第18話 飲み物は大切に②

 しばらくして抵抗がなくなったので落ち着いたのだろうと思い飲み物責めから解放してやった。


 よくよく考えてみると俺は女の子の頭を普通に触っていることに気がついた。

 手触りのいいサラサラとした綺麗な髪が指の間を通り抜ける。微かに甘い香りもした。

 って俺は何感想を述べているんだ。


 少し恥ずかしくなり頭から手を離す。しかしそれが彼女の支えになっていたのか膝から力尽きたように崩れ落ちていった。そして次の支えである床に両手をつけた。


「……死んでしまうかと思いました」


 興奮していてやりすぎてしまったと言う感じが否めない。彼女の呼吸が少し乱れて苦しそうに胸を抑えているのがその証拠だ。

 まぁ、大元の原因は凪にあるんだが。


 持っていた飲み物入り洗剤の容器を彼女の顔の前に差し出す。


「これ水で洗ってこい」


「えぇ、私がやるんですか?」


 嫌そうに顔を顰めた。

 反省の色が全くうかがえないので俺は容器を床へと置いて彼女の頬を軽く横に引き伸ばした。

「お前以外に誰がいるんだ?」


 弾力のあるほっぺを縦横無尽に捻り回す。すると餅のように柔らかい感触が指先に伝わってくるのが分かった。


「イタタッッ! わ、分かりました! 洗ってきますっ!」


 俺の手を振り払ってサッと容器を手に取り逃げるような足取りで部屋から出ていった。

 ドタバタと忙しないヤツだと思いながらため息を吐き捨て下を俯いていると、凪と入れ替わるようにして牡丹が入ってきた。


「お兄様、一体どうなされたんですか?」


 普段から物静かなその立ち振る舞いは凪が去った後だと更に大人っぽく、そして華やかに見えた。


「あいつが洗剤の中身をジュースと入れ替えてやがった……」


 高校三年生にもなってそんな幼稚な行為を行うヤツがこの世界にいるだろうか? いいや、いない。彼女を除いては。


「ふふ、それは面白いですね」


「面白くなんかない。全くもってはた迷惑だ」


 俺は腕を組んで顔を軽く顰めた。

 それを見てだろうか、牡丹の表情に笑みが浮かんでいく。その光景を俺は不思議に思った。


「……どうした?」


「これは私の思い過ごしかも知れませんが……」


「何だ、言ってくれ?」


「……お兄様が少しずつ変わっていってる気がします」


 …………変わっている?


「俺がか?」


「はい。家を出ていった時と比べたら」


 そのような変化は全く感じない。

 一人暮らしを始めた時から今日この日に至るまで、俺の心の中で何が変わっているのかなんて自分以外知り得ないのに牡丹はそう言ったのだ。

 もしもその言葉が本当ならば何かそれに値する大きな出来事があるはずだ。


「…………よく分からん」


 それが何なのかは実は分かっていた。

 しかし何故か認めたくなくて嘘をついてしまった。


「意地っ張りですね」


 俺の心を見透かすかのように牡丹は瞼を閉じ部屋を出ていく。


 妹ってのは兄の事を何でも分かっているような気がしていて怖い。



 狭い部屋の中で洗濯機の動く音だけが聞こえてくる。

 それに耳を済ませてただ呆然と浸った。


(そう言えば確かジュースを入れてしまったんだっけ)


 その事を思い出して俺は洗濯機のボタンをストップさせる。蓋を開けると一気にメロンソーダの匂いが鼻の中を刺激してきた。その独特な匂いに顔を顰め、急いで中から洗濯物をカゴへと取り出す。


 その途中で先程の牡丹の言葉が蘇ってくる。

 そして頭の中に一人の人物が浮かぶ。


(…………あいつと一緒にいて楽しいという気持ちはあるが……悪魔でそれだけだ……。それ以外の気持ちなんて俺には……って違う。何を考えているんだ俺は)


 自分の気持ちを振り払いながら後ろへと数歩後ずさる。


 すると鈍い痛みが背中に走るとともに一気に視界が天井へと変わった。


 …………おそらく床に置いていたペットボトルを踏んでしまい転けたのだ、と妙に自分らしからぬ冷静な思案にふけていると上から何かが降ってくるのが見えた。

 そしてそれはそのまま俺の顔へと覆いかぶさるようにして落ちてきた。


「お待たせしました! しっかりと洗ってきましたよ宗次さーー」


 凪の弾んだ声が途中で止まる。

 こんなあられもない姿を見ては無理もない。


「大丈夫、転けただけだ」


 俺は床に手をつき視界を塞いでいる何かを取り払う。

 しかし凪の方を見てみると何故か顔が真っ赤になっていた。


(俺が恥ずかしくて真っ赤になることはあっても凪が恥ずかしがることは何もーー)


 そう言って俺はまさかと思い手に握られているものへと視線を移し、自分の勘が外れてくれと願いながら恐る恐る手を開いた。


 しかし中から出てきたのはその期待を裏切るもの。

 白い柄にリボンのついた………………………………女性用下着だ。


「…………いや……これは」


 ゆっくりと凪がこちらに近づいてくる。

 殴られるのか、と歯を食いしばって目を瞑っていると手にあるそれだけを奪い取って立ち去っていった。



 うんともすんとも言わないその姿に俺は逆に怖くなって身の毛がよだっていく。

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