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「クルトおじさーん!来たよー!」


 たぶん聞こえないだろうと思いながらもハンスは大声で呼んでみた。クルトの家は一階が仕事場であるガレージになっていて、二階にリビングや寝室がある。ガレージではいつものごとく大きなエンジン音が響き渡っていた。どうやら作業中らしい。


 クルトは亡くなったハンスの父の従妹で、ハンスは小さい頃から一歳年下の妹のゾフィーと共によくこの家に遊びに来ていた。広いガレージにはいつでも作業中の小型飛行機や戦闘機、レース用機などが置いてある。作業している様子をただそばで見ているだけでも全く飽きなかったが、おじさんが話す飛行機の仕組みや改造の仕方、航空技術についてやスターパイロットの英雄談まで、どれもこれもやたら面白くて、いつも話を聞くだけでワクワクした。そのことがハンスが飛行機に夢中になる原因のひとつになったことは間違いない。


 クルトの現在の職業はフリーの航空機エンジニアだ。昔は要請があれば軍や有名な航空機メーカーに赴くこともあったそうだが、どうやら組織の中で働くことは性に合わなかったらしい。現在は個人で航空機のカスタマイズや修理・製作を請け負っている。

 個性的な外見や言動から、他の親戚や近所の人からは変人と言われることも多いが、航空機エンジニアとしてはとても腕が立ち、業界ではけっこうな有名人だ。アトリア内だけでなく、ラスキア本土や遠くは外国からも沢山の依頼が来るほどだという。


 ハンスの父親であるフランツ・リーデンベルクは従妹であるクルトととても仲が良く、家族ぐるみの付き合いだった。母は妹のゾフィーを産んですぐに亡くなっていて、父はラスキア空軍のエースパイロットかつ将官でもあったため、家を空ける事が多かった。ただそのおかげでしょっ中クルトおじさんの家に行けたので、ハンスはほとんど寂しさを感じることもなく幼年時代を過ごした。

 年に数回だが、父が休みの日にはおじさんも一緒に海水浴や釣りに出かけたりして、今思えばあの頃が一番幸せな日々だったのかもしれない。突然父親が空軍基地の爆発事故で亡くなるまでは。


 返事がないまま広いガレージを進んで行くと、奥の方で機体の隣に立っているおじさんの姿を発見した。「おじさん!」と声を掛けようとした瞬間、エンジン音が止んでコックピットから人が立つのが見えた。


「いい感じだわ、さすがおじさんね!」


 ハンスは聞き覚えのある声にギクッとした。声の主であるパイロットに目をやってみると、案の定妹のゾフィーだった。


「あら、お兄ちゃんたち!いらっしゃい。」

 ゾフィーはすぐにハンスたちに気づき、全員に笑顔で挨拶した。

 肩まで伸びた少しくせのある栗色の髪を片方の耳にかけ、黒目がちな褐色の大きな瞳と整った口元に笑みを湛えながらこちらを見ている。

 その外見の美しさに加えて誰にでも分け隔てなく優しく明るい性格から、ゾフィーは学校でもどこでも人気者だった。

 そんな妹にハンスは若干憮然とした態度で文句を垂れる。


「…まさかおじさんにカスタムしてもらってるのか?自分の機体くらい自分でやれよ!」


 髪と瞳の色以外においては、誰から見ても美人と言われるゾフィーの顔と兄のハンスのそれとに大きな共通点を見出すことは難しい。ゾフィーは母に、ハンスは父にそれぞれそっくりだった。

 ただ、だからといってハンスの顔が標準より劣っているというわけでもない。たまたま周りの顔面レベルが高かったためか、特段ハンサムだと言われることもなくこれまでの16年間を過ごして来ただけだ。

 一言で表すならごく一般的なハンサム、といったところだろうか。栗色のサラッとした髪に生き生きとした褐色の瞳が印象的な少年だった。背はそこまで高いわけでもなく、顔は小さく首も細めで、一見すると華奢に見えてしまうかもしれないが、過酷な耐G訓練に日々取り組んでいるため制服の下には一般人以上の筋肉を有している。ただそれはあくまで操縦のためのものであって、喧嘩などの腕っぷしは精神の勇猛さに比べるとそこまで高邁なわけでもなかった。


「カスタムじゃなくてメンテナンスよ。私の機体はほとんど改造してないもの。ちょっとエンジンの調子が悪かったから修理してもらったの。」


 ハンスの文句をゾフィーはさらりと受け流す。こういうところは一歳年下のゾフィーの方が大人に見えた。

 それでもさらに注文をつけようとしたハンスを押しのけ、エリックとアルバートが我先にと口を開いた。


「ゾフィー、今日もきれいだな!今度デルシャトーまで食事に行かないか?いい店を見つけたんだ。」

「いや、俺とラサのレイストルで買い物しよう。ゾフィーになら何でも買ってやるよ。」


 ごく親しい仲間しか判別が難しいほどそっくりな顔に深緑色の瞳を光らせながら、双子は慣れた様子で同時にゾフィーを誘った。


「ありがとう、じゃあ今度の操縦訓練で私のタイムを抜いたらね。」


 ゾフィーがにっこりと笑って応えると、後ろから若者たちの様子を眺めていたクルトが声を上げて笑った。ゾフィーの確実で有無を言わせないあしらい方に画期的さを感じたらしい。


「そりゃ厳しいな!ゾフィーを抜くのは今や一流のレースパイロットでも難しいぞ。」


 クルトの言う通り、ゾフィーのパイロットとしての腕は飛び抜けている。それはまさに生まれつきの才能としか表現できない領域のものだった。


 ハンスはゾフィーより一年先に学校の代表パイロットとなったが、未だかつてレースでゾフィーに勝てたことはない。ハンスだけでなくアトリアのほとんどのパイロットがそうだ。ゾフィーのレースでの成績は、ゾフィー自身がレースに参戦するようになった一年前からほとんどダントツの一位なのだから仕方がない。


 ハンスは父を亡くしてから唯一の家族となったゾフィーをもちろん大切に思っているが、操縦の腕にだけはどうしようもない嫉妬心を抱いてしまう。父親の才能を受け継いだのが自分ではなく妹だったという事実に対して。

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