第24話

「のぅ、九郎殿」

そう言って白乙は九郎を見つめた。その目がゆらゆらと揺れている。それはどこか、留まるところを求めているようにも見える。

「鞍馬のお山を出た時は如何。やはり、同じように思われたのではありますまいか」

「確かに、そのように思いました。しかし、白乙殿は出ようとすれば出られるのではないのですか?その、こう申しては何ですが、私のように人の柵があるわけではないようにお見受け致しますので」

九郎がそういうと、白乙は黙った。そして、天井を見上げた。

「九郎殿は、恐ろしくはありませなんだか」

そう言われ、どきりとした。そうだ。未知の世界に出るのは、それなりの勇気がいる。

それまでが安定していたのなら尚更に、そこに変化を起こすことの必要性を、そして、危険性を自分に問う。何度も、何度も。

「私は恐ろしい。外に出てしまったら、どうなるのか。あの、大天狗様も、私が外のことを知りたがってると知っていて、外へ出る手助けはせなんだ。そうなれば、やはり悪いことが起きるのではと」

白乙の声が震えている。九郎の心も震えていた。共鳴している。そう感じた。同じ思いを、自分は知っている。

 そうなのだ。たとえそれが、自分が常々望んでいたことだとしても、いざ、叶うとなると躊躇してしまう。それで本当にいいのかと、自分に問うのだ。大天狗が外へ導かなかったわけが、九郎には何となく分かった。それは、自分で決断せねばならぬことだからだ。誰かに背中を押されるわけでも、手を引かれるわけでもなく、自分自身の決断で、自らの足で踏みださねばならぬ時が、必ずある。大天狗はそう判断したのだろうと思った。ならば、自分が今、ここに導かれたわけは何か。

「白乙殿は、今は如何思われる。やはり外へ出たいと思われますか」

九郎は静かに問い始めた。

 白乙は、九郎に向き直り、静かに目を閉じた。考えているのだろう。九郎が鞍馬のお山を出る時に考えたように。

 それでいいのかと。

「私の望みは変わりませぬ。やはり、外へ出て、皆と触れ合いたい。大天狗様とも、直にはお会いしていない。最初の時は声だけ、後は写身。ゆきのか殿とも、秀衡殿とも、直に言葉を交わしたい。同じものを食してみたい」

「ここには戻れないとしても、に、ございますか?」

「それは、」

白乙は、やはり言葉を止めた。九郎はそっと手を差し出した。

「白乙殿がこれまで気づいてこられた人との絆は無駄ではありませぬ。それは、白乙殿が、本当の願いを叶える時のための、いわば布石にございましょう」

「布石」

「いかにも。今まで写身で、とはいえ、人と触れ合ってこられた。その時出会った方々は、白乙殿が生身で現れても決して拒絶したりは致しませぬ。そして、外で生きるための手助けをして下さいましょう」

九郎の言葉を、白乙は静かに聞いていた。

「白乙殿」

九郎が名前を呼んで目を合わせた。それまでよりも、強く、深くを見通すように。

「今、白乙殿が願いを叶えるために必要なすべてが、白乙殿に与えられるとしたら、どうなされます」

九郎は自分が発した言葉に自分で驚いていた。口が勝手に動いたように感じた。言葉遣いも声も確かに自分のものには違いないが、どこか別の存在の気配を感じる。

(何だ。誰の言葉だ)

九郎の動揺は外へは漏れていない。白乙は気づいた様子も無く一度目を伏せた後、しっかりと見つめ返してきた。

「外へ、出ましょう」

「その方法は既にあなたはご存知のはずだ。分かりますね?後は行使するだけ」

「……はい。ですが、それには九郎殿、あなたの刻印が必要にござります」

「刻印?」

その時、九郎から何かが抜け、自分の本当の声を聞いたような気がした。まるで、それまで誰かが勝手に自分の口を動かしていたようだった。

「はい。九郎殿は一度、外を望み、その外へ出られる、という行動をなさいました。私が今やりたいことも正にそれと同じことでござります。それはおわかり頂けますね?」

九郎は白乙の言葉にしっかりと頷いた。確かにそうだろう。実際、自分も白乙の話を聞いて、鞍馬のお山に居て、外へ出たいと望んでいた時のことを思い出したのだ。

「それを成し遂げたものの、その、しるしが必要なのでござります。ご助力をお願いできますか」

「……喜んで」

九郎は微笑んだ。

 どんなことが起こるのかは分からない。自分がどんな形で手助けになるのかも、具体的には分からない。それでも、誰かの力になれるということは単純に喜ばしいと感じる。

 白乙の差し出した手を、九郎が取った。冷たく、温かい。不思議な感覚だ。

(縁ありて、その手を取る。同じしるしをここに)

どこからともなく、誰のものとも分からない、けれど、どこか懐かしい。そんな声が、心に響いた。

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