「死ねない聖女と、死にたがりの私。」(1)


     *


 ――恋とは、呪いのようなものだ。


     *


 昼下がりの「箱庭」。その片隅にひっそりと鎮座する、温室庭園。

 誰がこんなものを建てようと思ったのか、天井にはガラスの代わりに投影装置が張り巡らされた凝った造り。植わっている木々や草花も全てが造花だが、そのラインナップ自体は東西南北の多種多様を表現している。

 そんな温室庭園の、その中心部。ヒナギクの花がいっぱいに敷き詰められた中央に置かれたティーテーブルについて、私は本を読んでいた。

 本と言っても、単なる戦術解説書。図書室に置いてあったものをなんとなく持ってきただけなので、読んでいて面白いものでもなかったが――要するに私は、暇だったんだろうと思う。

 ページを捲るたび、難解な文言が並ぶ。恐らく作戦部の将校あたりのために書かれているのだろう、内容はかなり高度だったが、理解が及ばないわけではなかった。

 発生初期から頭に電極を付けられて圧縮学習を叩き込まれた「聖女」の知的水準は、常人のそれとは比較にならない。この程度の内容であればその骨子を、その要点を了解することも造作はなかった。

 ……無論のこと、「秘蹟」を行使してことに当たる私たちには、そこに書かれているような一般的な戦術はあまり役に立つとも思えなかったが。

 ならば何故、と問われるかもしれないが――先も言ったように、暇を潰すためだ。

 戦場から帰投した「聖女」には、二週間ほどの精密調整期間が義務付けられる。その間は検査や診察の時間を除けば、基本的には訓練などもなく時間を持て余すのだ。

 投影装置によって月夜が映し出された天井。その冷たい輝きの下、本を読んでいるうちに軽い眠気がじんわりと体を包む。小さく生あくびをしながら、私は再びページを捲ろうとして――するとそんな眠気を打ち破るような、よく通る声が響いた。

「ここのえー。ここのえちゃーん」

 聞き覚えのある声。呼ばれた「ここのえ」こと私……A-009は、ため息をつきながら視線だけそちらへと遣る。

 そこに立っていたのは、み空色の長い髪をした一人の少女だった。

 彼女はA-004。009たる自分よりも少しだけ製造が早かった、いわば姉妹のようなものである。

 ただの兵器にすぎない自分たちに、「姉妹」なんて形容が正しいのかは疑問だが。

「ねえねえ、こーこーのーえー! おーい?」

 あえて無視を続けているのにも気付かないのか、こちらに近付いてきて、ぶんぶんと手を振ってみせる彼女。そんな彼女に小さくため息をつきながら、私は口を開いた。

「読書の邪魔です、A-004」

「えー、そんなこと言わずにさ、お話しようよ。暇なんだもん」

 そう言って、私の返答も待たずに向かいの椅子に勝手に座る彼女。

 少しばかり不便そうに持ち上げたその右腕が、テーブルにあたってかしゃりと音を立てた。

 ……A-004。彼女のことを、それほどよく知っているわけではない。

 知っていることと言えば精々、彼女が少し前の出撃の際に大怪我をして、右腕を喪ったらしいということ。

 そしてその怪我が原因で、彼女は「故障」したのだということ――その程度だ。


「それと、九重ここのえ。『A-004』って呼ぶのは禁止。私には四月よづきっていう、とっても素敵な名前があるんだから」

 こちらを向いて唇を尖らせる彼女――A-004もとい「四月」に、私は露骨に眉根を寄せる。

「……自称するのは勝手ですが、人のことまで変な名前で呼ぶのはやめてください」

「変じゃないよ。いい名前でしょ? 『九重』」

 そう言ってにこにこしながら私のことを「九重」と呼び続ける彼女に、私は辟易として肩をすくめる。

 四月が「故障」するに至った出撃。一体どこで何をしてきたのかは知らないが、彼女がそこから持ち帰ってきたのは――「名前」だった。

 「箱庭」の聖女たち。製造番号によってのみ呼称されるはずの私たちひとりひとりに、彼女はあろうことか、名前をつけたいなどと言い出したのである。

 まったくもって、何を思ってそんなことを考えついたのかは謎そのものだが。……そんな思いつきみたいな四月の発案に、対する聖女たちの反応もまた、適当そのものだった。


『あー、いいね。便利だし』

『確かに。番号だけでも事足りるが、少しばかり味気ないからね』

『何で今まで思いつかなかったんだろーね、名前』

 ……と。上の姉たちの反応は概ねそんな好意的なもので。他の妹たちも同じようなものか、精々が「どちらでもいい」という消極的意見のみ。反対する声もなかったために、結局四月の発案はあっさりと可決されてしまった。

 ……私一人の反対だけを、置き去りにして。


「むう。九重は強情だなぁ。仕方ないから受け入れてくれるまでは、今まで通りきゅーちゃんって呼ぶことにするよ」

「その呼び方も甚だ納得し難いものですが」

 顔をしかめながらそう返して、私は正面の四月を静かに睨む。

「私は、名前なんていりません」

「えー。せっかくいい名前なのに。なんでここ……きゅーちゃんは、イヤなの?」

「それは……」

 義手の右腕で器用に頬杖をつく彼女に、私は少しだけ口ごもった後、首を横に振る。

「……貴方に言う義理もありません。そろそろ失礼します。私――貴方と違って暇じゃないので」

 皮肉のつもりで返したのだが、四月はというとまるで気にする様子もなく、立ち去ろうとする私に呑気な顔で笑いかける。

「そっか。またねー、九重」

 ……もう、訂正する気にもならなかった。


     *


「こーこーのーえー。何読んでるのー?」

 それからというものの、四月はやたらと、私に絡んでくることが多くなった。

「どうでもいいでしょう。……あっち行って下さい」

 温室庭園のティーテーブル。真向かいに座る四月に、私は一切の取り繕いもなしにつんけんと言い放ったが――彼女はと言うと全く動じる様子もない。

「んもう、つれないなぁ、九重は。せっかくだし一緒に読書しようよ」

 名前で勝手に呼ぶな、と言いたいところだったが、いくら言ったところで一向に改める様子もないためにもはや抵抗する気も失せた。

 なんとものらりくらりとしていて、掴みどころがないのだ、彼女は。

 嘆息しながら私は彼女を無視することに決めて、手元の戦術書に目を落とす。すると彼女の方も勝手にそこに居座り始めて、何やら自分も本を取り出し始めた。

 分厚い装丁の私の本とは違う、ハンドサイズの安っぽい装丁。図書室にはよく通っているけれど、見覚えのないものだった。

 そのせいだろうか。私はつい、あろうことか彼女に向かって口を開いていた。

「……貴方は、何を?」

 すると四月は少し意外そうに目を丸くして。それからすぐ、嬉しそうにふんわりと笑って自分の本の表紙を見せてくる。

「よくぞ訊いてくれました。見てみて、こんなの図書室にあったのよ」

 表紙に描かれているのは男女が抱き合っているイラスト。そしてタイトルは――なんだか頭が痛くなってくるような、ひと目でそれと分かる恋愛小説の類だった。

「……貴方」

「あー、何その顔」

「バカにしてるんです」

 訊くんじゃなかった、と脱力しながら呟く私に、四月は子供みたいに頬を膨らませる。

「もう、お姉ちゃんに対する礼儀がなってないよ」

「数ヶ月程度しか違わないでしょうに」

「それでも九重よりは色々知ってるよ」

「例えば?」

 そう問うと、彼女はきょとんとした顔で首を傾げて。

「ええと、うーん。……何だと思う?」

 ……知ったことか。


     *


「九重は、恋ってしたことある?」

 いつものようにティーテーブルに座って本を読んでいると、四月は唐突にそんなことを言い出した。

「何を藪から棒に」

「だから恋だって。らぶ」

 一瞥すると、またどうやらこの前とは別の恋愛小説を読んでいたらしい。……この「箱庭」の図書室になぜそんなものがラインナップされていたのかは甚だ疑問だが――大方A-003あたりが出撃した帰りにどこかから持ってきたのだろう。あの姉はそういう聖女だ。

 何やら目をきらきらさせながらこちらを見つめる四月に、私は大きくため息をついて首を横に振る。

「恋なんて、そんなもの、あるわけがないでしょう――って、なんですかその得意げな顔は」

「ふふーん。べつにー。九重はまだまだお子ちゃまだなぁって、そう思っただけー」

 腹立たしいまでのドヤ顔でにまにまする彼女。鬱陶しいにも程があるので、私は思わず売り言葉に買い言葉を返してしまう。

「……そういう貴方は、あるとでも?」

 恋愛小説に影響されて吹かしているだけだろう。そう思っての問いにしかし、彼女はあっさりと、首を縦に振ってみせた。

「うん、あるよ」

「……は? いつ、どこで」

「秘密」

 人差し指を唇に当ててそう言うと、四月はいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「九重は、興味ある?」

「……別に。そんなもの、私たちには不要ですから」

 ぷいとそっぽを向きながら、私はぶっきらぼうにそう返した。

「私たちは、ただの兵器です。兵器に、恋なんて必要ありません。そんなもの――何の意味もない」

「そんなこと、ないよ」

 私の言葉にそう告げて、彼女は柔らかな表情を浮かべたまま目を閉じる。

「誰かを好きになるとね、その人のことを考えてるだけで、すっごく楽しくなるんだよ。朝起きた時にも、お昼ご飯を食べてる時にも、夜寝る前にも、ふとした時にその人のことを思い出して――胸がどきどきして、きゅーっとして。でもその人に会えないって思うと逆にすっごく、悲しい気持ちにもなる」

「……理解しかねます。そんなの、不便なだけじゃないですか」

 戦場において、メンタルコントロールは重要なものだ。彼女の言うような「どきどき」だとか「きゅーっとする」だとか、そんな不確定要素はノイズにしかならない。

 ……なのに。

「ううん、そうでもないよ。だって」

 そう言って首を横に振ると、彼女はその深い青色の瞳で私を見て、静かに笑う。

「恋をした女の子はね、絶対に死ねなくなるんだから」

 その、底抜けに幸せそうな笑顔に。

 私はしかし、冷え切った心のまま、ぽつりと呟く。

「……下らない」

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