綴野つむぎと紡がれるダイアリー

天瀬智

その1 綴野つむぎと先輩アルバイター

 わたし――綴野つむぎは、小さな本屋「ぽっぷぽっぷ書店」で働いている。

「おはようございます、店長」

「おはよう、つむぎちゃん」

 従業員室を出て店内に入り挨拶をすると、デスクトップ型のパソコンと向き合っていた店長が振り返り、笑顔を向ける。

「今日も一日よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」

 軽く頭を下げ、早速開店前の作業に取りかかる。

 振り返り、ほのかに薄暗い店内の本をひと通り見渡したわたしは、

に素敵な出会いがありますように)

 と心の中で願い、今日が発売予定となっている新刊を並べる作業に取りかかった。


「つむぎちゃ~ん」

 自動ドアの開く音と同時に、自分を呼ぶ声に振り返ったわたしは、

「こんにちは、先輩」

 と入口の前に立つ女性に、頭を下げた。

「もぉ~、私はもう先輩じゃないって言ってるじゃない」

「でも、私にとって先輩は先輩ですから」

「しょうがないなぁ」

 先輩は満更でもないような様子で笑い、店の奥に進んでいった。

 先輩は、わたしが高校一年の時に初めてここを訪れた際、アルバイトをしていた方だ。当時は大学四年生になって忙しくなるために、私と入れ替わるようにアルバイトを辞めたのだ。

 アルバイトの仕事を引き継ぐための一ヶ月は、わたしにとって刺激的で充実した日々だった。

「一ヶ月ぶりですね」

 新刊コーナーへと向かう先輩の背中を追いながら、わたしはふと思い出した。

「うん。やらなきゃいけないことだらけで、研究室に入り浸ってる」

 そう言う先輩の背中が、げんなりと言った様子で沈み込む。

「確か……今は博士課程なんですよね。大変ですね」

「本当だよぉ。やっと時間をつくって来たんだから。ネットで注文すればいいんだけど、本だけはやっぱり本屋で買いたいからね~」

 しみじみと言った雰囲気で語る先輩に、

「分かります! やっぱり、本は本屋さんで買うにかぎりますよね!」

「そう! そして、すべてのラノベのレーベルの新刊をまとめ買いするのだ!」

 一ヶ月ぶりということで、取り扱っているレーベルの新刊は入れ替わっている。

 店の中央にある二つの島。

 ひとつは漫画の新刊を平積みするためのもので、もうひとつがラノベの新刊を平積みするためのものとなっている。

 先輩はラノベを好んでいるため、来店するたびにラノベの島をぐるぐる回っている。それを眺めているのが、わたしは好きだった。

「さ~ってと、お目当ての作品はぁ~」

 先輩は、レーベルごとに積まれている本から、シリーズの新刊を手に取っていく。先輩が横に移動しながら島をぐるっと一周し終えると、その手には十冊を超える数の本が積まれていた。

「さてさて、じゃあ、今度はつむぎちゃんのお薦めを……」

 後ろで見守るわたしは、ほんの少しだけ緊張し、先輩の一挙手一投足を見逃すまいと注視してしまいました。

 先輩がじっくりと見ているのは、わたしが書いたポップ。

 ここにアルバイトとして雇われるまでに、わたしは趣味でポップづくりをしていた。中学で三年間図書員と勤め、そこで司書さんの許可を貰ってレイアウトに手を加え、お薦めの本に手書きのポップを置いたのだ。

 そんなわたしに、仕事としてのポップづくりを叩き込んでくれたのが先輩だ。

 先輩は、この書店でのポップづくりの前任者で、その作り込みに、当時のわたしは衝撃を受けた。

「へぇ~」

 いてもたってもいられなくなり、そっと横から先輩の顔を覗き込む。

「ふむふむ」

 わざと意味深な声と表情を浮かべる先輩。

 わたしは胸に手を当て、ドキドキと高鳴る心臓に静まれ~と心の中で唱える。

「つむぎちゃん」

「は、はい!」

 腰を曲げてポップを覗き込んでいた先輩が、体を起こす。

 反射的に背筋をぴんと伸ばし、先輩の言葉を待つ。

「これ、すっごく面白そうだ」

 そう言って、先輩はポップでお薦めしていた本を手にとって、わたしに見せてくれた。

「ありがとうございます。絶対に面白いので、期待してください」

「うむ」

 そして、お互いに笑い合った。

「私も最近、何だか冒険心がなくなってきてねぇ。昔から読んでる作家さんとか、シリーズものとかしか読まなくなってきてるから、こうやって新しいジャンルとか作家さんの本を手に取るのも、勇気が必要になってくるんだよね~」

 でも、と先輩が続けて言う。

「ここに来てつむぎちゃんのポップを見ると、自分のアルバイト時代を思い出すよ」

 懐かしそうな目で、本の表紙を見つめる先輩。

「私にとってのつむぎちゃんのポップは、背中を押して、一歩踏み出す勇気を与えてくれる」

「先輩……」

「いいポップだったよ、つむぎちゃん」

 そう言って、先輩は満面の笑みを浮かべ、レジに向かった。

 わたしもカウンターの向こうのレジに入り、会計を済ませる。

 先輩が店を出ると、ガラスごしに手を振ってくれた。

 わたしも手を振って見せると、先輩は自転車にまたがって走り去っていった。

 その小さくなっていく背中を、わたしは見えなくなるまで見つめていた。


 その日の夜。

 寝室でポップづくりをしていたわたしは、スマホのバイブ音に我に返り、先輩からのメッセージを受け取った。

『ちょ~面白かったわ~。でも、これ下克上ものだね。しかもアルバイトもので、先輩アルバイターの嫌みったらしさったらもう……』

 わたしは返信すると、またポップづくりを再開した。

 ちなみに、返信内容は、

『喜んでもらってよかったです。最後の後輩アルバイターの逆転劇、最高ですよね』

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