第38話 異能特区の長×報告×始動

 科学特区での任務を遂行した陽たち一行は後日の再会を約束した後、それぞれの帰路に着いた。


 陽たちはその足で行政区へと出頭して行政長と面会する。吸血鬼事件の真相とそれまでに得た情報を報告する為だ。


 行政長の執務室では異能特区を治める望月邦春が書類の処理に覆われていた。執務室へと通された陽たちは室内に設置されたソファーに腰を下ろして片付くのを待つ。激務に追われる邦春の顔には疲労の色が窺え、両目の下に出来た大きなクマから察するに睡眠も碌に取れていないことがわかる。そんな姿を見れば誰だって休憩を勧めたくなるところ、陽と那月は気にする様子もなく用意されたお茶を飲む。


 二人にとって邦春が激務に身を費やす姿に見慣れていた。そこには異能特区ならではの問題が関係している。


 異能特区の住民には異能者と非異能者の二種類の人種がいる。前者は異能の力を使用して特区の治安を守る役目を担い、後者は商業や農業などを生業として生活や景気を支えている。そこに地位の格差はない、と銘打ってはいるが、数少ない異能者の稀少価値に優遇されるのが現実である。そのため反異能者団体といった組織が騒動を起こすのも珍しくはない。そのたびに異能者が解決に当たるため溝は深まるばかり。それらのしわ寄せが全て邦春のもとに届く。そこでこの事態を重く捉えた行政区は作業の分配化を図った。邦春の判断がなくとも処理できる案件は手前で処理するというものだ。


「それでも結局の所は激務なのよね」


 ティーカップをソーサーに戻した那月は視線だけを邦春に向けながら現実を声にした。


「これでもだいぶマシになった方だろう。前は目も当てられない書類の山がいくつも積んであったからな」


 陽も那月と同じくティーカップをソーサーに戻した。そんな我関せずといった態度に書類の山の向かい側から文句の声が上がった。


「そう思うなら手伝ってくれよ!」


 文句の声は邦春によるものだ。


「文句を言いながら手は休ませないところが流石ね」


「まったくだ。行政長の鑑のような人物だな」


「僕はそんな言葉に騙されないぞ!」


 称賛を送る陽たちに真っ向から噛みついた邦春の言葉に二人揃って舌打ちをした。それも露骨に聞かせた。


「舌打ち⁉ 今、舌打ちしたよね⁉」


「ええ、したわよ。それが何か?」


「開き直ったよ、この子! そんなに手伝いたくないのか?」


「当然ね。だれが嬉しくて自ら仕事をするのかしら?」


 このまま言葉を交わしても永遠に勝てないと確信した邦春は縋るように視線を陽に送った。


「諦めてください。那月さんが与えられた仕事以外で動くことはありえませんから」


 那月を言い負かすことが出来る唯一の存在が断言したことで邦春の希望は潰えた。しかし、諦めの悪い彼は何か方法を考えた挙句、一言を放った。


「これは行政長としての命令だ」


 部下から嫌われる台詞ダントツ一位に君臨する言葉だった。現にその発言を耳にした二人の視線は呆れと侮蔑に満ちたものだ。邦春は思わず視線を外そうと顔を背けたくなるが、ここで引けば全面に非を認めてしまうことになる。それでは行政区の長としてあまりにも情けない。そんな小さなプライドだけが押し留まらせた。


 非難の視線を一身に浴びながらも視線を背けない邦春の姿から心情を察した那月は大きく溜め息を吐きながら立ち上がって体ごと邦春に向けた。その行動を見て遂に手伝う気になってくれたのだと希望を抱いた邦春だったが、一瞬にしてどん底へと落とされる。


「そんなのだと部下に嫌われるわよ」


「ノ――――――‼」


 那月の一言が邦春の心にクリティカルヒットした。悲鳴をあげながら頭を抱えて蹲り、ううう、と嗚咽を漏らしながら涙もうっすらと浮かべる。陽たちからすれば部下の前で堂々と泣く姿の方が行政区の長としての威厳を感じられない。


 邦春が情けない姿を見せて五分が経過した。その最中も陽たちは邦春を慰めるようなことはせず、彼が正気を取り戻すのをお茶を飲みながら待っていた。


 邦春は嗚咽を止めると、何事もなかったかのように立ち上がった。涙で赤くした両目を腕で拭った後、陽と那月が座る向かい側のソファーに腰を下ろした。


「すまない。情けない姿を見せてしまったな」


 邦春は先程までの頼りない姿からは想像できない態度を取る。


「ようやく落ち着いたみたいね。無理だとは思うけど、それでも仕事量を減らした方がいいと助言させてもらうわ」


 邦春が本来の姿を取り戻したことを確認した那月はこれまでに何度もしてきた助言を改めて伝えた。激務のあまりテンションの調整が不良になってしまうのは誰にも起こり得る精神的問題で、邦春はその立場上から日常茶飯事になっていた。それを晴らすには放置して発散させるのが一番なのだ。


「ははは、それは本当に無理だな。処理よりも仕事量の方が多くて減らないのさ」


 邦春は肩を竦めた。言葉からもわかるように助言した那月も初めから諦めていたこともあり、これ以上の追及をすることはなかった。


 早速、本題に入る。吸血鬼事件の真相と科学特区の研究所で記されていた血文字の謎の言葉。それから首謀者であるノバルティスを取り逃したことと協力者であるニールセンの失踪の報告を口頭で伝えていく。本来ならば報告書に纏めて提出するところを口頭で済ませているのは宗教特区と秘密裏に協力していたからだ。邦春とオルガがどのような約束を取り交わしたかは定かでないが、お互いにとって有益な事に違いないだろう。その辺りを陽たちが詮索することはない。詮索行為は自分たちの主を信頼していないことに繋がると考えているからだ。


 一通りの報告を聞いた邦春が興味を深く抱いたのはやはり血文字の一件だった。


「ARSMAGNAか……」


 邦春は文字を紐解いて言葉の意味を考えるも答えは一向に出てこない。ただ全く情報がないわけではない。過去の書物に同じ文面が綴られた記録があるからだ。


「錬金術の書物の一説に綴られた言葉だ。確か大いなる秘法や秘術という意味だったと思う」


「錬金術ですか……」


 任務を熟すことで様々な知識に通ずるようになった陽たちでも錬金術は専門外だった。だから血文字を目にしても読み解くことができなかった。邦春もまた深く知識を持っているわけでもなく、そこから推理が進むことはない。


「それはそうと、面白い人物を捕虜にしたみたいだな」


「ええ。科学特区の科学者で、それなりの地位に就いていたようです。一応は協力関係という形で連れてきましたが、今頃は憤っていることでしょう」


 戦闘記録を餌に案内人を務めさせた梅巽を陽たちは異能特区まで連行して牢屋に放り込んだ。ぞんざいだと非難される扱いではあるが、梅巽に選択できる立場にない。異能特区では犯罪者のレッテルが貼られ、科学特区では裏切り者扱いを受ける。否応にも陽たちの指示に従う他に選択肢がないのだ。


「捕虜の取り扱いは邦春様にお任せします」


「そのつもりだ。科学特区での培った技術を存分に使わせてもらうさ」


「怖い怖い。――それで? 私たちはこれからどのように?」


 那月は今後の方針を邦春に訊いた。


「明日の朝一番でオルガ=クーリナと面会してほしい。首謀者であるノバルティスと失踪者のニールセン。それからARSMAGNAが何を示すのか、その辺りの調査と情報提供の協力関係を改めて結んできてほしい」


 邦春の命令を受けた陽と那月はソファーから腰を上げて立ち上がると、胸元に利き手を合わせて頭を下げた。


「そのご命令、しかと承りました」


 命令を受けた時の返答と礼儀を持って陽と那月は謎を解明するべく始動するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る