第17話 電子の魚の住処

テトラの不安は解消されたらしい。そう光人が思ったところで、隣でサジェがあっ、と声を上げた。

 

「なんすかサジェさん。」

「良いこと思いついたんサ。光人君、朝返したスマートフォン出して。」

「はぁ。」

 

 サトルはすまーとふぉん?と首をかしげている。光人もまた、その存在をすっかり忘れていたせいで、ポケットから取り出したそれに妙な新鮮さと懐かしさを感じた。サジェに手渡すと、すぐにディスプレイの隣にあるコードに繋ぐ。スマートフォンに充電中の表示が映る。

 

「テトラちゃん、この機械に入れないかな。」

「なるほど。試してみます。これだけ位置が近ければ移動も問題ありません。」

 

 テトラが画面の端まで泳ぎ、そのまま画面の外へと出て行く。表示されなくなってしまったことに多少の不安を覚えつつも、再び彼女の声が聞こえるのを待つ。――そして。

 

「――――テスト・実行。聞こえますか。」

「おっ。聞こえるよー!」

 

 光人のスマートフォンからテトラの声が聞こえる。ロック画面に表示された時計の隣のあたりに、機械仕掛けの魚の姿が見えて、思わずサトルと共に光人は感嘆の声を上げた。すいすいと泳ぐ彼女は先ほどまでの大きなディスプレイにいたときと遜色ない動きをしていた。

 

「すごーい!えっ、これ光人君の物語から持ってきたもの?」

「はい。たまたまポケットに入れっぱなしにしてて。」

「へぇ……。で、これまた運よくテトラちゃんが入り込めたってことだよね?すごーい!でも、これでどうするんです?」

「いやぁ、これでスマートフォンごと四番書庫まで持って行って、近くにある機器に接続すれば迷子にならずに肉体に戻ることもできるかなって。」

「天才ですかサジェさん。」

「当たり前だら。私を誰だと思っとるんじゃ。」

 

 自慢げな顔で眼鏡と白い歯を光らせるサジェに笑いつつ、光人はそっとスマートフォンのロックを外した。ロックが外れてもテトラが消えることはなく、アプリアイコンの隙間を器用に泳いでいる。

 

「ごめん、狭いかな。」

「少し。しかしこれは光人の所有物ですから、気を遣っていただく必要はありません。それに、この背景が気に入りました。」

「背景?あ、海だから?」

「はい。泳いでいて……そう、心地よさを感じます。」

 

 なんとなく見ていると落ち着くという理由で設定した壁紙に、光人はこっそり感謝した。動かない写真としての熱帯魚の上で、機械仕掛けの魚が泳ぐのが少々不思議な光景ではあったが、テトラが心地よいのならそれでいい。

 

「そっちの方が居心地良いなら、しばらくそっちにいるかい?」

「はい。そうします。光人は問題ありませんか?」

「大丈夫。そこにいていいよ。あ、でもスリープモードとか電源オフとかしちゃうとまずいのかな。」

「電源のオフは行動不能になりますが、待機状態であれば特に問題なしと推測します。私のことはこの端末の機能の一部として扱ってください。」

「AIみたいな感じなのかな……。まぁいいや、じゃあ、よろしくね。テトラ。」

「はい。よろしくお願いします。」

 

 ――家でネオンテトラを飼っていた水槽よりもずっと小さい液晶画面が、一つの水槽に見える。光人はそれがなんだかとても嬉しくて、ひとまずしばらくは使わないであろうアプリアイコンを片付けてしまおうと決めるのであった。

 

 

 

 ●

 

 

 

 翌日も、光人は手術台のようなベッドから身を起こす。背筋をまたバキバキと鳴らしながら伸ばして、相変わらず夜通し作業していたらしいサジェに挨拶をする。

 

「おはようございます。」

「おはようさん。昨日寝る前になんかしとったみたいじゃけんど、どしたん?」

「あぁ、ええと……テトラが泳ぎやすいようにしてあげようと思って。整頓してました。」

「へぇ、そんなこともできるんか。」

 

 スマートフォンを起動するとロック画面の隅にテトラがいる。動きを止めているところを見ると、どうやら休憩中らしい。

 

「テトラ、おはよう。」

「……おはようございます。光人。」

 

 一拍の間をおいて返事をしたテトラを避けるようにロックを解除する。するとそこには、ほとんどアイコンのないホーム画面が表示された。テトラは気持ちよさそうに泳ぎ回る。


「やっぱ片付けて正解だったね。」

「感謝します。」

「見して見して。おー、すっきり。よかったね、テトラちゃん。もうこのままスマートフォンに住んだ方が楽だら。」

「光人が許可するならば……いえ、やはり人体の動きも覚えておくべきでしょうから、その方針は非推奨です。」

「そう?」

「俺は嫌じゃないよ?人間の体の練習すると疲れるだろうし、いつでもおいでよ。」

「光人君もこう言ってるし、そうしたら?」

「……光人は、なぜワタシにそこまでするのですか?」


 じ、とテトラは動きを止めて液晶の向こう側から光人を見つめている。サジェもまたその問いに興味を示したらしく何も言わない。ぽつんと落ちた一拍の間。

 

「うーん、どうしてって言われると困るけど。テトラは、俺とジェンがここに連れてきたし……いや、面倒見てるつもりとか、そういうのじゃなくて。正直に言うとね?俺、魚を見てるのが好きなんだ。だから、テトラがスマホで泳いでてくれるとなんか、嬉しい。」

「なるほど。では光人はワタシを必要としていると解釈して間違いないですか?」

「うん。合ってると思う。なんかごめん、自分勝手な理由で。」

「構いません。ワタシには建前やそれに類似するものが不可解です。……では、ワタシは人体の訓練が済み次第ここに戻ります。よろしくお願いします。」

「うん、よろしく。」

「よしよし。お互い納得したようでなによりだに。まずはテトラちゃんを人体に戻そか。」

「はい。」

「よっし。行きまっせ。」

 

 毛布を畳んで立ち上がり、そのままサジェに連れて行かれたのは四番書庫――光人がミシュリーに出会った場所だった。先にサジェが連絡を入れてあったらしく、窓口にはあの日、テトラを引き渡した白スーツを着た神経質そうな眼鏡の女性がいた。

 

「ご連絡の際に言われた機器は設置済みです。」

「さっすがセラちゃん。仕事が早かね。光人君、彼女はここ、四番書庫のサブリーダー、副書庫長のセラ・グラーブスちゃんだよ。」

「篠宮光人です。よろしくお願いします。」

「こちらこそ。……そういえばあなたには書庫長がご迷惑をおかけしたようですね。すみませんでした。」

「え?あ、ティーヌちゃんのことですか?」

「は?」

 

 瞬間的にセラの眉間が峡谷を作るのを見て思わず光人は半歩後ろに下がった。見るものが見れば、それがセラからあふれ出た殺気に押されての反射的な行動であったと分かったことだろう。――もっとも、彼女が殺気を向けたのは光人ではなく、「ティーヌちゃん」であったが。サジェは肩を震わせていた。どうやら笑いをこらえているらしい。

 

「え、えっと……?」

「ん、ふふ、光人君、一応これからは上司というか、目上になるけん。っく、てぃ、ティーヌちゃんはまずいかも、んふっ!」

「サジェ書庫長、笑い事ではありません。篠宮君、恐らく本人にそう呼ぶように言われたのでしょうが、そのふざけた呼び方はやめなさい。貴方のためです。」

「す、すみません。わかりました。」

 

 ふう、と息をつくとセラはサジェと光人を一つの部屋へと案内した。そこには、テトラがいた。白いワンピースを纏い、ベッドに寝かされている。彼女は相変わらず青白い顔で、心電図らしきものが鼓動を刻む様子を示していなければ、息をしているのにも気づかないくらいに静かに眠っている。金色のまつ毛が揺れることも無く、静かに閉じられた瞳。それを前に、光人はそっとスマートフォンを取り出した。

 

「テトラ、着いたよ。」

「はい。……これが、ワタシだったのですね。」

「見たことあるの?」

「この部屋から出て行くときに。しかしその時には誰なのか把握していませんでした。」

 

 セラが小さく息を呑む。

 

「本当に、彼女の意識だけが彼のその……端末に?」

「おん。電子機器への干渉スキルば持っとるらしか。私も最初はおったまげた。」

「それで、そのコードで彼女を本当に体に戻せるのですね?」

「そのはずだに。光人君、テトラちゃん、二人とも準備はいいに?」

「はい。」

「構いません。」

 

 光人からスマートフォンを受け取ると、サジェは早速手に持っていたコードでテトラのベッドの隣に設置された機械につなぐ。テトラは画面上から消える。整頓してしまったホーム画面は、テトラがいなくなった途端に寂しいものに変わった。

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