20年の片思い

シイカ

一話

「やってしまった……」


 今田幸子いまださちこは自分が犯した罪を確認するかのようにわざと声に出して呟きだした。


「私は初めて好きな子の名前を言いながら、オナニーをしてしまった……。ごめんよ、美音子みねこ……」


 美音子というのは、幸子の親友であり幸子の片思い相手の名前だ。


 幸子と美音子は幼稚園の頃からの幼馴染で20代半ばになってもその繋がりは途絶えたりしていなかった。


しかし、20代となると、周りの結婚ラッシュが気になるようになってくる年代。子供がいる人間だって現れてくる。

 幸子は悩んでいた。


 それは、美音子に思いを伝えるか、20年の恋心とさよならするかだった。


 親友としての期間が長すぎて今さら、好きでしたとなるのはあまりにも博打が過ぎる。


今、思いを伝えて美音子との繋がりが途絶えることは幸子にとってはどんな地獄よりも恐ろしく苦しいことだった。 

 幸子は美音子が好き過ぎた。


 ――美音子……みねこ……好きぃ―……んっあっ! イク! イッちゃう! 美音子ぉ!


 幸子はさっきまでの自分を思い出し、布団の上でジタバタと手足を動かした。

 恥ずかしい気持ちより、美音子に申し訳ない気持ちでいっぱいだと心の中で何度も美音子に謝罪した。


今度、美音子に会ったとき、どんな顔して会えばいいのだろう。

 いっそのこと、思いを伝えてしまいたい。


 でも、関係が崩れるのは死ぬよりイヤだ。


さらに幸子にはもうひとつ悩みの種があった。

 美音子に恋人がいるかもしれないということだ。


幸子の頭の中で美音子が他の誰かと愛し合っている姿を想像するだけで、吐き気を催した。

 ――美音子に恋人がいたら諦めつくのかな。私も。

 実際、幸子自身、恋人がいたことがあった。


 でも、幸子は誰かと恋人になっても心の片隅には常に美音子がいた。


 だから、幸子は自分の恋人を本気で好きになることができず、幸子は相手に対する申し訳なさから、自分で別れを切り出したのだった。


幸子自身恋人がいた経験があるのだ。美音子に無いはずがないではないか。

「美音子に会いたい……」


 幸子と美音子が最後に会って半年経つ。


お互い照れ屋で恋人云々の話をあまりしたことがなかった。

「美音子に会いたい……」

 幸子はただひたすら呟いた。


 連絡すれば早いことなのだが、実は、幸子から美音子へ連絡を入れたことは数回しかなかった。それは幸子が自分の気持ちに気が付いたときからだった。

 ――いつから好きだったのだろう……。


 小学校高学年からだった気がする。


――なぜ、好きになったのだろう。

 それは美音子が初潮を迎えた時と関係があるのかもしれない。

「え、美音子、生理始まったの?」

「うん。すごく痛い……」

 そのときの美音子がいつもと雰囲気が違って見えたのは大人になった瞬間だったからなのだろうか。


 幸子はそのとき、ずっと美音子の側にいた気がした。


 初めての生理で苦しんでいる美音子が可哀想であり、どこか色っぽさを感じていたからなのかもしれない。


 それから、幸子は美音子に触れるたびに少し、緊張するようになっていた。

「思い切って連絡入れてみようかな……」


 幸子はスマホに手を伸ばすとこまではした。


 だが、いざ、ボタンを押そうとすると、指が止まった。


 もう20代だというのに、変なとこで子供に戻る、ややこしい恋心だ。

 幸子は今、20代ではなく思春期少女となっていた。

 好きな子に連絡するだけでツライ、苦しい。


 恋はこんなにも苦しいけど気持ちがいい。


幸子はスマホをベッドの上へと放り投げ、自分自身もベッドに倒れ込んだ。

 ベッドに倒れ込んだ幸子は美音子との思い出を振り返っていた。


――美音子と出会ったのは幼稚園のころ。


 引っ込み事案な幸子を友達の輪へ迎え入れてくれたのが美音子だった。

 それ以来、美音子と幸子は一緒にいることが多くなった。


中学生のとき、友達の家でふざけておっぱいを揉み合ったことがあった。


 胸が多きいのがコンプレックスだった幸子は目を背けながら美音子におっぱいを揉まれた。そのとき、美音子はふざけて幸子の乳首をつまんだのだ。


 それから、幸子の美音子に対する好きが強まった。


 高校は別になってしまい一気にふたりの関係は遠くなってしまった。


 それでも、幸子の美音子に対する思いは忘れたことは無かった。

 常に美音子が幸子の側にいた。


 諦めきれない親友への片思い。


 幸子は結局、あきらめが悪かった。


 先ほど放り投げたスマホを再び手に持ち、美音子の電話番号を押した。

 幸子は自分の気持ちが止められなかった。


「もしもし。美音子? 久しぶり、あのさ、今度、近くで会えないかな?」

『いいね! 会おう会おう! 場所は私の家にしとく?』


「美音子の家……うん! わかった、美音子の家ね。だいぶ行ってないから家忘れちゃったから迎え宜しくね!」

『おっけー。了解』


「それじゃまた後で」

 幸子の心臓がドキドキと早鐘を打っていた。

 ――20年の片思いに決着をつけるんだ!


 幸子はジッとスマホを見つめた。

 LINEで言えばよかったかなと後になって後悔するも、電話の方が思いが伝わる気がした。というのは幸子の心が今や完全なるティーンエイジャーになっているからだろう。


 電話をしているとき、仕事、社会など関係ない中学生の少女がそこにいた。

 過去は戻せないけど、未来なら変えられる。


 まだ決まっていない未来に幸子は怯えていた。

 ――思いを伝えて崩れるか、幸子に恋人がいるか、もしかしたら、美音子も私と同じ気持ちなのか。


 美音子は幸子のことを親友として見ている。

 中学生の頃、幸子は美音子から衝撃の告白を受けていた。

「好きな人がいるの……」


 幸子はそれを聞いて血の気が引いた。

 しかし、幸子は自分の気持ちを押し殺して言った。

「へ、へえーおめでとう! そっか、そっか美音子にもついに好きな人ができたか」


 そのときの美音子の顔はどこか寂しそうで、なぜか『ごめんね』と今でも言いそうな顔に幸子は見えた。


 あのときの表情がいまだに幸子の思い出に引っ掛かっている。

 ――あの表情はどういう感情だったのだろうか。


 幸子がどれだけ疑問に思っても時間は戻らない。当たり前のことだ。しかし、失った時間はあまりにも残酷だ。


 幸子が美音子と一緒にいた期間は実は短い。

 今となっては一緒にいなかった期間の方が長くなってしまった。

 ――ずっと一緒だと思ったのに。


 それを疑うということを当時の幸子はわからなかった。

 大人になるとどんなに仲が良くても離れるということを。

 そうじゃない人たちも多分いるだろう。


 でも、幸子は悲しいことに人との縁が薄かった。

 美音子以外の仲良かった友達を幸子は自身の失態で失っている。

 幸子はそれもあって、美音子に会いたいという気持ちに怯えていた。

 美音子を失いたくない。


 そうしたら幸子は本当に孤独になってしまう。

 美音子まで失いたくないという気持ち。

 美音子に好きを伝えたい気持ち。


 美音子に会う前から幸子の不安がいまにもあふれ出しそうだった。

 ――どうして私はこうなのだろう。


 幸子は人とは違った失敗をいつもしてきた気がする。

 そうでなかったら友達を失ったりしないだろう。


 幸子がひとり考え込んでいるときに電話が掛かってきた。

 美音子からだと思い期待して出てみると郵便局からだった。


 幸子は自分の郵便物が届かないことに腹を立て、郵便局に電話をしていたのを忘れていた。


「はい。今田です」

 幸子はわざと不機嫌そうな声で出た。

『郵便物が届かないというのでお電話させていただきました。あの、もしかしたら集合ポストの方を確認してもらえますでしょうが』


「集合ポスト……? あっ! わかりました! 今すぐに確認します!」

 幸子は一方的に電話を切った。

 ――なんてマヌケなんだ私は……。

 以前は、自分の家のポストに直接届く場所に住んでいた幸子は集合ポストの存在を忘れていた。

 集合ポストを覗いてみると五か月分のチラシだらけになっていた。

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