沈黙の騎士団 Silent Knights

諸田 狐

第一章 Image at twilight

 昼間は汗ばむくらいの陽気だったのに、夜は未だ風邪をひいてしまいそうなほど肌寒い日だった。

 静まり返った夜の街を歩いているのは大学の新歓コンパの帰りの男女五人のグループ。 その中の一人、少し頼りなさそうに夜風に震えている少年がいた。彼の名前は龍沢秀明。この春から東上大学理工学部に通っている大学生の青年だ。

 同級生の松本竜二、待田香織、先輩の一乗寺亜紀、美紀姉妹らとコンパ会場である居酒屋、月の宴を後にしたところだ。

 今年は百年に一度の寒さらしい。例年よりも桜の開花が遅れたせいか、もう四月下旬にさしかかろうとしているのに、まだ花びらが舞っている。

 秀明は竜二と二人で飲み慣れないお酒を飲んで、ぐでんぐでんになっている香織を抱え、大学に程近いサークル先輩の一乗寺姉妹の自宅に向かっていた。

「まったく、この嬢ちゃんは見かけによらずクソ重いな」と竜二が毒を吐く。

 竜二は秀明と入学式に席が隣だったことと、音楽という共通な趣味があり仲良くなった。

 もっとも秀明はEDM(エレクトロダンスミュージック)などの電子音楽が好きで、パソコンでぽちぽち楽曲を作成するような地味でオタクな人間だが、竜二はヘビーメタルバンドでベーシストとしてバリバリ活躍するようなタイプなので、その性格はかなり違う。

 竜二は長身、精悍なマスクの所謂イケメンで中学生からバンドを組んでいるような人物だ。

 秀明はイケメンというよりは良いとこのお坊ちゃんという雰囲気で、童顔で、未だ高校生の雰囲気が抜けない、どちらかというとかわいい少年という感じの男子だ。

 秀明と竜二の二人は共に地方から出てきて一人暮らし。二人の自宅は一乗寺姉妹の家とは大学を挟んで、ほぼ反対側の駅の向こう側だ。

 二人が肩を貸している香織は、都内の自宅から、電車で小一時間程かけて通っているお嬢様(自称)。本人曰く、その都内の自宅は所謂高級住宅地と呼ばれる所に有るらしい。

 というわけで、夜も二十三時を過ぎようとしているこの時間、さすがに一人で帰宅させるわけにもいかず、ここから徒歩十分の一乗寺姉妹のお宅に厄介になることになったのだ。

 一乗寺姉妹の家は小さな神社の隣にある、平屋のお屋敷だ。昭和初期に建てられたものであろうか? 純和風の家屋でシャッターはおろかアルミサッシすらない木枠のガラス戸を使っている雰囲気のある家だ。

 中は結構広く、秀明らは畳敷きの十二畳ほどの客間とおぼしき部屋に案内された。部屋は襖で間仕切りされ、障子を介して廊下と隔てられているが、今は両方解放され、立派な掛け軸と二本の日本刀が飾ってある床の間が見える。廊下に目をやるとこじんまりしているが、手入れの行き届いた日本庭園が見える。

 秀明たちは香織を送り届けたら、すぐ帰宅するつもりだったが先輩の好意に甘え、少しだけお邪魔することにした。

 秀明と竜二は美紀から、熱いお茶を煎れてもらい、ふうふう冷ましながら飲む。

 身体が冷えていたので熱いお茶は芯から暖まって助かる、と秀明は感じた。

「竜二君はお酒の方がよかった?」美紀がいたずらっぽく微笑む。

「い、いや、いいっすよ、お茶で」コンパでは他の先輩たちに思い切り飲まされていた竜二だが、流石にアルコールはもう沢山という感じで、どもり気味に答えた。

 香織は座卓脇に敷かれた長座布団の上ですーすーと寝息をたてている。まるでお昼寝している幼稚園児のようなあどけない顔だ。

 彼女は普段でさえ、中高生に見間違えられるほどの容姿であるから、致し方無いのかもしれないが。

「いや、今日は夜分遅くすみません、すぐ帰りますから」と竜二。

 すると美紀はどういたしまして、と言った調子で、

「良いよ。ボクたちもどうせ明日は講義午後からだからゆっくり出来るし」と答える。 

 美紀は普段からボクとか男の子みたい喋り方をする。見た目はすごく女っぽいし、優しい人なのだが。

「ところで広いお家ですね〜、まさか御二人だけでお住まいなのですか?」と秀明が質問する。家の中に自分たち以外の気配がないからだ。

「まさか、違うよ。父と三人暮らしなの」と微笑みながら亜紀が言う。

 亜紀は美紀とは違って女性らしい喋り方をするが、美紀とは違って、ちょっとつっけんどんな女性だ。

「母は訳あって今はいないけど……」ちょっと言い難そうに美紀。

 あまり深くは突っ込まない方が良さそうだと、秀明は感じた。

「おい、ヒデ、おまえもう決めたのかよ」 竜二が気をまわして話題を変える。何を決めるかというとサークル活動のことだ。

「ああ、どうすっかな」秀明は両手を畳において天井を眺めた。

 実は何が縁で一乗寺姉妹に厄介になっているかというと、二人は秀明たちが仮入部しているサークル、芸能研究倶楽部の先輩だからである。もっとも秀明は竜二に勝手に申し込まれただけで、一度も部室に行ったことはない。

 この部は少し変わっている所で、バンド、アイドル、映画、アニメから落語、漫才、果ては日本舞踊から古武道まで何でも幅広く活動している。

 なにより軽音部やマンガ研究部、落研など本格的に活動している部より、緩い感じのところが竜二は気に入っていた。

 一方、秀明の方はまだ入部には躊躇していた。このサークル自身は悪くないと思うのだが、サークル活動自体が乗り気になれなかった。

「とりあえず、サークル活動はまだよくわかんないんだよね。バイトもしたいし」

 秀明は、バイトなんて、実はするつもりなんてなかったが、適当に話をかわすため、そう口走った。

「え〜、こんなきれいな先輩もいるのに? それに夏海ちゃんも入るって言ってたぜ」と竜二。

 夏海ちゃんとは学部内一番の美人と言われている女の子だ。もっとも、理工学部なので女性なんて、一割も居ないが。

 まあ確かに一乗寺姉妹は美人だと言うところは同意する。だが、夏海ちゃんの件。こいつ、なに適当なこと言ってるんだ? さっきの歓迎コンパで話したけど、今のところは入部考えていないって言っていた。どうせ嘘っぱちだろ。竜二はこういう、適当なホラを平気で言う、お調子者的なところがある。

「そうだね、迷うなぁ」と、秀明は少し先輩の顔立てて迷っている振りをした。

 先輩はたしかに美人だけど年上だし、自分みたいな奴に合うわけない、と思った。

 しかし、なにアホなことを俺は考えてんだ? たかがサークル活動に? と秀明は自分で呆れて自問した。

「私たちが美人かどうかは、まぁ、置いておいて……」亜紀が続ける「そんな堅苦しいサークルでもないし、週一回顔出すだけでもいいから入ってみたら? 無理強いはしないけれど」

「そうだね、結構おもしろい人もいっぱいいるし居るだけでも飽きないよ」と美紀。

「そうですか、それなら」週一なら先輩の顔を立てて、入ってもいいかなと秀明は思った。竜二もうっさいしな。

「ところで先輩たちは日本舞踊やるのでしたっけ?」と竜二が話を変えた。

「そうだね、それもやるけど、本来は古武術が専門なのよ」と亜紀。

「結構歴史が有って、鎌倉時代から先祖代々続いているんだ」と美紀。

「実は昭和には道場も、やってたんだけど、父は跡を継がなくて大学の先生になっちゃたから、お爺ちゃん亡くなってから道場は閉めちゃったんだよね」と美紀が続ける。

「でも道場そのものは未だあるから、私たちもそこで練習しているの。今度見せてあげるわよ」亜紀は素振りのポーズをして秀明にニッコリ微笑んだ。

「マジすか? マジ見てえからお願いしますよ」と竜二がのりのりで割って入ってきた。

「竜二ー、おまえずうずうしいぞー」秀明がお調子者竜二に突っ込む。

「まぁ、んなこというなよー、おまえも見たいんだろ?」竜二がヘラヘラしながら突っかかってくる。

「んねぇー、何話してんの?」

 この騒ぎで目が覚めたのか香織がもぞもぞ動き出した。

「ほら、お嬢ちゃんが起きたよ」と竜二が彼女をからかった。

「あー、頭痛いっー、気持ち悪い〜」と香織が頭を抱え苦しそうな顔をして叫ぶ。

 そりゃあんだけ飲まされりゃ、そうなるわ。お持ち帰りされなかっただけでも感謝しなきゃあ。と秀明はやれやれという感じで頭を振る。

 でも皆、どんだけ? って位飲まされたのだ。未成年だろうが大学入学したら先ず酒。二年早い大人への通過儀礼。

 だが、初めて飲む酒の筈なのに、香織と竜二、こいつら高校生から飲んでたろ? ってくらい、良い飲みっぷりっだったが。

「先輩、ちょっとトイレ借りたいんですけど」と秀明がふらっと立つ。

 彼等のことを散々飲み過ぎだ、なんだと貶してた癖に、実は秀明自身も、少し飲み過ぎたようで、尿意が催してきたのだ。

 もっとも勧められて嫌々飲んだビール一杯以外はテキーラサンライズとウーロン茶くらいしかの飲んでないはずなのだが。あれ? テキーラサンライズも酒か? 

「えっと、廊下出左なんだけど、わかるかな? ちょっとわかりにくいんだけど」と亜紀。

「あ〜、わかると思いますぅ」

 酒ってビール一杯しか飲んでないのにまだ酔いが抜けてないのかな? あ〜そうだもう十二時近いから眠いのか。なんか頭がぼーっとしている。

「え〜、トイレ? 私も行きたいのに」と香織が嘆く様に言う。そして、

「はやくしてよ〜もう吐きそうなんだからぁ〜」と続けた。

 足取りもふらふらで廊下に出た。あれ? 右だっけ左だっけ? 良くわかんないけどいいや。

 秀明は右でも左でも、どうにかなるだろと思い、右側に向かった。右側はすぐ玄関だ。  

 玄関は幅が三間もある広い玄関で、上がり端に、虎と竜が描かれた年代物だが、立派な屏風がある。

 そういえば小一時間前に香織を抱えながら玄関に入ったとき、よっぱらいの嬢ちゃんが一休さん、一休さん騒いでいたことを秀明は思い出した。

 そのときはさほど気にもとめなかったが、今見てみると、つくづく立派な屏風だなと思うのと同時に、こんなのは博物館以外で見るのは初めてだなとも思った。

 トイレはこの奥だな、と当てずっぽうに居間と反対側の廊下に進む。十間くらいだろうか、個人宅にしては長い廊下を進み、突き当たりの建て付けが良いとは言えない引き戸を開け、さらに奥にもう一つ鍵付きの扉を開けると意外なことに扉の向こうは外になっていた。 

 狐に摘まれているような気持ちで外に出てみると、そこには屋根付き渡り廊下があり、二つある別棟と繋がっていた。

 左側には話に聞いていた道場らしき長方形の平屋があり、もう片方の棟は、どうも離れらしい。

 トイレを探すため、秀明は周りを見渡してみると、道場の横に小屋が有るのを発見した。

「あそこがトイレか?」秀明はようやく見つけたトイレに一目散に駆け込み、少し焦りながら便器前に立つ。

 トイレは道場に通っていたお弟子さんたちが使っていたのかな? そういえば昔の家は外にトイレがある家があると聞いたこともある。などと考えながら用を足しているのだが、膀胱に相当な量の尿が貯まっていたようで、なかなかオシッコが止まらない。

 ぼうっと壁を見ているのも飽きたので、月でも見えないかと窓の外を眺めていると、ふと視界の端に黒い影が見えた。

 あれ、香織も我慢できず、僕が戻るのを待たずに来てしまったのだろうか? 部屋を出る前は、そんな感じはしなかったが、まぁいいかと思いトイレを出た。しかし今度は確実にソレが視界に入ってきた。


 秀明が見たのは人でも既知の動物でもない、得体の知れない生物だった。

 しかし生物というにはあまりにも醜悪で、吐き気と恐怖を感じる外見だ。むしろ妖怪と言っても良いかもしれない。

 しかも、ソレは子供の頃見た片目の妖怪小僧が戦うアニメでも、ホラー映画でも見たことがない、自分のおよそ知っている限りのモンスターのイメージとは全くかけ離れていた。

 シルエット的には、アメリカ製CGアニメに出てくる、ミスターポテトヘッドというおもちゃ人形に似ていた。

 だが、あれはせいぜい子供の手のひらに収まるくらいの大きさであるが、こいつらはそれに比べ桁違いに大きい。下手をすると熊よりも大きいんじゃないかと思えた。

 頭というか、胴体には赤ん坊の頭ほどある、巨大な二つの目の様な物があり、それはまるで死んだ魚のように鈍く周りの光を反射している。

 そして、なにより不快なのは、肉や魚が腐ったような強烈な臭気だった。

 モンスター達は何かつぶやきながら……、—いやそれが声ならばだが—、ゆっくりと近づいてくる。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!

 秀明は恐怖のあまり、足がすくんで暫く動けなかった。

 誰か呼ばなくては。でもここに居るのは女子だけだ。そうだ竜二。竜二がいた。あいつなら喧嘩も強そうだし何とかなるだろう、と彼は恐怖で思考停止してしまうのを、なんとか振り切ることに必至だった。

「……!」と彼は叫んだつもりだが、恐怖で声が出ない。

 化けモンスターはさらに彼に近づいてくるが、恐怖の為か、それは途轍もなく長い時間の様に感じた。

 良く見ると奴らは二体いる事に彼は気が付いた。そして奴等はそれほど大きくも無い声で『でいすそあふぃそぽだすふぇらう』『うぃおこぅるはでぃぅう』と何か会話をしている事にも気が付いた。

 どっちが先に食うか決めているのか? と彼は思った。そう思うと彼は死に対する恐怖を先ほどより更に強く感じ、心臓が止まるのでは無いかと思った。事実、心臓の鼓動は恐怖により速く打ち続けていた。

『ブィオソドドドクォダス』手前の化けモンスターが一段と大きく、攻撃的な声を張り上げた。

 すると、

『げそぉどうぶるふぁくぐうぐぅ』と、呼応する様に、もう一体も声を荒げて叫んだ。

 その瞬間だ、手前の化物が手のよう触手のようなものを伸ばし、奥の化物をグルグル巻きにした。グルグル巻きにされたほうも、隙間から触手をだし攻撃し始めた。

 どうしたんだろう? 僕を食べるつもりじゃなかったのか? ひょっとしてエサを巡って内輪もめでも始めたのだろうか? と彼は、余りにも突拍子もない展開に彼は混乱した。だが、そこで彼の思考にも余裕が出てきた。

 これはチャンスかもしれない。今のうちに逃げてしまおう、と彼は辺りを見回し、退路を探した。

 生憎、母屋への渡り廊下は化けモンスターに塞がれて逃げ道はない。

 秀明はふと閃いた。先ず、表に廻り先輩達に知らせようと。そうして竜二と二人で時間稼ぎしながら女性達を先に逃がし、頃合いを見て自分たちも逃げる。

 彼はふと、床の間に刀が二本あった事を思い出した。あれを貸してもらえれば、化けモンスターの攻撃を振り払えるだろう。

 先に逃げて貰った先輩たちには警察に連絡してもらって……。でも、待てよ。化けモンスターなんて、こんな話信じてくれるだろうか? 彼の頭に一抹の不安がよぎったが、今はそんなこと考えている余裕はなかった。

 秀明はトイレのスリッパのまま、ひょいっと渡り廊下を飛び越え玄関の方角へジャンプした。

 化けモンスター達は秀明の動きに感づき、先ほどまでエサを巡って争っていたが、お互い絡め合っていた触手をほどき、秀明を追いはじめた。

 奴らはそれほど動きが機敏で無かった。おかげで秀明は難なく表側の庭にまわることが出来た。

 庭まで来れば、玄関まで出るのはたいしたことでは無い。彼は、一刻も早くこの窮地を彼女らに知らせようと急いだ。

 だが、早く知らせなくては、という気持ちで彼は気配を察知出来なかった。

 もうすぐだ。あともう少しで玄関だ。と彼は焦りを感じながら走った。そして、玄関の前に到達した時につい安堵した為に気がゆるんだ。

 その瞬間ひゅっと頬に生臭い風があたり、間髪を入れずに彼の身体に強い衝撃が襲った。

 彼は一瞬気絶しそうになったが、何とか持ちこたえた。しかし、目の前が何も見えなくなり、さらに何かを顔に押しつけられたような圧迫感と息苦しさに見舞われた。

 彼は、すぐに化けモンスター達の触手に絡みつかれていると悟った。

 だめだ、もうお終いだ。こいつモンスターに食われる……。まだ女の子とキスしたこともないのに、ここで死ぬのか。そういえば中学の後輩に告られたことあったな。

 小学校卒業したばかりのガキと付き合えるかよって、その時は振ったけど今思えば付き合っとけば良かった。今、十七歳くらいだろうか、可愛くなっているだろうな。

 クソっ! ここで終わるかよ、俺は! 母さんゴメン親孝行出来なくて。ああ、だんだん昔のことが目によぎってきた、受験、勉強、高校生活、中学、ゲームに夢中だった小学校時代。そして親父。正直親父との思い出はあまりなかったが、海が好きな親父は良く伊豆の下田とか、千葉の銚子とかに連れてってくれたっけ。

 そしてだんだん意識が薄れていく次の瞬間、突然目の前が開けた。

 目の前にいるのは巫女装束姿の長身の女性二人。二人とも日本刀を腰に差し薙刀のようなものを持って身構えていた。

「ヒデ君、早く!」

 聞き覚えの有る声に秀明は思わず、「亜紀さん!」と叫んだ。

「いいから早く逃げて」酸欠で考えが纏まらない秀明は、ふらふらしながら彼女らの後方に廻る。

「とりあえず家の中に逃げて、そこは安全だから!」

 秀明はようやく正気を取り戻すと、彼に逃げろと言う、彼女らを差し置いて逃げるなんて訳に行かない、彼女らを逃がさなければ、と心の中で叫んだ。

 だが、中途半端な正義感で彼女らを守りたいという強い思いにも拘わらず、体が言うことを聞かず、逃げることも立ち向かうことも出来ず、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 何時まで立っても動けない秀明に、痺れを切らした亜紀は、片足で玄関開けると、秀明のシャツの襟をむんずと掴み、玄関のなかに放り込んで、すぐさまぴしゃりと扉を閉めた。

 秀明は己の不甲斐なさを呪いながら、ただ、ただ彼女らの無事を見届けるしかなかった。


 亜紀の武器は長い槍に刃が両端に付いている両刀、美紀の武器は大鎌だ。

「亜紀姉ぇ」美紀が化け物に後ろを取られた亜紀を援護する。

 彼女らはまるで蜂鳥が花の蜜を吸うように敵の周りを舞い、両刀と大鎌で攻撃していく。  

 秀明は、最初はどうなるかと思っていたが、優勢に事が運んでいると判ると安堵の息を漏らした。

 しかし、なんと華麗な攻撃なのか。まるで演武、いや円舞を見ている様だ。敵はあたりに淡黄色い体液を振り撒き、既に動きが鈍い。

「美紀ちゃん! 右側よろしく!」亜紀が怒鳴り声をあげると同時に敵が最後の力を振り絞り触手を伸ばすが、一瞬遅かった。美紀の大鎌が一振りで触手を切断し、亜紀の両刀で二体とも瞬殺された。

「雑魚だったけど、いい運動になったわ」と亜紀が玄関に入るなり、はあはあと息切れをしながら言った。

「奴らを見るのも久しぶりだったからね」と続けて美紀が言った。

 秀明は呆然として、え!? 雑魚なの!? あれが!? と驚愕した。

 それに雑魚とか言うほど、そんなに戦っているの? それよりこの人達何者? そう言えば手際よかったし、戦うと言うよりなんかスポーツのようだった、と秀明は疑問と賛辞が両方入り交じった複雑な感情が頭を支配していた。

「ヒデ君大丈夫だった? 血が出ている。すぐ手当しないと」と美紀が言う。

 あれ? そう言えば、なんか頬のあたりを切っているようだ、と今までまったく怪我をしていることに気が付かなかった事を不思議に感じた。そして、その事に気が付いてから始めて、頬がずきずきと痛みだした。

 ところで、さっきの奴のこと聞かなきゃ。と彼は頭の中のぐちゃぐちゃになった考えを彼女たちに尋ねたいと思う気持ちでいっぱいになった。


 亜紀と美紀はいつの間にか巫女服から、さっき着ていた白いワンピースに着替えていた。それにさっきの両刀と大鎌も無い。

 美紀は家の奥に救急箱をとりに行き、亜紀は玄関のあがり端に秀明を座らせ、傷の様子を見ている。

「さっきのは一体?」秀明が亜紀に話しかけると、ちょっと待ってと身振りで合図する。「ヒデ君、ちょっと顔こっち向けて」美紀が秀明にそう言いつつ手で顔を寄せる。

 彼にとって家族以外の女性の顔がこんなに近くに寄るのは初めてだった。たった一学年しか違わないのだが、この間まで高校生だった彼にとって、充分すぎる大人の色香にドギマギしていた。

「怪我してるのって、ほっぺとおでこだけだね。明日は念のためお医者さんに行きなさい」と美紀。

「ところでさっきの奴何なんですか?」聞くのは今しかないと感じた秀明は単刀直入に尋ねてみた。

 だが、亜紀と美紀は、え? どういうこと? みたいな顔でお互い見つめ合う。

「さっき、記憶消したんじゃなかった?」と亜紀が美紀に言う。

「え? 亜紀姉ぇが消したのかと……」と美紀はあれっ? という顔で亜紀をいぶかしげに見つめた。 

「え? 記憶消すってどういうこと?」

秀明はとんでもないことを言っている二人の話を聞いて、急に不安になった。

 亜紀はあちゃーという顔で秀明を見てから美紀に言う。

「あー、しょうがないわね〜、美紀ちゃんの役目なのにぃ〜」

「わかったよ〜」美紀は胸のペンダント〜ちょっと長めの棒状のものを取り出し、秀明に向けなにやらブツブツとつぶやく。

 これって、メンインブラック(地球に潜入している宇宙人の犯罪を取り締まるエージェントの活躍を描いたハリウッド映画)に出てくる、記憶を消去する道具じゃ無いか? やっばい、このままじゃ記憶消されるっ。秀明はいやな予感が的中したと感じた。

 そして、それに身構えて逃げに備えたが、後ろから亜紀にがっつり羽交い締めにされ、逃げられないように押さえつけられてしまった。古武術を嗜むせいか、女性のわりには彼女は意外に力が強く、大して力も無い貧弱な坊やである秀明は、びくとも身体を動かせなかった。

 そして、美紀の詠唱が終わると、ペンダントが眩い光を放ち周りが真っ白になった。

 秀明は一瞬目がチクチクと痛くなったが、すぐ収まった。しかし次に猛烈な眠気を催してきた。段々わけわかならくなってきて気を失ってしまった。


 彼はふと目を醒ますと見慣れた光景が目に入ったきた。

 何時間眠ったのだろうか? と彼は眠い目をこすりながら考えた。

 だが、よくよく考えれば、何のことはない。さっきの閃光で気を失う直前と変わりない。唯一異なるのは、美紀のペンダントで、それは既に胸元にしまわれている。

 ふと、時計に目をやると驚いた事にそれ程時間は進んでなかった。とんでもない長時間眠っていた気がするのだが。

 ちょっと不思議な気分になって亜紀に、

「あれ? さっき何やったんすか?」と尋ねた。

 亜紀は不思議そうに秀明の目を覗き、

「何って何のこと?」と、とぼけた。

「えっと、さっき目の前でピカッてやりましたよね? なんか昔の映画みたいに、あの黒人とおじさんの出てくる宇宙人の映画……」と秀明は説明を求めた。

「あ、メンインブラック……」と美紀が答える。

「そうですよ、メンインブラック!」と秀明は声を上げた。

「あの映画好きなの? うちブルーレイボックスあるから見る?」と美紀が答えるが、

「いやそうじゃなくて、それはまぁどうでもよくて」と秀明はかぶりを振った。

「僕が聞きたいのは、アレです。あのなんか得体の知れない生物と先輩が救ってくれたってことです」秀明には美紀の記憶消去術が全く効いて無かったのだ。

 亜紀が再び、あちゃーと言う表情を見せたかと思うと、美紀が、

「そうだね、ばれちゃったなら仕方ないね」と答えた。

 彼女達がさっきの事を徹底的に誤魔化すと秀明は思っていたので、彼にとって想定外の展開になり少し戸惑った。

「えっ、ちょっと美紀ちゃん何言ってんの?」と、亜紀が不安そうな面持ちで美紀に詰問した。

「亜紀姉ぇ、彼は神の贈り物だよ」美紀は凛とした態度で答えた。

「たしかに、さっきの記憶消去が効かなかったってのはあるけど、偶々ってのもあるし、判断するは早計じゃない?」と、亜紀は長い髪の毛を背中に下ろして美紀を見つめる。

「まぁ、そうだけど、預言を信じるならアリだと思う」

 亜紀は美紀の言うことにも一理あるとは思っていた。

「ちょっと待ってください、預言とか神とか何ですか?」秀明は一乗寺姉妹の会話に着いて行けなくなっていた。

「まぁ、簡単に言えば選ばれし者って奴」

「!?」彼は、彼女の言葉に、は? なんだそれ? と思ったが、あまりにも非現実的な話で声が出なかった。

「話すと長いけど、ボクたちは簡単に言えばモンスターハンターとかゴーストバスターのようなもんね」美紀は静かに話はじめた。

「またまた、僕からかってないですか」秀明は、そんなアニメとからのべみたいな話信じられないといった気持ちだった。

 だが、そんな秀明の言葉に美紀は物怖じせず、「冗談なんかでこんなこと言えないんだけど」と続ける。

 秀明は確かに冗談で言っているように思えなかった。目がとても真剣だったからだ。

「ま、何もかも話しとくね。実はああいうモンスター……て、ボクたちは妖鬼って言ってるけど、太古の昔から地球に居て、先祖代々からボクたちは奴らと戦ってきたんだ」美紀の話は続く。「あいつらは何時から、どうやって此処に来たかは知らないけど、度々人間の世界に干渉かけてきて。ボクたちの先祖が退けてきたけど、全部が全部巧く行ってきたわけじゃない。伝承によれば大昔は彼らの大群と戦争があったって記述もあるし、一時支配されかけたということもあった」

「でもね、ある日彼らと敵対する異世界の人……いろいろ解釈あるけど、たぶん神様とかの類いかな?」と美紀が言い掛けたところで、

「私は宇宙人かと思っている」そこで亜紀が口を挟む。

「ま、どっちでも良いか。その人、人達かな? が同盟というか支援してくれたんだ。戦う武器も一緒にね。その武器の一つがこれ」

 美紀がなにか詠唱すると、さっきの大鎌が目の前にぬぅっと出現した。余りに急に現れたので秀明はビックリして避けようと身体を反らし、その反動でバランスを崩してひっくり返りそうになった。

「今何も無い所から出てきたように見えたけど、手品かなんかですか?」秀明が尋ねる。

「アハっ! 魔法だよ!!」美紀がぷっと吹き出しながら言う。亜紀も後ろで笑っている。

「まぁ魔法は冗談だけど、現代科学じゃ説明出来ないテクノロジーで出来ているみたいだね。お爺ちゃんの知り合いが、東大の先生でね、まぁその人は考古学の人なんだけど、つてが色々有って、東大とか理化学研究所とかで分析とかして貰ったけど、未知の材質で出来てるんだって。どうしても解らないのは、ダイヤモンドと同じ分析結果だけど、見た目は全くダイヤじゃないって言っていた」

「消えて」と美紀が言うと大鎌も消えた。

「普段はこうやって人目につかないように隠しているんだけど、実際はボクから手が届くところにあるんだ。ほら、ドラえもんの四次元ポケットみたいな場所に、ただ隠れているだけ」

 へえ、なんかSFみたいなの。それにこれは夢なんじゃ無いか? と秀明は思った。

 そもそも大学のサークルでこんな美人姉妹と知り合いになれること自体、普通はあり得ないくらいだ。じつは大学入学する直前に見ている、単なる中二病を拗らしただけの夢なのかもしれない、と余りにも非現実的な出来事ばかりだった、これまでの出来事に秀明は漠然と、疑念を抱いた。

「先輩たちだけで戦っているんですか? 仲間とかいないんですか?」と彼が尋ねと、美紀は、

「そうだね。関東近郊だとボクたちだけ。でも全国にはボクたちと同じ仲間が散らばってるんだ。昔は各国に必ず一人は居たんだけどね」と答えた。さらに、

「戦とか戦争とかで人も武器もだいぶ失われたし、以前は仲間だったけど、志ざしが変わって離れる人たちもいる」と続けた。

「というと?」

「いわゆる賞金稼ぎとかお金のためだけに動く人たちとかね。守ってあげてるのにタダ働きは嫌だってね」

「仲間の人はどのくらい居るんですか?」

「日本だけなら、北日本が五人、関東はボクたち二人だけ、西日本は十二てところね。二十人近くいるわね。それに協力してくれる人も何人か」

 秀明はもっと疑問があったが、これ以上は嫌がられると思い、やめておいた。

「まぁ、そんな所で知って貰ったからには協力してもらうわよ」と亜紀は脅すように言った。

「でも、僕は武器なんて持ってないし、戦い方も知らないよ、どうやって?」と秀明。

「ハハ、なにも戦うことばかりが協力じゃないわよ。データ収集とか分析も有るじゃない? それに戦い方も知らなければ覚えればいい。とりあえず、毎朝道場に来て。私たちが鍛えてあげるよ」

「?」

「じゃ、これでサークル入るの決まりねっ! 表向きは私たちと同じ古武道始めるってことでいいかな!」

 なんと、まんま上手く口車乗せられて入部させられてしまった。ひょっとして今までの出来事は入部させるためのトリックだったのか? 

 トリックしては懲りすぎだよな。それにこの傷。秀明はさっき先輩に手当してもらった、頬のガーゼを触りながら、様々な思いを駆け巡らせた。


 客間に戻ると香織も竜二も寝ていた。

「彼ら、放って置きっぱなしでしたね」と秀明が言った。

「戦っている間に寝ていてもらっていたのよ」と亜紀が返す。

「でも、逃げてもらったほうが良くなかったですか? ここに化け物共が押し入ってきたらヤバかったんじゃ?」秀明は亜紀に尋ねた。

「ソレは大丈夫よ。ちゃんと結界は張っておいたもん。それにあいつ等は、うちの中には入れないようなっているのよ」

「というと?」

「この家自体が強力な結界なの。だからここにまた結界を張らなくても良いんだけど、ま、念のためね」

「でも、家自体が結界なら何であいつ等は侵入できたんですか?」

「そうね、おそらく渡り廊下ってことで、半分外みたいなものだから、結界が弱かったのかもね。もしくは結界の張られ方があまかったか。おっとこれ以上長話は禁物。彼女たちが目覚めるみたい」

 亜紀の話が終わらないうちに、ううんと香織のうめき声が聞こえた。竜二は口全開に開けて涎を垂らしていたが、香織の声に気がつきびくっと身体を痙攣させ、目をこすりながら起きた。涎流していることに気づいたか、口を手で拭いながら、

「あれっ、寝ちまってた。んだ? おまえ顔どうしたんだ?」

 秀明はとっさに言い訳を考えて、

「ん? いや、あのさ、べ、いや、トイレの柱にぶつけちゃってさ」

 ありがちな下手な言い訳だ。でも竜二はさほど興味なかったらしく、気の抜けた声で

「ああ、そうなん? ドジっこやなオマエ」

と言っただけで、それ以上この話題にはふれてこなかった。

 香織は一度起きあがりぼーっとした顔で、

「アレ、もう朝?」とボソッと呟いた後、

「なんだまだ夜中じゃん」と再びボソッと言って、再び横になろうとした。

「ホラホラ待田さん、こんなところ寝ないで、お布団敷いたからこっちで寝て!」

美紀が肩を抱いて奥座敷に連れて行く。

「男子! これから着替えさせるから開けちゃだめよ」と亜紀も奥座敷に入り襖をピシャッと閉めた。

 奥で香織が「もぉ、眠いからこのままでいいよお!」とだだをこねていたが、五分くらい経つと静かになった。

 さっきの化物との戦いの件で秀明は、うまく竜二を誤魔化したつもりだったが、竜二はまだ秀明をなんか訝しそうに見ている。

「おま、先輩にやらしいことしたろ……」ぼそっと竜二がいう。

「はぁ? おまえ何言ってんだよ? 相手は年上だぞ?」

「あん? 年上つったって、一個しか離れてねえジャン。第一おまえは四月生まれなんだから、先輩が三月生まれならへたすりゃ一ヶ月しかちがわネェ。早生まれのおれなんかに比べりゃ断然歳近いんだっつうの」

「いや、それ関係ないから。俺は別になんもやってねえわ」

 先輩と違って竜二相手だと秀明の口調もつい荒っぽくなる。

「ちょっとあんた達うるさい!」亜紀が襖を開け怒鳴りちらす。

「すみません」と声を合わせて謝る二人。

「もうしょうがないわね、香織ちゃんももう寝たし大丈夫よ」と亜紀が奥から出てきて襖をぴしゃりと閉めながら言った。

「しかし、香織ちゃん着替えさせる大変だったわね」と亜紀。

「結構寝起き悪いよね。あの子」と美紀。

「あ、俺たちもう夜遅いし帰ろっかなって」竜二がいたたまれなくなったのかそわそわしながら言う。時計を見たらもう二時近い。

 秀明も、疲労と眠気で倒れそうだったので「ああ、先輩今日はお世話になりました」と、一乗寺姉妹に礼を述べ、席を立った。

「じゃ、また明日。講義終わって時間あったら部室に寄って」と美紀。

「わかりました。おい、明日講義なんだっけ?」と竜二が僕に尋ねる。

「えっと、同じ講義取ってるなら、午前中は英語と心理学だね、午後は経済と経営学に解析学だけど経営学は休講って噂。教授が体調悪くて先週末から休みらしいんだ。別のコマ取ってる女子が話してた」と秀明。

「あん? おまえもう女子と仲良いのかよ?」と竜二がつっかかてくる。

「いや、今日のドイツ語の時間に話してたって。おまえも居たじゃん」秀明が説明する。

「あれそうだっけ? そういえばドイツ語、記憶ねぇ」

 か〜こいつ寝ていたのか。と秀明は呆れた。

「もう二時過ぎたよ」亜紀がせっついてくる。露骨に早く帰れって言っている様だった。

「あぁ、ゴメンなさい、もう帰ります」竜二があわてて靴を履く。彼の靴はブーツなので履くのに少し手間取っていた。

 秀明は既に靴を履いて玄関のところで竜二を待って立っていたが、意外に竜二が靴を履くのに時間をとっているため、手持ち無沙汰だった。優しく微笑む一乗寺姉妹を眺めながら、これから面倒なことに巻き込まれる事に少し憂いを持っていた。

 ようやく竜二も靴を履けた。彼等は後ろ手に玄関の引き戸を開け「お邪魔しました」と挨拶して玄関を出た。

 驚いたことに玄関先は何事もなかったように綺麗になっていた。例の後かたづけ係の人たちが片づけたのだろうか? 

 竜二はそんなことは我感せず、といった雰囲気で門の木戸をくぐった。

 振り返ると一乗寺姉妹が見送りに来てくれていた。竜二と秀明は軽く手を振り、彼女たちの屋敷を後にした。

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