第3話 闘乱と少年
「なんだコイツ! おいお前達何やってんだ、早くコイツをやれ!」
「おう!」
血を流した腕を庇いながら、主導者の男が叫ぶ。周囲を取り囲んでいた男達が、各々に剣や棍棒といった武器を取り出す。少年は冷静に周囲を見渡して、短剣を胸元に構えた。
動かないで、と言われた気がして、スズネはその身をさらに縮込める。スズネを背に庇うようにした少年に、正面にいた骨ばった顔の男が銅剣を振りかざして突進してきた。
「おらぁ!」
「単純」
剣を短剣で容易く受け流した少年が、同時にその身をひらりとかわす。がむしゃらに振り回される剣筋は癇癪を起した子供を連想させた。彼等はその武器を持っていようと、その扱いに慣れている訳ではないらしい。
対して少年は、短剣という武器に慣れているように見える。何処かで警衛を務めていたのかもしれない。自分の武器よりも二回り長い剣身に対して、短い剣身で的確に対処をする少年は、軽い身のこなしで難なく男たちの攻撃を受け流していく。自身にもスズネにも傷を作らない完璧な立ち回りに、とうとう痺れを切らした主導者の男が叫ぶ。
「全員でかかれ!」
いくら少年が強くとも、四方を囲まれたこの状況では分が悪い。どれだけ強い人でも、数の前には膝を突かなければならない。だからこそ、一騎当千の戦士が英雄視されるのだ。そして、英雄と呼ぶには、目の前の少年はあまりにも心許ない。
馬の嘶きと共に、六人の男たちは一斉に少年目掛けて突進を仕掛ける。少年は顔色一つ変えずに、ただ一本の短剣を握りしめていた。
「危ない、逃げて!」
思わずスズネが喉から絞り出した悲鳴に、少年が瞬きを一度する。決してスズネに視線を向けなかった少年は、それが返答だと言わんばかりに、腰を低くして迎え撃つ体制を取った。
いけない。頭の中に、無残な姿に変えられた少年の姿が思い浮かぶ。
いけない。駄目だ。こんなの、絶対に。
心臓が激しく高鳴る。ときめきでも恐怖でもない。どちらにも似つかない感覚に、スズネは足に力を込めた。
私のせいで誰かが傷つくなんて、あってはならないことだ。
衝動のままに勢いよく立ち上がったスズネに、少年が驚いたように目を見開く。それまで何があろうとも動揺していなかった少年の口から、初めて戸惑ったような「え」という声が漏れた。
六人の男に警戒はすれども、まさか守護対象の少女の動作になど気を配っていなかったのだろう。それまで大人しくしゃがみ込んでいた少女が、突然立ち上がるなど思わない。さらに言えば、自分に向かって何かを仕掛けてくるだなんて、誰が想像できようか。
恐ろしい攻撃をあれだけ避けた少年は、スズネの抱擁を避けることができなかった。
「ちょ、ちょっと、キミ!」
焦ったような少年の声など、スズネには聞こえない。この人だけは守らなくてはならない。使命感に駆り立てられたスズネは、刃や棍棒が決して彼を傷つけないように、と、少年の頭を胸に抱きかかえる。少年が抵抗するようにスズネの肩に手を置いたが、その瞬間、男たちは二人のすぐ近くまで迫ってきていた。
四本の剣と二本の棍棒が振り上げられる。六つの凶悪な影がスズネの頭上にできあがるのを見て、スズネはキツく瞼を閉ざした。
この人だけは守らなければならない。
そもそも、スズネが良く確認もせずにこの男達に声を掛けたのが原因だ。それを助けるために立ちはだかってくれた少年の行動は、きっと勇気という言葉が良く似合う、素晴らしい行為なのだ。
だからこそ、その勇気を誰か見知らぬ存在のために振り絞れる彼を、こんなところで傷つけてはいけない。こんな男達を相手にしていたら、こんなにも心優しい少年が死んでしまう。
この人だけは守らなければならない。
例え命に代えても。
この人だけは。
「…………」
衝撃が来なかった。いつまで待っても、スズネが想定していた鈍い衝撃や鋭い痛みは襲ってこない。
不思議に思っていると、少年の腕が力任せにスズネを引き剥がした。あ、と声を零すと同時に思わず目を開けたスズネは、目の前の衝撃的な光景に、目を丸くする。
水が宙に浮いていた。青く透明な水が、まるで意思を持っているかのように揺れ、宙を漂っている。周囲に川や池のような場所は存在せず、存在していたとしても、このような現象が起こるとは考え難い。
その水はスズネと少年を守るように頭上に輪を作って浮かび上がり、男たちの武器を受け止めていた。ただの水、と考えるには、少々粘度が高い様に見える。水の輪の中に男達の武器はとり込まれ、奪われてしまった。
「ひっ、何だこれ!」
「武器が、俺の武器が!」
目の前の信じ難い光景に、男達が口々に恐々とした声をあげた。蒼褪めた男達は得体のしれない水から距離をとろうと馬の手綱を握ったが、それを引くより先に、頭上の水がその形を大きく変形させた。
輪っかだった水は球体になり、その表面を蠢かせている。まるで生物のように。球体の表面から、おびただしい量の細長い手を発生させた。透明な水の手は不気味な動きで男達の手や首を拘束する。そうして、捕まった内の誰かが悲鳴をあげるのと同時に、球体の中へとあっという間に引きずり込んでしまった。
「……なに、これ」
唖然とするスズネの眼前には、水の球体の中で苦しそうにもがいている男達の姿がある。取り上げた武器は全て、男達を拘束する大きな水の檻から小さな水の球体の中に一纏めにされていた。
男達は、がぼがぼと音を立てて口から気泡を吐き出しながら暴れる。その様子は酷く苦しそうに見えた。本当に水に溺れているような仕草だが、ここは平野である。どんなに泳ぎが下手な人間でも、溺れようがない。しかし、今目の前で、こうして実際に溺れている人がいるわけで。
「何やってんの、君」
混乱して真っ白になりかけた頭を正気に返らせたのは、その場に落ちた冷たい声だった。先ほどの少年のもの……ではない。少年が面倒くさそうな顔をして――小さな舌打ちと共に――視線を背後にやる。慌ててそれを追いかけたスズネは、いつの間にか、そこに立っているもう一人の少年の姿に気が付いた。
深い夜を思わせる漆黒の黒髪の下で、深い青の瞳がこちらを見据えている。その瞳からは温度を感じさせず、スズネは、酷く冷たい水中のようだな、と思った。
黒い手袋に覆われた右手を真っ直ぐに伸ばした黒髪の少年は、仏頂面のまま視線を二人に向けていた。否、その視線の先にスズネは映り込んでいないのだろう。黒髪の少年は、冷たい声で言葉を紡いだ。
「一人で突っ込んでいったかと思えば何でこんな奴ら相手に手間取ってるの? ダッサ」
「言っておくけど、僕は普通に戦ったらマナを使わずにコイツ等に勝てるよ。キミと違って」
「君の尻ぬぐいしてあげるためにわざわざ使ってるんじゃん。俺だってそのくらい余裕なんだけど」
「頼んでない」
「でも助けなかったら危なかったよね?」
今にも互いに斬りかかりそうな険悪な雰囲気に、スズネは肩を震わす。目の前の少年は――今度は一際分かりやすく舌打ちをしてから――スズネに視線をやった。
皺寄った眉間から、この少年が何かを怒っているのは容易に想像がついた。男達に負けず劣らず顔色を蒼くしたスズネに対して、少年は口を開いた。
「キミ、大丈夫? 怪我はない?」
「……え?」
「あんなときに飛び出しちゃ駄目だよ。危ないでしょ?」
瞬きをしている間に人が入れ替わったのかと思うような、優しい声音だった。まるで悪戯をした子供に言い聞かせるような口調に、スズネは困惑する。先ほどまで舌打ちをしたり鋭い目付きをしていたというのに、別人のような対応である。
スズネが返す言葉に困って黙っていると、少年は不思議そうに小首を傾げた。その沈黙を、どう解釈したのだろう。少年は三秒の空白の後、「ああ」と納得した声を上げて微笑んだ。
「僕の名前はヨル。よろしくね」
「……す、スズネです。よろしく、お願い、します」
決して、名前が分からなかったから黙っていた訳ではない。けれども、少年の――ヨルの穏和な微笑みを見ると、そんなことは言えない。もしかしたら、先ほどの黒髪の少年への対応は夢か幻覚、幻聴だったのかもしれない。そう思いながら、スズネも彼をなぞってたどたどしく名乗った。
ヨルはその美しい双眸を細めて笑う。彼の美しい表情に惚けたスズネは、それ以上見つめ合っているのが何だか気恥ずかしくなって、慌てて顔を俯けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます