第1話 時の止まった世界から

「……あれは。」


 もがく光人を見る――「動いている人物」が一人。光人と同年代くらいの風貌の少年は、すぐに風のように走り出していた。耳元の通信機が騒ぐのにも応えずに一直線に駆け抜けて、白い毛玉に最早覆われたと言っていい状態の光人に近付く。一番上にあった毛玉を掴むと、勢いよく後ろに放り投げて見せた。


「おいっ、生きてるか!?」


 黒い頭が見えて、それが動かないことに焦りが増す。周囲からも集まってくる毛玉を時折蹴散らしつつ、光人に群がる毛玉を掴んでは投げ、掴んでは投げ、を繰り返す。噛み跡から血が出る。


「返事しろ!声出せ!」


 八割方毛玉を投げ捨てたところで、瞼を閉じていた光人の頬を強くはたく。


「いっ……!?」

「生きてるな!?なら立て!」


 頬をはたかれて意識を取り戻したらしい光人の右腕を引いて、少年は言い放つ。しかし、光人は完全に腰が抜けていた。


「っおい、はやく!」

「な、ん……?」

「死にたくないなら立て!」


 状況を読み込めていない自分に苛立つ少年を見て、改めて光人は自分の周りを見た。

 倒れて、流れる血すらも止まった親友。目の前にいる白い服を纏う、黒髪を短く刈り込んだ三白眼の少年。そして、少年の背後からこちらを見る白い毛玉。アサヒを食おうとし、次いで自分に襲い掛かった白い毛玉。それが今は少年に飛び掛からんとしていた。


「う、後ろっ!」

「クソッ!」


 少年は振り返って飛びかかる毛玉に思いきり拳を叩き込む。ボンッ、と破裂するような音と共に毛玉は霧散した。しかし、毛玉は今も光人たちを中心に数を増し続けている。少年もそれに気づいたらしく、舌打ちが光人の耳にも聞こえた。


「数が多すぎる……おまえ、なんかの能力者か?」

「の、能力者……?」

「その感じじゃ、そういうわけでもなさそうだな……こちらジェン。生存者発見。すんません、後でちゃんと話すんでとりあえず応援お願いします。」


 少年――おそらく、『ジェン』というのが彼の名前なのだろう。ジェンは右手を耳元にやってどこかと通信しているようだった。その間もジェンを警戒している様子ではあるが、じりじりと毛玉たちは距離を縮めてくる。


「生存者の能力は不明だがタイムイーターが集中している。周囲には静止した民間人が数名。あとは民間人の死体があるが原因不明。」

「――死んでない!」


 ジェンの言葉に、思わず光人は叫ぶように言っていた。アサヒは、死んでいない。死体になど、なってはいない。ぐっ、とジェンの左手を掴んで睨み上げた。そんな状況でないことは薄々頭の隅ではわかっているが、それでも親友を死体とするのは、どうしても許せなかった。


「おい、そんなこと言ってる場合じゃっ……!?」


 ジェンが目を見開いて光人を見つめる。声帯が凍り付いてしまったように声も出さずにワナワナと震える。怒りで思わず声を上げた光人にすらその異常は明らかで。


「お前、何をした……?」

「は……?」

「オレのエフェクトをどこへやった!?」

「な、なんの話しだよ!」

「くっそ……!なんなんだお前は!」


 今度はジェンが光人を睨みつける番であった。光人の手を振り払い、再び耳元の通信機へと話しかける。


「こちらジェン。エフェクトを喪失。……おそらくこの生存者が原因です。」

「俺は何も……っ!」

「現状不利です。至急応援を……!」


 先ほどよりも、白い毛玉は距離を詰めていた。ジェンのこめかみに、冷や汗。光人が生唾を飲む。毛玉は示し合わせたように二人の頭上に飛び掛かる。――が。


「単独行動はやめてほしい。」


 何者かの声と共に、氷が頬に突き刺さるような冷気が流れ込む。思わず瞑った目を今度は何だと開くと、飛び掛かってきていた毛玉は空中で氷漬けになっていた。それを認識した次の瞬間にはそれは粉々に砕け散る。


「その……フォローするのが難しい。」

「ルッツ!」


 喜色もあらわに、ジェンが呼ぶ。やはり白い服を着た、深い青色のけだるげな瞳と、同じ色の髪をした青年。少し長い毛足を揺らし、右手にある銀色の剣を振るう。それだけで初夏の匂いがしていたはずの情景が冬に逆戻りしたような錯覚に陥る。周囲を取り囲んでいた白い毛玉たちはことごとく凍り付き、ともすれば光人も凍えそうな冷気に包まれる。


「それが、生存者か。」

「ああ、こいつに左手掴まれたら急にエフェクトがどっかいった。」

「左手を無防備にするな。」

「あー……いや、その、なんだ。グローブしてるから大丈夫かと……。」

「始末書だぞ。」


 ジェンはかくん、と肩を落とす。飼い主に怒られた犬を彷彿とさせた。


「おい、生存者。これからお前を俺たちの拠点へと連れて行く。抵抗は無駄だと思え。」

「拠点……?」

「ああ。ジェンのエフェクトをどこへやったのか、話してもらうぞ。」


 だから俺は何もしてない、と言おうとした光人の喉元に深い青色は剣を向けた。低温を極めるまなざしが、それだけで光人を凍り付かせた。


「少し、眠っていろ。」


 急速に、自分の体温が下がっていくのを光人は感じた。体温と同じようにまぶたも下がっていく。視界の端に親友の靴。


 ――アサヒ、俺たち、どうなるんだろう。


 いつもなら答えてくれたはずの声を思い出す。穏やかな顔を見たのが、ずいぶん昔に思えた。


 ――まだ、まだ一緒にいたかったんだ。


 いつか、道が分かれるなんてずっと昔から気づいていた。


 ――こんなに早いだなんて思わなかったんだ。





「……氷漬けにすることはなかったんじゃねーか?」

「危険人物だ。」

「いや、まぁ、そうなんだけどな?」

「お前に危害を加えた。」


 畳みかけるように言うルッツに、ジェンは頬を掻く。ぽろり、といつの間にか付いていた氷の粒が落ちた。


「危害……まぁ、そうか。」

「ジェンは、やさしいから。」


 深い青色の瞳が少しばかり怒りを浮かばせていることに、ジェンはそこで初めて気づいた。きっと、怒りは光人だけではなく自分にも向けられている。本当は甘いと言いたいのだろう。しかし、本当に自身の能力が消えてしまうなんて思いもよらなかったのだ。――そこで、耳元の通信機から撤収の合図。


「この物語のタイムイーターは駆除完了か……つっても、時間動いてないみたいだし、実際にはほとんど逃げられたんだろうなぁ。コアもいなかったし。」

「そうだろうな。俺たちが到着した時点で逃走は始まっていたんだろう。」

「まったく、なんだって今回はこんなに発見が遅れたんだ?」

「さぁな。そしてこの生存者、こいつにタイムイーターが集中していたのも気になる。戻って報告を済ませよう。」

「そうすっか。……はぁ……。」

「始末書。」

「……はい。」


 ジェンは氷塊と化した光人を担ぐ。ルッツは懐からカードを取り出すと、それまでよりも少し大きな声で言う。


「弐番書庫、ルートヴィヒ、及びジェン・フランカ。物語より帰還する!」


 次第に二人の体は光に包まれる。ジェンに担がれた光人もまた、その光に呑まれていく。そして、そこには彼らの姿はなくなった。時間の止まった世界を置いて、血を流して倒れる少年を置いて、音もなく、辺り一帯を凍らせた冷気すらも消え失せたのである。そこに、動くものは何もない。



 ●●●



「んで、ジェンくんはエフェクトがなくなったん?」

「とりあえず、自分のスロットにエフェクトの存在は感じられません。」

「なるほどぉ……?」


 妙な訛りの女性の声と、聞き覚えのある少年の声。光人が僅かに意識を取り戻した時、聞こえたのはそんな会話であった。彼らは誰なのか、気を失う前に自分が何をしていたのか、ここはどこなのか。思考は疑問ばかりで埋め尽くされるが、一拍置いて脳裏によみがえる、血まみれの親友。


「!!」


 光人は気づけば目を見開いて、寝かされていたベッドのような物の上で体を起こしていた。傍らを振り向くと、気を失う前に会った黒髪の少年と、見覚えのない金髪の女性が驚いた表情でこちらを見ている。深い青は見当たらない。SF映画にでも出てきそうな白い壁の近未来的研究機関、それが今現在の周囲に広がる環境への印象であった。


「お?おお……解凍が終わったみたいやね?」

「サジェさん、気を付けてください。」

「わかってらぁね。」


 サジェ、と呼ばれた金髪の女性は腕を後ろで組んでから、光人に歩み寄る。咄嗟に後退ろうとして、光人は自分の足が凍っていることに気づいた。


「まぁまぁまぁ、そう怯えんといてな。あぶにゃあ目に遭って警戒するのも分かんだけど、ねぇ?落ち着かんと、話し合いもできねぇら。」

「……えっ……と?」

「私はなぁ、この研究所の所長でな?サジェっちゅーんよ。君、名前は?」

「し、篠宮光人、です。」

「シノミヤくん……いや、光人の方が呼びやすかね。光人君でええか?」

「はぁ……。」


 呆気に取られ、光人が思わずサジェの背後に立っている少年――ジェンに目を向けると、何となく決まりの悪そうな顔で視線をそらされる。


「君、ジェン君のエフェクトをかっさらっちまったっていう自覚はあんのかい?」

「エフェクト?がなんなのかすら分かりません……。」

「ほぉん?そりゃま、そうか。君、氷漬けにされて何の説明もなく連れてこられとるわけじゃし。」


 ふむふむ、と上着のポケットからサジェはメモ帳とペンを取り出す。裾の長い上着は白衣のようだった。


「君、超能力とか霊感とか、んんー、あとはなんか……あー、魔法!魔術!そういうもののたしなみは?」

「ないです……。そういうのは全部フィクションだと思ってます。……いや、思ってました。」


 そう、超能力も魔法もすべてフィクションだ。少なくとも光人はそう思っていた。幽霊は、少し信じていたけれど。見えないのでやはりフィクションに近い。しかし、気を失う前に見た諸々の出来事を考えると、もうとてもフィクションとは思えるはずもなかった。


「そうかぁ。特殊な家系の生まれとかは。」

「え、お、……僕がですか?」

「他に誰がいるとね?」


 光人と、サジェ、ジェンの他に人影はない。


「ええっと……、心当たりはないです。あの、本当になんにもない、普通の人間です。高校生です。」

「コウコウセイ。あぁ!学習施設に通っている青少年!ほんなら、そうやなぁ……なんか知ってるわけもありゃあせんのう。」

「エフェクトって……?」

「君の言う、フィクションの力じゃい。もっとも、私らからしたらノンフィクションだに。」

「つまり、魔法が使えるんですか?」

「そそ、君も気を失う前に氷の力を見たっしょ?あれよ、あれ。まぁ、後ろにいる彼は今使えないんだけどねぃ。」


 不服そうな、サジェの背後。


「君に魔法の力を奪われて、能無しなんよ、彼。」

「う、奪ってないですっ!」

「まぁまぁ、それはとりあえず信じてあげますとも。でも、彼もずっと能無しって訳にもいかん。ちょっと身体検査にご協力いただきたいに、構わんか?」

「検査って、どんな……?」

「死の危険も怪我の危険もひとまずなかよ。」

「……わかりました。」

「よかったぁ、断られたらどぎゃんしよ思ってな。」


 若干何を言っているのか意味を取りづらい言葉に、光人はうなずく。これで疑いが晴れるのならひとまず安心できると思ったのだ。少なくとも、さっきから一言も発しないジェンが、その三白眼で睨みつけてくることは無くなるだろうと。


「っても、君はそこで寝転んでてくれたらよか。おとなしゅうしといてな。」


 再び寝かされてから、左袖をめくり上げられて光人は少し緊張に震えた。腕に取り付けられたコードが冷たくて皮膚が泡立つ。ウィン……と機械の稼働音が聞こる。誰も言葉を発しない。眼球まで凍り付いたように動かせない光人を、それでもジェンは睨んでいた。


「お……おお?」

「サジェさん?」

「あー、こりゃまた……ううん……。ジェン君、しばらくこっち見ちゃいかんよ。」

「はい?」

「そのまま光人君見ててくんろ。」

「はぁ……。」


 いやしかし、でも、とサジェはぶつぶつ言っている。光人は内心冷や汗にまみれていた。自分に非などまったく無いと思っていたが、これは。


(まさか、本当になんかしたのか?でも、あの時俺は、何もできなかったはず……。)


 奪った、かっさらった、と彼らが言うように自分がジェンから何かしらの能力を取ってしまったのなら、自分に何か宿っているというのか。しかしそんな感覚はない。突然自分が超能力者になってしまうなんて、それこそ本当にフィクションだ。――とそんなことを考える頭を停止させる破裂音がした。視界の端でジェンもわずかに肩を上下させたのが見えた。サジェが、大きく手を合わせた音であった。

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