第9話 幼女が家にやってくる
*
「零点だな」
腕を組み、僕を見下すような表情でミクが言い捨てる。ミクは変装のつもりなのか、うちとは違う学校のセーラー服を着ていた。
「なんでだよ! 水上バスでお台場まで行って、海浜公園で二人でお弁当食べて、ガンダムベース行って、完璧なデートコースじゃないか」
その後、浅草まで戻ってきたところでミクにバーキンに連れ込まれ、現在に至る。
「……ガンダムは、違う」
ミクが真顔で諭すように言う。僕ははぁ? と言い返して顔の前で手を振る。
「違わない違わない。カコもすっごい真剣にメモ取ってたし」
「メモ取ること自体がおかしーだろ。社会科見学じゃねーんだから。そもそもデートコースってなんだよ。ふつーに会ってふつーに遊べばいーじゃねーか」
「そんな、ふつーに会って遊ぶって、なにするか思いつかないよ。だからネットで訊いてみたんだよ」
「なんて訊いたんだよ」
「めしどこかたのむ」
はぁ、と頭を抱えるミク。
なんだよ、ネットで訊いてみるのは常識だろ? ソースは天気の子。
「そんな訊き方するから、からかわれてんだよ」
「そんなことないね。ちゃんと他の質問にも答えてくれたし」
「他の質問って?」
「『ララア・スン専用モビルアーマーって元はなんて名前なんですか』って」
「からかってるのはおまえの方だろ!」
なんでだ。
「百歩譲ってガンダムがダメだったとしても、零点はないね。もしそうなら二日続けてデートなんて言ってこないでしょ」
「え、デート?」
しまった。聞いてなかったのか。
黙っとけばよかった。
「おい、イチロー。明日もデートなんて聞いてねーぞ。ほんとか、それ」
急に身を乗り出すミク。
その余裕のない様子に、僕はにやりと口元に笑みを浮かべた。
「いやあ、僕の勘違いだったかもなあ」
「てめ……」
「カコに訊いてみたらあ? ま、『明日イチローとデートなの?』って訊くわけにもいかないだろうけどねっへっへっへ」
今までの仕返しとばかり、意地悪に笑ってみせる。ミクは焦った様子でスマホをぽちぽちやり始めた。
「明日、カコと約束してんだよ、岩盤浴。チケットもらったからって」
「岩盤浴?」
「嘘だろ、カコ。あたしの約束すっぽかしかよ」
ぶつぶつ言いながらスマホを打っていたミクだったけれど、次第にその顔がふわっと緩んでいく。
「なんだ、大丈夫じゃねーか。イチローの方こそ確認した方がいーんじゃねーの? 何時にどこで待ち合わせなんだ?」
「えっ」
そう言えば、その話はしてなかった。
まあいいか。夜にでもLINEで連絡すればいい。
「どちらにしろ結果は報告しろよな」
「なんでだよ」
「だってあたしとも約束してんだよ、カコは。どっちもってわけにはいかないんだから、イチローがちゃんと断られたことを確認しないと落ち着かないじゃん」
「なんで僕の方が断られる前提なんだよ。確かに百点満点とはいかなかったかもしれないけど、今日のデートはかなりよかったんだから! 少なくとも八十点は行ってるね!」
ミクは手元にあったバイト求人誌を丸めてパコン、と僕の頭を叩く。
「あんたが目指すのはマイナス三十点だろ。上げてどーする」
「あ」
そうでしたね。
カコが可愛くて(少々怖いときもあったにしろ)、デートが楽しくてすっかり忘れかけてたけど、愛想を尽かされるのが目的でしたね。
でもそれならそれで、そっちの方はきちんとこなしてる。
「ちゃんと薄い本も見られたし、ノルマは果たしてるよ」
「あんた、この目的分かってる? あんたに愛想を尽かさせることが目的であって、薄い本は手段なのよ。そこをはき違えたらダメでしょーが」
うぐっ。
正論だけに言い訳ができない。しかし、ミクって結構頭いいのな。
「薄い本を見られても好感度が下がらなかったし、今回あんたはそれ以外のことなにもやってないでしょ?」
「それは……まあ」
ママと叫んだ一件はあるけれど、あれも好感度を下げる効果はなかった。
「ちなみにこれが今日、あんたとのデート中にカコから届いたメッセージ」
『イチローが私の弁当、一緒に食べようって!』
『私が作った料理を、イチローと私の二人が食べるって、なんか新婚ぽくない?』
『これはもう結婚してると言っていいんじゃないかな? かな?』
『【結婚してないと】私、結婚してた【いつから錯覚してた】』
『フォォォォォォォォォォッ!』
下僕から爆上げだな、おい。
「そうだ。返してよ、あの本」
僕からスマホを受け取ったミクが手のひらを差し出す。
「ああ、あれカコに貸しちゃった」
「カコに貸した!?」
ミクの眉がぎゅん、と上がる。
「ごめん、まずかった? でも明日には返してくれるって」
「んーまあ、それはいいんだけど、そこまでしなくてもよかったんじゃない? どうせ効果はなかったんだし」
「だって、カコが貸してって言うから、つい」
「カコが!? カコが貸してって言ったの?」
「う、うん」
ミクがなんでそんなに驚いているのか分からないまま、僕は頷いた。
「やっべ……。なあおい、なんのマンガだったか覚えてる?」
「え、よく覚えてないけど、確か『はたらくなんたら』とか書いてたような」
「『ゆるゆり』にしときゃよかったああああ」
ミクが絶叫して机に突っ伏す。いったい、なんの話をしているんだ?
*
帰りの電車に揺られながら、僕は窓の外を眺める。
僕はなんのためにカコに愛想を尽かされようとしてるんだろう。ミクに言われるまま、恥ずかしいことばかりやらされて、でも、それでもカコは僕のことを好きでいてくれて。
最初はカコじゃなくてもよかった。誰でもよかったんだ。空想の中の『彼女』は誰でもない『誰か』だったから。
僕は目を閉じて自分がキスをするところを思い浮かべる。
二週間前にはぼんやりとしていたキスのお相手は、今では長い黒髪を耳の後ろに流して、頬を赤く染めていた。
やっぱり、僕はカコのことが好きなんだろう。だから、愛想を尽かされて別れたとしたらきっととても悲しい。その後にミクとキスをしたり、その先を、なんてことは考えられない。
……考えられない、よな?
僕はもう一度目を閉じて、ミクとキスをするところを思い浮かべる。
――や、約束だからするだけだからな。イチローのこと、好きとかじゃないから勘違いすんなよ。
そう言いつつ、赤い顔で目線をふらつかせるミク。
――な、なんだよ。キモい顔すんな。さ、さっと終わらせるから文句言うなよな。
そう言ってミクは僕の首に両手を回して……。
「うわぁっ」
思わず声が出た。気が付くと電車の乗客が何事かとこっちを見ていた。
僕は恥ずかしくなって窓の外に顔を向ける。窓に映る僕は耳まで真っ赤だった。
なんで僕、こんなにリアルに想像しちゃってるんだ……。
僕はぶんぶん、と首を振った。これ以上、ミクのことは考えちゃいけないような気がする。僕はスマホを取り出すとカコにメッセージを送った。
『今日は楽しかったね。明日はどうしよっか?』
メッセージは送信と同時に既読に変わり、即座に返信が来た。
『イチローはイチローの望むままに過ごせばいいと思うよ』
また難しい返しをしてくる。それ以上訊くこともできず、僕はただ頭を抱えるだけだった。
*
「お兄ちゃん、起きて」
翌日、日曜日。
僕は那由多の声で目を覚ました。
「ふあぁぁぁっ」
寝ぼけた頭のまま、うっすらと目を開く。目の前には愛しい妹の顔があった。那由多は僕の上にまたがって肩を揺らしている。
「どうしたの、なゆ。早いね」
枕元の時計は八時半。予定がなければまだ寝ている頃合いだ。
「お兄ちゃんにお客さん来てる」
「え、兄ちゃんに?」
「霞さんっていう人」
「なに!?」
僕は一気に目が覚めた。
がばっと起き上がり、慌てて身支度を始める。
「お父さんもお母さんもいないから、なゆ、どうしていいかわかんなくって。とりあえず玄関で待ってもらってる」
「わかった、悪いけどリビングに通してもらえる?」
「うん。なるべく早くきてね、お兄ちゃん」
那由多は不安そうに部屋を出る。
僕はあたふたと着替え、急いで洗面所で寝癖を整えてからリビングのドアを開ける。
「やあ、カコ。おは……」
「おはよ! イチローのお兄ちゃん!」
思考が停止した。
そこにいたのは幼女だった。
いや、那由多のことじゃなくて。那由多はもう小学四年生だから、もう少女と言っていい年だ。
それは幼女じゃなくて、幼女の格好をした霞カコ十六歳だった。
くるぶしまである水色のロングTシャツに、肩にかけた黄色い園児用ショルダーバッグ。リビングのソファに腰掛けたカコはバイザーキャップをちょい、と持ち上げてにっこり笑いかけた。バッグから覗くのはなぜか通行止めの旗。
僕はしばらく固まって動けなかった。
可愛い。可愛いのは間違いない。すごくほっぺたをツンツンしたくなってしょうがないし。
でも、そういうキャラじゃないでしょうカコさんは。なんで園児レイヤーになっちゃってんの!?
「え、と、カコ……さん?」
「あのねあのね、借りてた本、返しに来たの」
なんか口調も変わってる。
カコはバッグの中から薄い本を取り出すとテーブルに置いた。
その表紙には、今のカコと同じ格好の幼女の絵が描かれていた。
これか。これが原因か。
あのときのミクの心配がやっと分かった。カコは僕がこれが好きなんだと思って、コスプレしてきたんだ。よくわかんないけど、ミクが言ってた『ゆるゆり』という作品ならまた違っていたんだろう。
「お兄ちゃん……」
「はっ、なゆ……」
キッチンから麦茶を運んできた那由多が愕然としてテーブルの上を見つめている。そして、その表紙とカコの格好を見比べると、
「そっか、そっか、そっかー」
と、ハイライトの消えた瞳で頷いた。
え、ちょっと? なにが起きてるの?
那由多はテーブルに麦茶を置くと、両膝をついたままカコの方を向き直った。
「あたしが口を出すことじゃないのは分かってるんですけど、でも、やっぱりこーしゅーのめんぜんではちょっと無理があると思うんです。そのかっこは」
「無理が……ある……?」
「霞さん美人なんだから、その、年相応の格好がやっぱりいいんじゃないかと」
言いづらそうにしながらも、那由多ははっきりと言い切った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます