Sudden Fiction Project③聖地巡礼編

高階經啓@J_for_Joker

第1話 ふいごと山椒

 夜通し大風が吹き荒れた翌朝、老人は村に姿を現した。


 なぎ倒された木が山の斜面を滑り落ちてきて、山裾の家屋がずいぶんやられた。吹き寄せられた木の枝やら葉っぱやら塵芥やらが、家や塀の陰だの、あぜ道の下あたりだのにうずたかく積みあがり、山とばかりに立ちはだかっていた。仮にそこからどけたとしてもそれをどこに片付ければいいのかわからないほど夥しい量だ。しかも恐ろしく太い枝やツタが複雑に絡み合ってもつれ合っていて、その山をただ崩すことすら困難に見えた。おれたちは作業着に着替えて表に出てきたものの、何から片付けに手をつけたものやら途方に暮れてため息ばかりついていた。


「これはまた派手にやったね」

 妙に明るいはずんだ調子で見慣れぬ老人が声をかけてきたのはそんな風に茫然としているところだった。おれはてっきり村の誰かの知り合いだと思った。それくらい気の置けない親しげな調子だったのだ。旅支度なのだろうか、埃っぽく、くたびれたなりで、しわだらけの顔も日焼けなのか垢なのか黒ずんで薄汚く見えた。けれど決して感じは悪くなかったので、おれは気軽に応じた。


「ああ。とんだ目に合った。まさかこの季節にこんな風が吹くとはね」

「うん。こりゃあ、やつの仕業だな」

「やつ?」

「ああ、そうさな。フウキの仕業だ」

「フウキ?」

「今晩もまた来るぞ」

「何だって? また風が吹くのか?」

「ああ」老人は目をくりくりさせて、さも嬉しいことでもあったようにしわだらけの笑みを浮かべ、断言した。「来るぞ。もっとひどい風を持ってな」


 不吉なことを言うじじいだと思ったが、もし本当なら一大事だ。夕べの大風で村じゅうの家屋にガタが来ているはずだ。もう一晩あんなのが吹き荒れようものなら、こらえきれず倒壊する家も出てくるだろう。いや。もうとっくに被害が出ている家だってあるはずだ。うちの鶏小屋だっていまにも倒れそうだし、どうやら傾いてできた隙間から何羽か逃げ出した鶏もいるみたいだ。畑にしたってそうだ。何とかしないとめちゃくちゃになってしまう。おれは老人を連れてさっそく村長の家に行った。みんなで協力して対策を打たないとまずいと思ったからだ。


 ところが村長の家に着くと、そこは大変な騒ぎになっていた。母屋は完全に倒壊して、人死にも出たらしい。聞きつけて集まってきた村人が総出で瓦礫を取り除いたりして、まだ埋もれている人を助けようとしているところだった。

「モト、おまえのうちは大丈夫か」

 村長は、自分の家族が死んでいるのに、おれの家のことを心配してくれた。おれは礼を言って、いますぐ片付けを手伝うがその前に、と老人を紹介した。大風が今夜もまた吹くと言っていたからだ。


「なんだと。風がまた吹くのか」

「まだまだ。もっとひどい風を吹かせるつもりかもしれんて」老人はここまで歩いてきた村の道を振り返り、指し示しながら言った。「手入れがしっかりしていたんだろう、あんたたちの村は、あいつが思ったほどめちゃくちゃにならんかったはずだからな」

「もう、十分めちゃくちゃだ!」おれは叫んだ。「これ以上めちゃくちゃにされてたまるか」

「もっとひどい風だと」村長は唸った。「どうすればいい。いまから備えても間に合わんぞ」

「いや。フウキのやつさえ来させなければ大丈夫だ」

 老人は妙なことを言った。

「誰だって?」村長が尋ねた。「フウキ?」


 老人は返事をせずに視線を遠くに飛ばした。村のまわりの山を睨みつけ、ゆっくり右回りに身体をひねりつつ、どうやら尾根のあたりを探るような様子だった。誰なんだ?と村長に聞かれ、おれもついさっき初めて会ったばかりだと答えた。ぐるっと睨み終えた老人は厳しい表情になって言った。「おった。見つけたぞ」

 老人の視線の先を追ったが何も見えない。天狗岳のあたりにぽかりぽかりとのんびりした雲が浮かんでいるだけだ。


「何をだ?」おれと村長が同時に尋ねた。「誰をだ?」

 それには答えず老人は言った。

「フウキをよそにやる」それからおれたちの目を覗き込むようにして確認した。「それでいいな?」

「大風が吹かないようにするという意味か?」

 村長が尋ねた。

「いかにも。フウキは風使いだ。悪たれだ」

「あっ、鬼か」おれはやっと気づいて大声を出した。「風の鬼でフウキ」

「鬼なんて大層なタマじゃない」老人は吐き捨てるようにして言った。「だが迷惑な奴だ。こらしめてやらんと」

「どうするんだね」村長は疑わしそうに聞いた。「まさかご老体が」


 その時、ごおっと風が起こり、おれと村長はよろめいた。老人はびくともせずに立ちはだかり、おれたちを睨みつけた。風は、老人の身体を通って吹き抜けてくるように感じられた。ひどく温度の低い風で、吹き付けられるだけで肌が引き締まるのがわかった。

「お主たちにはどうすることもできまい?」老人はかんでふくめるような調子で言った。「わしがやるしかあるまい?」

「しかし」

「ふいごと山椒と里芋の煮っころがしと」老人はきっぱりと言った。「水と鏡をもってこい」


 それは命令だった。逆らうことなどできない指図だった。おれたちはただちに言われたものを用意した。そんなものを使って何をするのだろう? 風鬼相手にどんな風に闘うのだろう? あるいはそれは力と力の戦いと言うよりも、法術の掛け合いのようなものなのだろうか? 風使い同士の戦いとはどのようなものなのだろうか。そう思いながら指図通りのものを運び込むと、老人は里芋の煮っころがしをぱくぱくと食べてしまった。食べるのか、と思う間もなく、老人は水を使って顔を拭き、鏡を覗き込んで身だしなみを整え始めた。


「あの」

 おれが思わず声をかけようとした刹那、老人は振り向き、懐から一本の壜を取り出しておれに託した。

「これをわしの家族の元に送ってほしい」

 それは薄汚いなりの老人には似つかわしくない、舶来ものの洒落た香水の壜のように見えた。

「何です、これは」おれは壜を見ながら聞いた。英語で何かが書いてある。「ミ、ミシン?」

「住所はこれだ」老人が言った。「見ればわかってくれるだろう」


 言うが早いか老人は立ち上がり、右手にふいごと左手に山椒の入った竹筒を持って戸口の外に出た。あわてて後を追っておれが外に出ようとしたとき、ごおっと風が起こり砂埃が舞って視界を遮った。思わず目を閉じ、また開いた時には老人の姿はもうなかった。そのあとはもう何ごとも起きなかった。日が暮れるまで日差しのやさしい過ごしやすい午後だったし、夜になっても大風が吹くことはなかった。夕暮れ時に天狗岳の方で山犬の遠吠えが何度か聞こえた。遠吠えにくしゃみが混ざったようにも聞こえたが、変わったことと言えばそれくらいだった。その遠吠えもだんだん遠ざかってついには聞こえなくなってしまった。


     *     *     *


 ご老人についておれが知ってることはこれだけです。あの、失礼ですが、奥さんはご老人の……ああ、そうですか。ご老人の娘さん。道理でお若い。では奥さんのおっかさんは、ああ、お亡くなりに。そうですか。それは何と言ったらいいか。知ってたんですかね、ご老人は。はあ、そんなに長いこと会ってないんですか。


 ええそうです。見ればわかってくれるだろう、そう言ってこれを渡されたんです。わかりますか? 何て書いてあるんです、それ? Missing Piece? どういう意味です? なくしたかけら? どういうことなんでしょうね。おや? ああ。いい香りですね。まるでそよ風みたいだ。懐かしい香りだ。やっと見つけた。ええ。そんな心持ちです。おれもそう思います。


(「Missing Piece」ordered by delphi--san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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