第38話 崇高なの。書けない私にとって、文学は。

「え、と、これは、余計なお世話かもしれないけど」


 井間辺和子は、ほうじ茶のお代わりをそれぞれのカップに注ぎながら言った。


「ん? 」

「自分をすり減らさないように、ね」

「すり減らす? 」

「なんていうか、その、同人誌はもうやってないんだよね」

「もうも何も、卒業してちょこっとやっただけで、書くこと自体も長い間してなかったって言わなかったっけ」

「あ、そうだったね」


 彼女の言い淀みが気になって、言葉を継ぐ。


「同人誌が、何か」

「うーん、そっちが面白くなっちゃって、一人で自分や作品に向き合っていくのが、しんどくなるって話って、きいたことない」

「あ、なんかきいたことあるかも」


 きいたことあるし、実際に、学生時代のサークル誌だって、些細なほめ言葉で舞い上がってるサークルメンバーはいた。舞い上がって、それを創作のエネルギーにまわせればいいけれど、大抵は、ほめられた言葉を反芻して、それをまた得られるようなものばかりを、ぐるぐると書き散らすことになっていくのを、うっすらと気の毒に思いながら眺めていた。

 本人が趣味で楽しんで書いているのなら、そんな風には思わなかっただろう。自分の書くものは何でも受け入れられると勘違いして、自分の書きたいことだけを書いて、ウけないと路線をすぐに変更して、それのくり返しで消耗して、だんだん書けなくなって、頼まれてもいないのに休筆宣言して、慰めと応援の言葉をもらって、じきまた言葉が欲しくなって復活して、ちょこちょこしたエッセイなんかを書き出して、それもすぐにねた切れになって、完全休養という名の筆を折る事態になって、ジ・エンド。

 そんな風景が、風化せずに記憶に残っている。

 何様な自分を嫌悪しながら。

 自分だけはそうはならないと思いながら。

 そして、そうならないことの難しさを、創作に孤独に向き合うことの厳しさを、身にしみながら。


「今まで担当した作家さんや、作家の卵さんで、何人も見てきてるから。生活のために仕事は続けていくことや、同人誌販売で糧を得るというのは、今では普通だけれど、私は、できれば、純粋に創作に向き合って欲しいと思ってる、文学を志す作家さんには。文学は、自分を奥深くまで切り刻んで得られたものを形にするものだと思っているから」


 井間辺和子は、何かを諭すように語り続ける。


「尊いものなのよ。崇高なの。書けない私にとって、文学は」


 井間辺和子の吐露に、ちょっと驚いた。

 泊愛久が言いそうなことのように思ったのだ。

 泊愛久は、そうした思いを口には出さずに作品に昇華するだろう、けれど、作家ではない編集者の井間辺和子は、言葉でそのままを伝えようとしているように思えた。


 そう、私に。


 なぜだろう。

 私の書いたものには、ひと通りの興味しか示さなかったのに。

 何か、思うことが生まれたのだろうか。


「実は、同人誌即売会にも足を運んだことがあるのよ」

「え、そうだったの、まさか、スーツでとか」

「さすがに、私服」

「いまちゃんの私服って、カジュアルだけどこざっぱりとしてて、会場で浮いてたんじゃない」

「まあ、それはおいといて」


 そこでひと呼吸おくと、彼女は続ける。


「直に反応をもらえるっていうのは、蜜の味でしょ」

「うん、そうだね。サークルの時もそうだった。お互いの蜜を差し出し合って、甘さを味わってたかも」

「花の蜜が吸われて枯れてしまえば、花は寿命を終えて萎れておしまいじゃない」

「怖いこと言うね、さすが、編集さん」

「それ、やめて」

「ごめん、さすが、いまちゃん」

「それなら、いいよ」


 いまちゃんの気持ちは、わかる。私だって、仕事絡みでないところで、揶揄されるように作家さんとは言われたくない。職業として、プロフェッショナルとして、作家さんですかときかれるのはいいけれど。


「そうだね。花の蜜を永遠に供給できるのでなければ、差し出す加減を考えないとね」



 花の蜜、サルビアの蜜。

 私は創作の蜜を、供給し続けることはできるのだろうか。

 ガーデニアの花は、花を目の前にしなくても、その香りが馥郁として漂い、届き、人々に存在を感じさせるけれど、サルビアは、そうではない。

 見て、触れて、口にして、味わって、初めてわかるのだ、その存在が。



「加減、できる? 」

「できるように努力する」

「努力は簡単に実るとは限らないよね」


 井間辺和子は、いつになく攻め口調だ。


「そうかもしれないけど、できるようにならないと、だめなんだよね」


 私の答えに彼女は首をたてにも横にもふらずに、まっすぐな視線をよこした。


「つまり、作家を目指してるんだったら、わきめもふらず励みなさい」


 そう言いきると、彼女は、二杯目のほじ茶をひと息に飲み干した。

 私もつられて、飲み干した。


 わき目もふらず、って、わかってるけど。もしかして、泊愛久との切磋琢磨すら、わき目と言いたいのだろうか。井間辺和子は、彼女のことは、その存在しか知らないはずだ。でも、前に冊子を見せた時に興味を持ったということは、どこかで接触したのだろうか。そして、何らかの感触を得たのだろうか。私のことを心配したくなるような、感触を。

 井間辺和子は、編集者と作家志望者としてではなく、友人として忠告してくれているのかもしれない。

 

「ありがとう。私、すぐに影響されやすいから、自分に甘いから、時々、誰かに、びしっと言ってもらわないと、ま、いっか、ってなっちゃうんだよね」


 私の言い分に耳を傾けてくれながら、彼女は手早くカップや何やかやを片づけ始めた。手は動かしていても、真剣に聞いてくれているのはわかった。この親身になってくれる感じは、家族のようだ。あたたかい。


「さて、お茶も飲み終わったし、帰りますか」

「美味しかった、ごちそうさま」


 私は、立ち上がると、シーズンオフのつつじ苑を眺めた。


「つつじまつりの時に、来てみたいな」

「来よう。茶屋をやってて、おまんじゅうとお茶をいただける。ここのつつじ、大きくてカラフルなお饅頭が並んでるみたいで、美味しそうなのよ」

「和菓子好きだね」

「作るのも、食べるのも」

「ふだんも料理してるの」

「平日は無理ね。せいぜい、野菜不足を補うのに、サラダ作って、カットした冷凍野菜を入れたお味噌汁かスープを作るくらい」

「実家には帰ってないんだっけ」

「そう、通おうと思えば通えるんだけど、終電逃した時の出費が痛いからね。せちがらいのよ、景気がいいわけではないからね、いろいろと」


 井間辺和子は関東圏の県庁所在地に実家がある。大学時代は箱入り娘で、片道2時間以上をかけて通学していた。地元企業か県庁に就職して安心させてくれるだろうとの親の目論見を、みごとにはずして、彼女は都内の出版社に就職した。浮ついた会社ではないとどれだけ説明しても、親からすればマスコミは嘆かわしい職種だったらしく、だんだん疎遠になっていったそうだ。

 いつの時代の話、と笑って聞いていたが、大真面目な顔で困ったもんだと肩をすくめていた井間辺和子の姿を覚えている。それでも、母親は、今でも定期的に地元銘菓や食品やなぜか靴下やハンカチを送ってくるのだという。口に入れるものはありがたく消化しているが、その他のものは未使用のままカラーボックスの奥に眠っているとのことだ。


 そんな世間話をしながら境内をもうひとまわりぶらぶらしてから、本屋に寄っていくという井間辺和子と、根津神社から本郷通りへ出たところで別れて帰路についた。







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