明日からもずっとひとりだ
「はあっ!? 学校を退学する!?」
副会長の大きな声が廊下中に響き渡った。
何人かの生徒が振り返ってこちらを見つめてきたが、俺はただうつむくことしかできなかった。
「……ちょっとこっち来て。話がある」
書類を抱えた小島さんは無理やりに俺の手を取ると、階段の踊り場まで引っ張って連れてきた。
人気のない場所まで連れてこられると、小島さんは一息ついて静かに口を開いた。
「何があったのか説明してよ」
「べつに……なにもないよ」
「そんな暗い顔浮かべてたら誰でも分かるって!」
少しの沈黙が流れた。
俺はふう──とため息を吐き、小島さんに全ての事情を話すことにした。
アパートを借りて妹と二人で住んでいること。
生活費がきつくて、妹に服も買い与えてやれず、不憫な思いをさせてしまっていること。
それが原因で妹が学校でイジメを受けていること──。
「それであんたが学校をやめて働いて、少しでも環境を良くしようって思ったってことね」
俺は頷いた。
「……それで本当に全部解決すると思ってる?」
「え?」
正面を向くと、そこには小島さんの真っ直ぐと見据えた──真剣な眼差しがあった。
「イジメってのはね、ちょっと家庭環境を変えただけじゃ変わらないもんだよ」
小島さんは続けて言う。
「仮にあんたが働いて、妹ちゃんに可愛い洋服を買ってあげたとする。でもその中でも妹ちゃんはイジメの的。少し雰囲気を変えたからって、『似合わない服装──』『調子に乗ってる』とか、陰口叩かれるのが目に見えるよ」
「そんなこと、あるのかな」
「女の子のイジメは複雑で、生々しいんだよ。それに、一度イジメの的にされたら中々そこから抜け出せないよ」
俺は、心の中で降参のポーズをとった。
たしかに小島さんの言う通り、俺が学校をやめて働いたところでイジメが解決するとは思えなくなってきた。
「一度、担任の先生に相談してみたらどうかな?」
「今朝、しました。──で、はねつけられてしまいました。「勘違いじゃないの?」って」
その瞬間、小島さんは怒りの表情を浮かべた。
「あーーもう! そういうタイプの担任か! いるんだよねー!」
小島さんは歯ぎしりをしたり、床を何度も足で蹴ったりした。
「あの、副会長、なにかアドバイスをくれませんか?」
俺は素直に頭を下げてお願いをした。
「……実をいうとね、イジメ対策で効果が高いのは、相手に何かされた時、その場で『やめて』と言えることなんだけど……これはその子の性格で言える言えないかでまるで違うからね」
たしかに、引っ込み思案の飾莉が、声を荒げて相手に反抗する姿を想像できない。
「──で、あんたの妹はどんな子なの?」
俺の妹──。
昔は明るくて、誰とでも仲良くなれるような子だった。
けれど親父が死んでから、表情が暗くなって、口数が少なくなっていって、いつも寂しさを身にまとっているようになった。
そんな妹を元気づけようと、色々と世話をして、学校帰りに手をつないで帰って、一緒にご飯を食べて、バラエティ番組で笑い合って……。
飾莉は兄である俺の前だけでは素の表情を出してくれる。
そんな妹を、俺は心のそこでどうか救ってやりたいと、ずっと思っていた。
「相当大切にしてるみたいね。でも──」
小島さんは一呼吸を置いて、言った。
「イジメを解決するに向けて、最低限やっちゃいけない事だけはあるの」
「最低限……?」
「それは、周りの人間が『解決しないと!!』ってヒートアップして、本人の気持ちを置き去りにしてしまうこと」
意表を突かれたような気がした。
まさに、その状態が自分そのものだった。
「本人が『大ごとになりたくない』と願っているのに、お互いの家族が学校中を巻き込んで大騒動で解決してもだめなの。それでたとえイジメが沈静化しても、そこに居場所がなくなったら意味がないからね」
小島さんは冷静な声で、話してくれた。
「──だから大事なのは、妹ちゃんがどんな風な解決を望んでいるのかをよく聞くことね」
同時に、昼休みを終えるチャイムが鳴った。
「私もう行かなきゃ! またいつでも相談して。……絶対だからね?」
「うん、ありがとう。小島さん」
小島さんのアドバイスは確かに的を得ているような気がした。
……飾莉は、どんな解決方法を望んでいるんだろうか。
***
学校が終わった。
アパートに戻ると、俺は6号室のドアをノックした。
いつもなら元気よく飛び出してくるその姿は、今日はそれがなかった。
「久園寺さん……? 入らせてもらうよ」
俺はドアノブをひねり、扉を静かに開ける。
部屋の電気はついていない。
室内を薄く照らすのは、窓際に置かれているパソコンのモニターの光。
そこに、静かに座ってパソコンを操作している久園寺さんの姿があった。
「久園寺さん……?」
いつもは天真爛漫な彼女が、今日に至っては冷静にパソコンの画面をみつめている。
少し足を踏み出す。
俺は空き缶を蹴ったらしく、カラカラと音を鳴らして床を転がっていった。
……この前掃除したばかりなのに。
俺は少し落胆していると、久園寺さんがようやく口を開いた。
「悟さん、これをみてもらえますか?」
俺は久園寺さんの隣に座り、モニターの画面に表示されているサイトをまじまじと見つめる。
久園寺さんはマウスを操作すると、その文章を読み上げた。
「“イジメ”で検索すると、7千6百5十万件」
「“イジメ” 解決」で検索すると3千4十万件」
彼女の声色は、今までになく冷徹だった。
「──それで、そのどこにも、完璧な解決方法はのってないんです」
そうか……。
久園寺さんも、事態を認識したらしく、自分なりにできることをしているんだろう。
「相手に謝ってほしい人間──子供の仇をとりたい親。子供の疑いを晴らしたい親──相手を同じ目に合わせてやりたい人間」
久園寺さんは淡々と語り続ける。
「立場も性格も、関係してくる人間の配置も違う……だからどのケースにも効く「完璧な答え」なんてどうやったって出てこないんです」
イジメの解決に、答えなんて存在しない。
被害者は泣き寝入りし、打つすべがなく終わる。
「──だからって、諦めるわけにはいかないんです!!!!」
久園寺さんは立ち上がって、体を震わせていた。
張り上げた声は、建物全体を揺るがすように、怒りに満ちた振動で震わせた。
「……答えが見つからないから何もしないのでは、話が進みません」
俺は、その場で立ち尽くす久園寺さんを、ただ見上げることしかできなかった。
「きっと飾莉ちゃんは、明日からもずっとひとりだ……」
つぶやくように言った声が、今にも泣きそうなほどに震えていた。
久園寺さんは腕で目をこすると、こっちを向いてはっきりと言った。
「悟さん。明日、一緒に学校をサボってくれませんか?」
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