなんだろうと思う。


「本当に人間の気持ちは分からなくて難しい」

「それは多分誰でもそうだよ、人の気持ちを理解するのは難しいからね」

「先生でも分からないの?」

「そうだね、簡単に分かるものじゃないのは確かだよ。でもね、だからこそ人はそれを理解しようと勉強するんだと思うよ」

「そっか」


 シエラちゃんは賢い子なんだと思う、だからこそ人の気持ちを考えたりしてるんだと思えるから。


「さあ、続きをしよっか」

「うん」


 こうして俺はすっかり勉強を教えることに集中してしまい、シエラちゃんを家に帰すという当初の目的を忘れ、大晦日を過ごしてしまった。


× × × ×


「ちゃんと帰れたかな……」


 年が明けて数日が経った夜、俺は狭くも快適な自宅へ帰って心配の声を上げた。

 今朝、俺は何が何でも自宅へ帰ろうとしないシエラちゃんに対し、『他人のシエラちゃんがここにずっと居ることはできないんだよ?』と言った。するとシエラちゃんは黙って家を出て行ったのだ。本当ならこれで俺の平穏な生活が戻って来たのだから喜ぶべきだが、少しの間とは言え一緒に居たわけだから、無事に自宅へ帰れただろうかと気にはなっていた。


「まさかとは思うけど、別の人の家に転がり込んでないだろうな……」


 そんなことになっていたらどうしようと不安に駆られていると、チャイムの無い玄関の戸がコンコンと叩かれた。


「はーい、どちら様ですかー?」


 着替えをしながら玄関に向かってそう言うが、外からの返答はない、俺は素早く着替えを済ませて玄関へ向かった。


「どちら様ですか――って、シエラちゃん!? どうしてここに? 家に帰ったんじゃなかったの?」

「帰って来たの」

「帰って来たって、ここはシエラちゃんの帰る家じゃないでしょ、ちゃんと自分の家に帰らなきゃ」

「ここが私の帰る家」

「あのねえ、ここは俺の家であってシエラちゃんの家じゃないんだよ」

「他人じゃなければ住めるんでしょ?」

「そりゃあ、家族とかなら一緒に住むのが普通だろうけど、俺とシエラちゃんは他人じゃないか」

「私と先生はもう他人じゃないよ、先生が『他人だから一緒に住めない』って言ったから、ちゃんと家族になって来た」

「はっ? どういうこと?」


 俺の質問に対し、シエラちゃんは手に持っていた一枚の紙を差し出した。


「何これ? えーっと、婚姻届受理証明書? 夫、早乙女涼介さおとめりょうすけ、妻、シエラ・アルカード・ルシファー・早乙女!? 何これっ!」

「私が他人だからここに住めないって言ったから、家族になって来たの」

「そうじゃなくて! どうやってこんな物を取って来たのさ!?」

「市役所に行って取って来た」


 ――嘘だろ? こんな物を未成年のシエラちゃんが取れるはずないじゃないか。


「それじゃあ先生、今日は疲れたからもう寝るね」

「ちょ――」


 シエラちゃんは眠そうに欠伸をすると、俺の横を通り抜けて部屋へ入り、そのまま布団を広げて横たわり眠ってしまった。


「いったいどうなってんだ?」


 小さな寝息を立て始めたシエラちゃんを見たあと、俺は渡された婚姻届受理証明書を見ながら眉間にシワを寄せていた。

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