【ユフィーリア・エイクトベルは生かさない】

 御者台ぎょしゃだいで巧みに馬車を操るユフィーリアだが、実は馬車に乗ったことなど今日が初めてだった。――正確には馬車をまともに運転したことは、今日が初めてだった。

 初めてでも意外とできるものか、自分の潜在能力って恐ろしいななどと自画自賛しながら、ユフィーリアは王国の追っ手から逃れる為に適宜馬へ鞭を入れる。加減が分からないのだが、落ち着いてやらなければ岩をも砕く豪腕によって馬が死んでしまう可能性がある。

 一見すると長閑のどかな草原の風景が、後方へ流れていく。追いかけられているという状況でなければ、きっとのんびりと楽しみながら旅でもしていたことだろう。先ほどユウがとんでもない魔法を使ってワイバーンとかいう最強の追っ手を殺したらしいが、それから追っ手の様子は音沙汰がない。


「なあ、そろそろ馬を休ませねえと死ぬんじゃねえか?」

「よほどのことがなければ馬は死なないが、休ませることには賛成だ」


 うむ、と金髪の男装少女――ユノが豊かな胸の下で腕を組み頷いた。たわわな果実が強調されるような体勢を好むようだが、ユフィーリアにとってはありがたいことである。眼福眼福。

 馬車がゆっくりと速度を落とし、やがて停車する。ここまでよく馬車を引っ張ってくれていた馬がぶるるといななきを上げ、ユフィーリアがたてがみを撫でてやると頭をこすりつけてきた。なかなか可愛いものだ。


「お水とか飲みますかね……?」

「この草原のど真ん中で水なんて探せねえだろ。まさか出すの?」

「あ、はい。攻撃魔法でも、生活に使えるものはよく使っています」


 ユウが馬車の荷台から降りてきて、鎖によって雁字搦めにされた魔導書に手をかざす。「水術・第一番魔法アクアリア」と彼が呟くと、藍色の光を放つ魔法陣が虚空に浮かび上がり、水でできた球体を形作った。

 それを馬に差し出すと、おそるおそる鼻先を近づけた馬が、やがて美味しそうに水を飲み始める。魔法によって生み出された水だから生物に悪影響でも与えるかと思ったのだが、どうやら杞憂に終わった。


「にしても、こんなだだっ広いところをいつまで逃げればいいんだい。終わりの見えない追いかけっこなんて不毛な遊びはそろそろやめて、本格的にどこか遠くに転移でもしたらいいんじゃないかい?」

「この世界の座標を知ってりゃ転移でもなんでもすりゃいいけど、変なところに飛んだ途端にオレらも死んだら洒落になんねーぞ」


 そろそろ逃亡劇にも飽きてきたらしいユーリが文句を垂れるが、唯一の常識人であるユーイルが却下を唱えた。彼の言葉に反論することなく、ユーリは「ケッ」とふてぶてしくそっぽを向いた。

 確かにユーイルの意見は正しいものだが、終わりの見えない不毛な鬼ごっこにも終止符を打つべきだろう。水を飲む馬を撫でるユフィーリアがなにか王国の追っ手を相手に決定打となるような戦術を考えていると、荷台にいまだ残ったままの狙撃手――ユーシアが「やばいぞ!!」と切羽詰まった声を上げる。

 転がり落ちんばかりに幌を跳ね上げて、ユーシアは御者の役目を担うユフィーリアに叫んだ。


「なんか空からくるぞ!! 早く馬車を出した方がいい!!」

「あ?」


 空から? とユフィーリアは空を見上げる。

 天魔でも降ってくるのかと思いきや、それは唐突に草原のど真ん中へ流星の如く落ちてきた。

 衝撃によって土煙を巻き上げ、爆風がユフィーリアの外套を揺らし、他の六人の髪や服を容赦なく乱していく。「遅かった!!」とユーシアが嘆いて白銀の狙撃銃を構えるが、土煙の向こうから現れた人影に息を飲む。


「姫君をお返し願おうか、反逆者」


 視界を覆う土煙を振り払い、美しい女性が現れる。

 真紅の甲冑に身を包み、その背中からは天使を想起させる鋼の翼が伸びている。風で揺れる真っ赤な髪の毛は炎を彷彿とさせ、冷徹な眼差しは氷の如き薄青を帯びている。真っ赤な紅を引いた唇からは鈴の音のような美しい声が紡がれるが、言葉は全く温度がない。

 女性は腰から佩いた剣を鞘から抜き放ち、馬車に突きつける。ユウが「ぼ、防御の魔法陣を!!」と魔導書に呼びかけるより先に、ユフィーリアが女性に向かって駆け出していた。


「ひゃっはー!! 美人なおねーさん遊びましょーう!!」


 口調だけ見れば狂った馬鹿のようにも、軽薄な男とも受け取れるが、しかし振り上げた拳には渾身の力が載せられていて、空気を引き裂いてユフィーリアの殺人級の威力を誇る拳が女の横っ面めがけて放たれる。

 しかし、女は冷静にユフィーリアの拳を避けた。受け止めようなどという愚行はしなかった。

 薄青の瞳でユフィーリアを睨みつけた女は、背筋が凍るような冷たい声音で言う。


「退け。さもなければ殺すぞ」

「おうおう、綺麗なツラして一丁前に啖呵たんかを切るじゃねえか。この世界の甲冑人間には消化不良だったからな、ここでお相手願えねえモンかな」


 ユフィーリアは大胆不敵に笑って喧嘩を売ると、馬車から「ダメよ!!」とエッタが叫ぶ。


「ダメ!! 騎士団の団長であるティオナには敵わないわ!! だって彼女、最強って言われてるのよ!?」

「奇遇だな、俺も最強って呼ばれてんだよ。ちょうどいいや、どっちが最強か競ってみるのも悪くねえな」


 エッタに止められているのにもかかわらず、ユフィーリアはやる気である。彼女の頭の中ではすでにいくつもの戦術が組み立てられていて、さて彼女に有効打となるのはどれか思案する。

 同じく召喚された六人は、面倒な相手はさっさと押しつける主義らしい。御者台にはユノが座り、ユフィーリアの背中に呼びかけてくる。


「ではな、ユフィーリア・エイクトベルよ。速度はなるべく遅くしておく故に、走って追いつけ」

「おう、任せとけ。入り口に誰も立たねえようにしろよ」


 ひらひらと馬車を追いやって、ユフィーリアは最強と名高いティオナ団長とやらに向き直る。

 彼女は早くエッタを連れて帰りたいようだったが、ユフィーリアが退かないと見ると、仕方がないとばかりにため息を吐いた。


「相手してやろう。さあ、その腰の得物を抜け」

「抜きたい時に抜くわ」

「ふざけているのか」

「おねーさんこそ、俺の前に立って生きて帰れると思わないでな?」


 ユフィーリアは爽やかな笑みを浮かべているが、もとよりそのつもりだった。

 ――

 殺したいから、ではない。この場で片づけなければ、きっと今後逃げる時に邪魔者になりそうだからだ。

 ティオナはツンと高い鼻をつまらなさそうに鳴らすと、剣を逆手に持って地面に突き刺す。なにをしているのかと思いきや、足元の地面が爆発して土煙を巻き上げる。

 しまった。

 ユフィーリアは胸中で舌打ちをした。飛び退って土煙を回避するが、その向こうから突進してきたティオナに反応が遅れる。


「チッ、すげえな!! さすが最強の二文字を背負ってるだけあらァ!!」


 突進してきたティオナが握りしめる剣を間一髪のところで躱したユフィーリアは、ティオナの鳩尾に拳を叩き込む。ぐわん!! という金属がひしゃげるような音が耳朶に触れたが、ティオナが苦しんでいる気配はない。

 ティオナは剣を振り回して、烈風を巻き起こす。ユフィーリアの銀髪がさらに乱れ、土煙が視界を奪う。

 目に見えているものを切断するという能力を持つユフィーリアにとって、視界は最大の弱点だ。目を潰されてしまえば戦えなくなるし、能力を発動することもできない。

 どうやら、このティオナという女騎士とは非常に相性が悪いようだ。


「どうした。あれだけ啖呵を切っていたのに、貴様は攻撃してこないな?」


 鳩尾をぶん殴ったというのにケロリとした様子のティオナが、烈風を巻き起こしながらせせら笑う。

 馬鹿にしたような彼女の態度に若干の苛立ちを感じたユフィーリアは、外套の裾から閃光弾を滑り落とす。一見すると爆弾にも見紛う閃光弾だが、ティオナはきちんと爆弾だと勘違いしてくれたようだ。

 薄青の瞳を僅かに見開いた彼女は、閃光弾を風の刃で切断する。切断された衝撃で網膜を焼かんばかりの光の乱舞が発生し、ティオナが目を押さえて「ううッ」と唸るのを聞いた。


「――【銀月鬼ギンゲツキ】!! 頼む!!」


 その隙に、ユフィーリアは己が契約した天魔に叫んでいた。

 すると、手のひらに雪の結晶が集まり始める。快晴の空から降ってきた雪ではなく、どこからか自然と湧いて出てきたもののようだ。ふわふわと柔らかな雪が集まって、徐々にその姿を変貌させていく。

 彼女の手の中に宿ったのは、白鞘に納められた大太刀だった。手にしてみるとあまりにも軽く、さながら羽のようである。やはりこの軽さには慣れず、ユフィーリアは思わず「軽すぎ!!」と悪態を吐く。


(閃光が晴れたら、その時!!)


 目が眩むほどの閃光は、だんだんと薄くなっていく。

 強く地面を踏み込んだユフィーリアは、光の中で目を覆い隠す赤い甲冑の女騎士を視線の先に置く。彼女はまだ気づいていないようだった。せっかくユフィーリアの視界を奪うという最高の戦法を取っていたのに、閃光弾一つで終わりを迎えてしまうとはなんとも呆気ない。

 しかし、なかなかに楽しい戦いだった。せめてもの幕引きは、断末魔すら上げることを忘れるほどの安らかな永眠を。


「おり空――」


 地面を蹴飛ばすと同時に、時を置き去りにする。

 光が薄れてきた時にはすでに遅く、ユフィーリアは白鞘の大太刀を抜き放っていた。煌めく刀身の色は薄紅、赤い軌道を虚空へと描いていく。

 ぎらりと輝く刀身は、真っ直ぐにティオナの細首を掻き切った。

 一度鞘に刀身を納めて、もう一度抜刀。今度はティオナの胴体を切断する。

 もう一度。今度は、ティオナの持つ剣を。

 もう一度。今度は、ティオナの左足を。

 もう一度。今度は、ティオナの両腕を。

 合計、五度。


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 置き去りにした時間が戻ってくる。

 恨みつらみを孕んだ呪詛すら残すことはなく、全身をバラバラにに切断されてしまったティオナは、静かにこの世から去る。ユフィーリアは死んだ彼女に振り返りすらしなかった。

 薄紅の大太刀を払って、白鞘に納める。風の音に紛れてチンという鍔鳴りの音を聞くと、ユフィーリアの感覚は通常のものへと戻ってきた。全身を渦巻く倦怠感が酷く、できることなら歩きたくも走りたくもない。

 それでも、仲間を乗せた馬車は先に進んでしまった。どれほどの距離があるのか分からないが、とりあえず走った方がよさそうなのは確かだ。


「あー、使わなきゃよかったー」


 悪態を垂れながら、ユフィーリアはうだうだと走り出す。

 生温い風が、彼女の頬を撫でた。

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