第32話『世界の終りまで』

「……何てことを」

 駆けつけた美奈子は、絶句した。

 それは、彼女が通う高校から1キロほども離れていない、田んぼや寂れた工場が立ち並ぶ場所。

 今は稼動していない廃屋同然の工場のガレージの片隅に、その少女はいた。

 着衣の乱れた少女は、泣いていた。

 すでに目の焦点は合っていない。彼女の目はもう何も見ていなかった。

 正確に言えば、瞳が捉えている映像を意識が処理していない。

 問いかけにも、何も答えない。

 一言で表現してしまえば、彼女は完全に外界に対し心を閉ざしたのだ。



「美奈子ちゃん、様子はどうですの!?」

 一足先に駆けつけた美奈子より、遅れること5分。彼女の高校の教師である佐伯麗子が、目と耳が不自由な生徒・早崎乃亜を乗せた車イスを押して、あわて気味に入ってきた。

 何かを吹っ切るように頭を振り、震える手で少女の肩に触れる美奈子。

「いや、いやあああああ!」

 とたんに、少女の体はビクンと反応たかと思うと、ガレージの隅まで這いずっていき、ガタガタと震えおびえるようにうずくまってしまった。

 麗子は、一目で状況を見て取った。

 一度脱がされた服をあわてて着たような、少女の着衣の乱れ。むき出しのコンクリートに染み込んだ鮮血。少女がどういう目にあったのかを思って、いたたまれなくなった麗子は美奈子に尋ねた。

「読み取りましたの……?」

 燃えている。

 美奈子の目が真っ赤に燃えている。

 火の神、裁きの闘神は怒りに満ちて立ち上がった。

「犯人は、絶対に、追いつめる」



 藤岡美奈子は、恐ろしい能力を秘めたESP (エスパー) である。

 そして、麗子・乃亜の二人も、それぞれに美奈子と同じ能力者仲間である。

 下校時間を迎え、麗子がいつものように乃亜の車イスを押して自宅に送ろうとしたその時のことだった。

 おびえた表情で、乃亜は天井の一点をジーッと見つめるような仕草をした。

 目が見えないので、実際に見つめているわけではないだろう。

「……泣いている」

 乃亜は、ボソリとつぶやいた。

「えっ」

 どういうことなの? と麗子が聞く前に乃亜は付け加えた。

「誰かが、ひどい目に遭って……心を壊された」

 彼女は、目が見えない・耳が聞こえないという二つのハンデを持っている。

 しかし、それを補ってあまりある能力を持っていた。

 人の姿や風景が見えない変わりに、彼女は人のむき出しの心の状態が見えるのだ。

 つまり、人の心理をことごとく読み取る『心眼』の持ち主であった。

 乃亜はその能力で、近くに危険な心理状態にある人物がいることを察知したのだ。



 さっそく、別クラスにいた美奈子にテレパシーで連絡を取る。

 ダイレクトサイコリンクで乃亜からその人物の位置情報を受け取った美奈子は、真っ先に現場に急行することにした。



「アキレスの足!」



 時速80キロ以上で走行できる美奈子は、すぐさま現場に着くことができた。そして、乃亜を乗せた車イスを押した麗子が、だいぶ遅れて到着した……と、そいういう経緯があったのである。

 美奈子は、人や物体に触れただけでそ、こに残った残留思念を読み取ることができる、いわゆる『サイコメトリー』という能力を持っていた。

 そして、美奈子が被害者の少女に触れることで読み取ったのは、おぞましい性犯罪の一部始終だった。



「乃亜ちゃん」

 普段の温厚な美奈子からは想像もできないような、低く厳しい声。



 ……はい



 耳の聞こえない乃亜との会話は、主にテレパシーで行われる。

「私がこの子にしてやれるのは、憎き犯人を捕まえてあげることしかない。でも本当にこの子を救ってあげられるのは、あなただけ。お願いできる?」

 乃亜にはその覚悟は出来ていた。もとより、そのつもりで来たのだから。



 ……やってみます



 乃亜は体をかがめて、慎重に車イスを降りた。

 むき出しのコンクリートの床を這って、おびえる少女の横に肩を並べて座った。

 そして、そっと少女の手を握る。

 それを見届けた美奈子と麗子は、廃工場を出て大空の下に出た。

 今こそ、悪を追いつめ、審判の鉄槌を下す時だ。

 二人の瞳が、まばゆい光を放った。




 荒涼とした風景。

 乃亜は、少女の心の世界に入り込んだ。

「どこに……いるの?」

 色のない世界。

 廊下の角を何度も曲がり、幾つものドアを開けるが、少女は見つからない。

 耳を澄ませば、どこか遠くからシクシク泣く声が聞こえてくる。

「怖がらないで。私はあなたの味方——」

 そう言ったとたん、乃亜の周囲が暗転して、何も見えなくなった。

 途方もない、深い闇。

 闇の底から、不気味な声が響く。



 アナタ、ホントウニワタシノミカタ?



 悪意の塊が、乃亜を襲う。

 服が引き裂かれた。

 おぞましい粘液に覆われた何かの物体が、体中を這い回る。

 異物は、乃亜の体のあらゆる部分から、体内に侵入してきた。

「痛い、痛いよおおおおっ!!」

 経験したこともないような、絶望感。そして喪失感。

 今、乃亜はこの少女の味わったものと同等の苦しみを、精神的に体験させられることとなったのだ。

 死んだほうがましだと思えるほどの無力感・虚脱感。

 とうとう、蛇の頭は乃亜の胎内を突いてきた。

「いやあああああああああああ」

 しかし、負けるわけにはいかなかった。

 屈するわけにはいかなかった。

「負けちゃだめ!」

 乃亜は必死に呼びかけた。

「私は、あなたを助けたいのよ——」



 少女の身に何が起こったのか、当事者と同じように体験してしまったのは、乃亜だけではない。少女に触れることですべてを読み取った美奈子もまた、同様に心に深い傷を負った。

 彼女は、悲しかった。

 力で犯人を追うことができても、この世界を変えるにはあまりに無力だ。

 美奈子のいないところで、今この時も同じような犯罪が起こり、巻き込まれた罪のない命が、犠牲となっているのだろう。

 しかし、それを考えるべきは今ではない。

 犯人を捕らえること。それのみに意識を集中するのだ。

 深呼吸をひとつした美奈子の目が、ルビーの輝きを放つ。



「ワイズマンズ・サイト! (賢者の目)」



 東京都庁の住民台帳データーベースをハッキング。

 警視庁が張り巡らせた、厳重なファイアーウォールを一瞬で突破。残留思念と、残った男の体液から読み取ったDNA情報を付つき合わせ、身元を特定。

「捕まえた!」

 アメリカ国防省が誇る軍事偵察衛星 『KH-4B』 の監視カメラと自らの眼球をリンクさせ、現在の犯人の位置を割り出す。

「犯人は、車に乗ってる。首都高速3号渋谷線を、東名高速へ向かって時速80キロで走行中。ほっといたら東京を出られてしまうわ」

 横で聞いていた麗子は、出番だとばかりに気合いを入れた。

 風の精霊と一体となった麗子の目が、エメラルドグリーンの輝きを増す。



 ……風の声、大地の唄。

 空の眷族、万物の理を司る精霊よ。今こそ我が声に耳を傾けよ——



 この時、東京上空は一瞬にして夜のようにかき曇り、稲妻がひらめいた。

「首都高から、無理矢理引きずり降ろしてさしあげますわっ」

 麗子のロングヘアーがブワッと総毛立ち、宙に波打った。



「サンダー・ストーム!」



 その頃。

「な、何なんだよ!」

 天気が急に変わったのにも驚いたが、目の前にいきなり逆巻く竜巻が現れたのだ。

 男は、必死でハンドルを切ると、何とかその渦を回避した。

「日本で竜巻なんて、ほとんど聞いたことねぇぞっ」

 しかも、ここは高速道路の上だ。

 何がどうなっているのか分からず、男は車を一番左の斜線に寄せる。

 だが、その先に待っていたのは、さらに渦の大きな竜巻だった。

 耳を塞ぎたくなるような音とともに、稲妻までもが車を襲う。

「ひいいいいっ」

 これ以上高速を走るのは危険だと判断した男は、三軒茶屋の出口で一般道に下りた。しかし、これこそが麗子の狙いだったのである。

 


 ……私は、トモダチ。


「トモダチ?」


 …そう。


「誰の?」


 ……あなたの



 乃亜は、襲い来るすべての苦痛と恥辱に耐えた。

 するといつの間にか、周囲はもとの殺風景な灰色の空間に戻っていた。

「あなたは……どこ?」

 心の命じるままに、乃亜は目の前に突如現れたドアを開けた。

 涙が一筋、乃亜の頬を伝った。

「会えた。やっと、会ってくれた——」



 ドアの向こうでは、放心状態の少女がベッドに腰掛けていた。

「私はね、もういいの」

 何と無機質な、感情のこもらない声であろうか。

「もうね、だ~れも信じないの。だれも心の中に入れないの。そしたら、楽なんだもん。もう、これ以上傷付かなくて済むんだもん」

 背を向けたままの少女は、それっきりうつむいて無言になった。



「あなたは、ひとりじゃないわ」

 乃亜は、背後から歩み寄って少女を背中から抱いた。

「私がいる——」

 少女の頬が緩んだ。



 ……ああ。温かい。



 それは、偽りのない情熱であった。

 彼女と同じ苦痛を味わってまでも、なお他人を救おうとする本当の思いやり、そして愛の心。

 少女は、全身が溶けていくような愛の喜びに浸った。

「私だけじゃないのよ。あなたのために、今この時も必死で戦おうとしている仲間がいることも忘れないで」

 建物の外で、他の誰でもない少女のためにフルパワーの超能力戦を繰り広げる二人の戦士のビジョンを、乃亜は少女に見せた。

「みんな、会ったこともない私のために……?」

「そうよ」

 乃亜は、そう言って微笑むのだった。



「いよいよ、追いつめましたわよっ」

 竜巻と稲妻に翻弄され、ついに犯人は車を放棄し、道路を横切ってまだ土地利用されていない雑木林に駆け込んだ。

 麗子が叫ぶまでもなく、美奈子には十分分かっていた。

 犯人の最期が来たことを。

 炎の申し子、美奈子の体は火だるまになって燃え上がった。

 犯人に対して、美奈子は躊躇することなく、彼女がその能力で使い得る最大級の火力技を使おうとしていた。

 美奈子は、心の中でイメージした。

 できることならこの火ですべての悪を、すべての醜いものを焼き尽くすことができたなら——。

 しかし、今出来ることは残念ながら、犯人を追いつめることだけだ。

「待っててね。今無念を晴らしてあげるっ」

 ついに、美奈子の頂点に達した怒りが炸裂した。



「メギド・フレイム (神の火)!」



 東京の空がくれないに染まった。

 空を見上げたお年よりが、かつての東京大空襲を思い出すほどであった。

 隕石のように、無数の火の玉が男の周囲に降ってきた。

 それが、ひとつひとつ地響きを立てて、地に突き刺さる。

「ひいいいいいいいいいいっ」

 鼓膜が破れたのか、周囲が無音になった。男には何も聞こえない。

 降ってきた火の玉が地に触れると同時に、一気に燃え上がる雑木林。

 どこに逃げる隙もない。

 というのも、いまこの瞬間、火が燃えていない場所は男の周囲にどこにもなかったからである。当然、狂った炎は男の体を舐め尽す。

「熱いっ、熱いいいいいっ!」

 男はもう立っていられなくなって、ついに地面に倒れた。

 眼球が、焼け溶けてゆく。

 手足の皮膚が焦げ、裂けた黒い皮膚の間からパックリと白く焼けた肉が見える。

「うわああああああああああああ」

 少女が味わったのと同レベルの精神的責め苦を味わい、男は気を失った。



 少女を陵辱した男は、警察に捕まった。

 不思議なことに、あれだけの大火が雑木林を襲ったというのに、消防隊が駆けつけて鎮火してみると、民家には一切被害が及んでいなかったのだ。

 何よりも驚くべきことは、その炎の真っ只中にいた男の命が助かったことである。

 医師によると、男は死に至らない程度の面積の皮膚を火傷(やけど)しただけであるらしい。

 これから、男の身柄は法の裁きにゆだねられることになる——。



 戦い終わって。

 美奈子と麗子は、廃屋で身を寄せ合う少女と乃亜のもとへ戻った。

「……良かった」

 つぶやく美奈子の横で、麗子も安堵の吐息を漏らした。

「ありがとね、乃亜ちゃん」

 乃亜は、少女を胸に抱いていた。

 泣きつかれた少女は、乃亜の胸の中でスヤスヤと眠っていた。

 少女の頬には、幾つもの涙の筋が乾いた後があり、痛々しかった。

 それでも、乃亜の胸に顔を寄せた少女の寝顔は、母に抱かれて安心しきったかのように、安らかだった。

 光と音を失った少女・乃亜は、少女の頭を優しく撫で、歌うように言った。



 今は、ただお眠り。

 イヤなことは何もかも忘れて。

 ごらん。

 あなたは一人じゃないよ。

 みんな、あなたの味方。

 あなたが眠りから覚めた時、

 あなたのこれから見るもの、触れるものが、

 みな、あなたを優しく迎えますように。



 忘れないで。

 世界の終わりまで、私はあなたの味方なのだから——。


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