第41話  細雪のぺリメニ

 『細雪』の中で、こいさんこと四女妙子の人形製作のお弟子さんの外国人との交流の場面がある。そのお弟子さんが露西亜人で、品数豊かな食卓の様子が描かれている。ロシア料理というと、ピロシキやボルシチ、サモワールでいれるロシアンティーなどが、ぱっと思い浮かぶのではないだろうか。ただ、私は、食にまつわることをサークル誌に書いていたこともあり、ネタ探しの中で世界の料理の豊かさに触れており、ロシア料理についても知識として知っていた。


 調べた中で興味深かったのは、ザクースカと言われる、ロマノフ王朝時代のロシア料理の特色といえるオードブルだ。招待客は、ディナーの前に、食前酒のウォッカをあおりながら、ザクースカをつまみ味わい、歓談して胃をあたためるというわけだ。あたたまり過ぎるような気もするが、そこはお国によって胃の鍛え方が違うのかもしれない、もちろん、体質にもよるが。


 そうしたお客を招いてのディナーでは、ディナーテーブルとは別に、ザクースカのテーブルが設えられていた。細長い長方形のテーブルを用意し、テーブルの両端にウォッカなどの酒壜を並べ、その間に多彩な料理を並べるのだ。

 ザクースカは、ざっと見渡しただけでも、ホワイトソースであえたサーモンをブリオッシュで包んだサーモンのクリビアック、タラやウナギ、マナガツオなどの燻製、そば粉入りパンケーキのブリニを添えたキャビア、キュウリのピクルスのロシア漬、野趣溢れる雉のパテに鴨のテリーヌ、ロシア風サラダはゼリー寄せにしたり、海老や牡蠣、鮑などの海鮮も冷製やカナッペ、白ワインで煮て、ポーク料理のつけ合わせにはそばの実があり、ピラミッド型のロシア正教会の復活祭にちなんだチーズケーキパスハなど、山海の恵み満載だった。

 ディナーよりもゴージャスで、これが前菜だということに驚愕したのを覚えている。

 

「ザクースカって言うんだって。ロマノフ王朝のゴージャス料理。日本の洋食の歴史の本に載ってた。写真が白黒なのが惜しい。現代の技術で彩色してくれないかな」

「再現できるんですか、先輩」


 後輩たちは興味津々だ。


「さすがに、無理。予算的に」

「予算があれば、できるってことですか」

「ものすごーく時間はかかるかもしれないけど、できなくはないんじゃないかな。火を通さないものも多いし。フランス料理風な凝ったソースは、一部を除いて使ってないみたいだし。素材にこだわりのある料理みたいだから、新鮮なものが手に入れば、それを手際よく調理したら、近いものになると思う」

「予算がポイントですか。これは、避けて通れない点ですね」

「サークルの会計さんが、ザクースカ募金でもしてくれたら、できるかもね」

「募金って言っても、万札入れないとだめなんじゃないですか」

「確かに」


 後輩とやりとりしている間に肝心のぺリメニについて調べていなかったことに思いあたった。つい、珍しいものの方に気がいってしまう。基本をすっ飛ばして。


「ぺリメニは、ザクースカにはなかったかな、確か」

 

 学生の頃は、ロシア料理の店へ行ったことのある者はそうはいなかった。都内にもロシア料理の店はあったが、ぺリメニを食べたという話は聞かなかった。メニューにはあったかもしれないが。

 私は、学生街の老舗の店に連れていってもらったことがあったが、ボルシチオンリーだったように思う。

 あとは、鎌倉に遊びに行った時に、小町通りの老舗で、ピロシキとボルシチを食べて、ジャムが添えられたロシア紅茶を飲んだという記憶がある。その店は、ピロシキの人気が出てからは、並ぶようになってしまい、店の場所も変わってしまったらしい。そこのピロシキは、アメリカンドッグのようにこんもりと丸くて、弾力のあるパン生地に肉あんがぎゅっと詰まっていた。


「ぺリメニは、腹持ちがよさそう」

「皮が小麦粉でラビオリのイメージだから、主食のパスタと言えるかも」


 後輩たちがぺリメニについてしゃべっている。


「どうやって作るのかな」

「画像ない、検索しよ」

「あ、あったあった」

「なんか、水餃子っぽくない」

「そうだね」

「そういえば、ロシアの中でもシベリア料理とされてるんだって」

「へえ。寒い国の中でもさらに寒い土地の料理なんだ」

「バターとか、発酵乳製品のスメタナなんかをかけて食べるみたい」

「濃厚そう」

「中の詰め物は、ひき肉だけだから、餃子とはそこが違うかも」

「つなぎのないハンバーグみたいな」

「それは、ちょっと違うんじゃない」

「羊の肉とか入れるのかな」

「ビーツは入れないんだね」

「それは、ボルシチ」

「魚のスープ、ウハーだって、魚も食べるんだ」

「そりゃ、バイカル湖もあるし、海にも面してるとこあるし」

「チョウザメ、北海道の水族館で見たことあるけど、巨大化してたよ、こわかった、水中で出会いたくない魚ベスト10に入る」

「出会いたくなくても、キャビアは出会いたいよね」

「キャビアよりウニの方がいいな」

「イクラもね」


 そこから話が、北海道のウニ丼やらイクラ丼やら牡蠣めしやらイカそうめんやらに飛んで、後輩たちがわやわやと騒いでいると、突然、よく通る声がした。

 

「『……伊太利料理のラビオリなどに似た、饂飩粉を捏ねたようなものが浮いてゐるスープ』」


 泊愛久の声。

 彼女はすらすらっと暗唱すると、無駄のない仕草で、作業にとりかかった。


「さすが、泊先輩」

「ちゃんと読めば書いてあるってことじゃない」

「そっか、読まないと、えっと、何ページかな」

「ったく、だめだめだね、私たち」


「漱石のカレーライス、太宰の斜陽スープあたりだったら、帰るとこだった」と、彼女はさらっと言った。


「はぁ、さすが、先輩、凝ってますね」

「ちゃんと読んでれば、誰だって知ってることだけど」


 作業を続ける彼女に代わって私が答えた。


「ちゃんとですよね。有名なシーンだけ読んで、下手したらどこかであらすじだけ見て、読んだ気になってるんですよね、だめだな、と思いつつ、本ってたくさんあるし」

「文学部だから、文芸サークルだからと言って、文学作品を講義以外で読んでるとは限らないってこと」

「そうですよ、先輩。それに、今は、文学も文芸も昔とは違ってるし」

「違うものもあるし、でしょ。全部ひっくるめて言うのって、怖いことだよ」


 後輩と話していると、説教をしているような気分になってくる。

 自由でいいのに。

 ほんの、一つ、二つしか違わないのに、後輩の立ち位置が遠い。


「なんでも一つにまとめようとする人多すぎ」


 私にしか聞こえない声で、彼女がつぶやいた。

 生地を叩きつける音の規則正しさの中で、すぐに消されたけれど。


「こいさん、力入れすぎや」

雪姉きあんちゃんは、力なさすぎや」

「そないなことない」

「ないことない」


 彼女を手伝って、ぺリメニの生地を練りながら、早速後輩たちは、京言葉でも船場せんば言葉でもないような、にわか関西弁でふざけ始めている。

 後輩たちの声色の関西弁に思わず吹き出すと、彼女の眉がひくりと動いた。


「そないに大きな口開けて笑って、つばきが入ってしまったら、かなわんなぁ」

「そやなぁ」

「ごりょうんさんに、えらい叱られる」

「かなわんなぁ」


 咎められる前に自分達で始末をつけて、後輩たちは大鍋に湯を沸かしにいった。


「ぺリメニと、あと何にしようか。作中では、露西亜の前菜がテーブルにずらずらっと並ぶんだけれど」

「それって、正しくザクースカだよね」

「『……鮭の燻製、アンチョビーの塩漬、鰯の油漬、ハム、チーズ、クラッカー、肉パイ、幾種類ものパン……』『……生牡蠣や、イクラや、胡瓜の酢漬けや、豚肉鶏肉肝臓等々の腸詰……』」


 私の言葉を引き取るように、彼女が逐一作中で描かれている料理を述べた。


「燻製、塩漬、油漬、腸詰、冬が長くて厳しいことが伝わってくる」

「一冬分の塩が沁みている」

「でも、この小説は、日本の関西、船場や芦屋が主な舞台やのにね」


 後輩たちのにわか関西弁に引きずられてしまった。


「全部は無理ね」

「予算的に」

「予算的に、か」

「工面すれば、少しなら」

「アンチョビーやサーディンは缶詰が手に入るから、それと、クラッカーにチーズ、ハムとピクルスくらいは調達できる」


 彼女の独り言なのか指示なのかわからないつぶやきに、私はうなづくと手配に走った。


 「細雪のぺリメニ」は、試行錯誤の末、それらしきものになった。

 クラッカーに乗せた冷菜は、多すぎたみたいで、しょっぱくて、すっぱすぎて、水をがぶ飲みするはめになった。

 それでも、作る過程を楽しめたのでよしとした。

 さすがにウォッカを持ち込む者はいなかった。

 代わりに、イチゴジャムをなめながら、紅茶を飲んだ。


 全て予定通りでなくても、ただただ楽しいだけの日々。

 キャンパスの長い休み時間。


 プレコンテストの作品『細雪のぺリメニ』には、そうした自分のモラトリウム時代から切り取ったひとコマを描いた。





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