第9話 ケーキ① 天使と呼んで"マイシスター"



「………………て、………に」



 ―――何度も声が聞こえる。意識が完全に覚醒していないせいかその声は遠い。しかし自分の意識は朧げだが、その優しげな声を聞いて安心している自分がいた。

 布団越しにゆさゆさとその小さな手で身体を揺さぶっているが、それが逆効果だという事を揺する人物は知らないだろう。

 まるで自分が赤子になったかのような心地よさを感じる。



「おきて。おきて………朝だよ、にいに」

「ぅん………あと十分だけ」

「むー………わかった。あと十分だけね、そのあいだ………」



 もそもそと布団が擦れる音が聞こえるがリラックス状態に入っている暮人は気にする様子が無い。


 柔らかでぽやっとした天使の如く声を聞き二度寝。それが暮人にとっての最高で至福の時間だった。幸いにも今日は土曜日で高校は休日、しかも暮人は部活をしていないので家で自由に過ごせるのだ。


 学校も休みなので早起きする必要も無い。時間に追われる事も無いので最近色々・・疲れる事が多い暮人にとっては大切な彼女から起こされているとしても一秒でも多く寝ていたかった。



 しばらく睡魔とベッドの温みに仰向けで身を任せる暮人だったが、なんだか妙に熱い視線を感じた。しかもすぐ近くにいるのだろうか甘い匂いが鼻孔をくすぐった。


 不思議に思い、うっすらと目を開けながら横に正面を向けると、誰かがいることが分かった。



「………………(じーっ)」

「小梅………? あれ、どうして俺の布団に………」

「おはよう、にいに」



 そういうと、にこりと蕩けるような笑みを浮かべながら小梅はパジャマを着た暮人の胸に顔をうずめる。大きく息を吸い込むと顔を擦り付けるように抱き着いた。


 いつの間にか布団の中にいて幸せそうに表情を緩めながら抱き着いている少女の名前は如月きさらぎ小梅こうめ。現在中学二年生で十四歳。髪は兄である暮人と同様黒色で、髪型は右目を隠すようにしている所謂『アシンメトリー』型だ。

 容姿は平均身長よりは若干小柄で、綺麗というよりもカワイイ系の女の子で暮人自慢の妹。おっとりとした幼い口調が特徴的だが、もうまさに性格含め天使である。


 大体この年頃の女子中学生ならば兄妹である兄の事など路傍の石ころやゴミ屑の如く絶対零度の視線を向けられてもおかしくはないとのこと。どうやらクラスの男子に話を聞いたところによると、妹と一緒に出掛けるどころか、話したり視界に入れたり、さらには家にいる事や存在自体が嫌らしい。


 それを悲愴な表情で話していたクラスメイトは「リアルの妹なんて幻想だ………」と静かに涙を流していた。



 さぁ、目の前にいる妹と比較してみよう。兄の呼び方なんて「おい」とか「おまえ」といった反抗的なものではなく『にいに』だ。いや、反抗的でも十分可愛いのだが。

 もう一度言う、天使である。



「にいに、昨日は激しかったね………♪」

「んー、なんのことか全く記憶にないけど小梅お兄ちゃんの妹として生まれてきてくれてありがとう。愛してるよ!」

「あん………えへへ、小梅も、にいにと結婚したいくらい大好きだよ♪」



 こうした冗談をちょくちょく挟むところもキュートだ。ギュッと抱きしめかえす為に力を籠めると笑みを深めながら互いに抱きしめ合う。



「あれ、俺の部屋に小梅が来てから何分経った? たしか十分とか俺言ってたよね?」

「………うん、ちょうど・・・・十分だよ。にいにの体内時計は正確」



 小梅は少しだけ間をあけてからそう答えた。起き上がり、枕元に置いている目覚まし時計を探すも見当たらない。



「小梅、時計どこにいったか知らない? 寝る前まではあったんだけど」

「にいにの部屋に起こしに行ったら止まってた。下のリビングで電池探したんだけど、無かったから交換できなかったから下に置いたまま………ごめんなさい」

「そうだったのかぁ、わざわざありがとう。小梅は偉いなぁ、でも大丈夫! スマホがあるから!!」



 どこかの女神のようなドヤァとした笑みを浮かべた暮人が充電中のスマホの電源を付けると、時間表示が『九時十二分』と表示されていた。恐らく九時から起こしてくれていたのだろう。確かに休日の起床時間よりは少し遅いが十分許容範囲。しかも休日限定で愛するたった一人の天使、小梅が起こしてくれるのだからもうバリバリ今日は特に『良い』日になる筈。


 ―――お気付きだろうが、暮人は妹である小梅の事となると知能指数が著しく低下する傾向があった。



「よっし! 最近色々あったけど小梅のおかげで頑張れそうだよ」

「………あんまり無理しないでね、にいに。小梅も手伝うから」

「小梅は日頃から部活で疲れてるだろう? 気持ちだけですっごく嬉しいしこんな休みの日くらいゆっくりしてていいよ。じゃ、朝食の準備もしなくちゃだし着替えるから下で待ってて」



 暮人を気遣うように心配そうに見上げる小梅だが、そんな彼女の気持ちが嬉しくて思わず頭をぽんぽんと撫でながら答えた。


 彼女は女子バレーボール部に所属してて日々猛練習を積み重ねている。小柄な体躯を活かしたリベロのポジションで、なんと一年の頃からレギュラーメンバー入りを果たしているのだ。

 何度か応援しに行った事があるが、流石県大会ベスト8に連ねる強豪校。粘りに粘って熾烈な得点争いを繰り広げていたのが印象的だった。


 そんなわけで小梅の心遣いは嬉しいが、彼女には今学生にしかできないことを目一杯取り組んで欲しいという思いから炊事掃除洗濯事などの家事は全部暮人が引き受けていた。


 それなりに疲れるが、すべては小梅が充実した生活を送れるようにする為。



「わかった、にいに。待ってるね」



 彼女の肩を掴んで回れ右をさせる。暮人はそのまま扉の向こうへと送り出すと、朝食の準備を行なうために私服に着替え始めた。




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