さんかく

瓜生聖(noisy)

第1話 素材はクラス一の美少女 

「はぁー」


 僕の机に顎を乗せて、定木さだきが深いため息をつく。


「わざわざ弁当の時間にその不景気なツラを見せるなよ、定木」


 僕は定木を指した箸を戻して、タコさんウインナーをつまみ上げる。定木はそれをちらりと見て「けっ」と舌打ちした。


「飯が不味くなるってか」

「なにをバカなことを。那由多なゆたのお手製だぞ。不味くなどなるものか」

「那由ちゃん可愛いもんなあ」

「妹はやらんぞ」

「……さすがに小学四年生には手ぇ出さねえよ」


 そう言って、定木は再びはあ、とため息をつく。その様子を見て、僕もため息をついた。


「入学してまだ四ヶ月も経ってないのにこれで何人目だよ」

「十人目までは数えてた」


 よくもまあそれだけの女の子に振られるもんだ。僕なんか振られたことなんて一度もない。そう言うと定木は哀れむような目で言い返した。


「彼女いない歴イコール年齢だもんな、イチローは」

「定木だってそうじゃないか」

「バットは振らなきゃ当たらないんだぜ。イチローのくせにそんなことも知らないのか」

「僕の名前は太郎だ。鈴木太郎。まったく変な渾名あだなつけやがって。それに振ったのはお前じゃなくて向こうだろ」


 定木はあーあ、と首の後ろで腕を組んで天井を見上げる。


「イチローは彼女ほしいとか思わないの?」

「そりゃ思うよ」

「イチローは頭も顔も悪くないし、運動神経もそこそこ、空気も読めるし、フツーにいいヤツなのになー」

「お前、僕のこと普通としか言ってないよな?」

「なんでフツーの俺たちに彼女ができないんだろうな」


 それは僕もちょっと思ってた。

 自慢でも卑下でもないけれど、僕に対する定木の評価――フツーにいいヤツってのは実際にそうだろうと思う。フツーの僕らが彼女がほしい、と思うくらいにはフツーの女の子たちが彼氏がほしい、と思っているんじゃないだろうか。

 事実、高校では一気に彼氏持ちの子が増えた。中学校の頃は可愛い子しかモテなかったし、イケメンにしか彼女はいなかったのに。

 だから、フツーの僕にもそろそろフツーの彼女ができてもいい頃だ。でも、定木みたいに手当たり次第に声かけるほどの気概は僕にはない。


「定木はなんでそんなに声かけまくってんの」

「だって、よりどりみどりじゃん? 俺、高校に入って一番驚いたのは女の子がみんな可愛くなったことだもん」

「そうかな?」


 そう思わなくもないけれど、手当たり次第ってほどじゃない。そう言うと、定木は「お前は周りをよく見てないだけだ」と断じた。


「例えばほら、千晶ちあきが陸上やってるときのポニーテール姿は絶品だぜ。有華ゆかは隠れ巨乳だし、眼鏡外したさやかなんて拝みたくなるレベルだ」


 定木は教室を見回しながら言う。目が合った女の子たちは「まぁた、女の子を物色してる」という呆れ顔だ。


「それから」


 定木はとっておきの秘密、というように顔を寄せてささやいた。


「目立たないけど、カコはたぶん素材的にこのクラス一の美人だ」

「え、かすみさん?」


 興味を引かれた僕は、少し背筋を伸ばして定木の向こうに視線を向けた。長い黒髪ストレートの少女――霞カコと目が合った。

 その瞬間、カコは飛び上がるくらいに肩をビクッと震わせた。

 見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。口元があわわわと声にならない動きをしたかと思うと、カコは恥ずかしくてたまらない、という様子でうつむいてしまった。


 え、なんで?


「なあ、イチロー。カコ、俺の方見てたよな」

「そ、そうだね」


 僕は自分の思い上がりを隠して言う。目が合ったのは僕の方だったような気がするけれど、やっぱり定木を見ていたんだろう。

 なんだかんだ言って、定木は恋人として、でなければ女の子受けも悪くないのだ。

 カコの異変に気づいたのか、向かい合って弁当を食べていた茶髪のギャル系少女――三浦ミクがこっちを振り向いた。


「ちっ」


 ミクは苦々しげに舌打ちすると僕らに背を向けた。定木のヤツ、完全に嫌われてるな。なんか僕の方を見てたような気もするけど。

 でも当の定木はそんなことにはお構いなく、心ここにあらずといった様子でカコを見つめたままつぶやいた。


「イチロー。俺、好きな人ができたわ」


 そして翌日。僕は定木から振られた女の子の数を更新したことを聞いた。


     *


 放課後の図書室。


 帰宅部の僕の趣味はゲームと読書、それに音楽鑑賞。ザ・フツーと言っても過言ではない。うちの高校の図書室はラノベなんかもとりとめなく置いているから、よく利用している。

 もともと僕は乱読派なのだけれど、一つ習慣としていることがある。

 それは、「手に取った本の読書カードに誰の名前も書いてなかったら必ず借りる」というものだ。誰も読んだことのない本――誰かに読んでもらうために生まれ、ここに存在しているのに、誰にも読まれずにひっそりと佇んでいる本。

 フツーで目立たない僕にとっては他人事とは思えない。

 だから、そんな本を手に取ったら、棚に戻さずに必ず借りて帰るようにしている。いつか僕の存在に気づいてくれる、未来の恋人への願掛けのようなものだ。


 ふと思いついて、以前に借りた本を探してみた。異世界でサメに襲われるというラノベで、サメ肉で石けんを作って領主にまで成り上がるという話だ。なぜこの本を手に取ってしまったのか、当時の自分を小一時間問い詰めたい。


 その本の読書カードには自分の下に「霞カコ」と名前が書かれていた。


 ……大人しい顔をして、なかなかアバンギャルドな趣味をお持ちだ。


 僕は別の本を探した。「転生したらスク水だった件」略して「転スク」。スクール水着に身を包んだ女の子たちの可愛いイラストが表紙を飾っている。だが、どの子も本文では完全なモブで、名前すらない。たしかに「スク水」と言えば「スクール水着」のことであって、男子用でも女子用でもスク水はスク水だ。

 それは認めよう。

 でも、僕はそんな頓智とんちみたいな屁理屈を求めてるわけじゃない。なにが悲しくてあるじたる男子生徒の股間の成長を男子用スク水視点で延々と読ませられなきゃいけないんだ。


 その読書カードにも「霞カコ」の名前があった。


 ……ま、まあ、女の子の視点は僕ら男子とは違うのだろう。自室のベッドに寝転んで「あらまあお可愛いこと」と、頬を染めながら読んだのかもしれない。


 僕は次の本を探した。「量子力学ボーイ」。複素ヒルベルト空間で展開される日常系ほのぼのBL四コマのノベライズ。わけがわからん。


 そしてそこにも「霞カコ」の名前。


 僕は自棄になって、片っ端から僕が最初の読者だった本を探しまくった。どれにもこれにも「霞カコ」がそっと僕の名前に寄り添うように書かれている。

 あいつ、どんだけ読書家なんだ……。

 これだけ僕しか読んだことのない本を読んでいるということは、他の本も相当読んでいるんだろう。僕はなんだかものすごい勢いで後ろから追いかけられているような錯覚を覚えた――別に競ってるわけじゃないけれど。


 そうだ。


 あの本なら、あの本なら絶対に読んでないはず。

 「円周率百万桁表」――円周率だけが延々と百万桁書かれた本だ。これなら読んでないはず。読んでるかもしれないけれど、借りてはいないだろう。

 僕は自然科学の棚を探した。


「っと……あった!」

「あっ!」


 一番上の棚に押し込まれたその本に同時に伸びる二本の手。


「ごめんなさいっ」

「ごめん……って、霞さん?」


 そこには背伸びをして「円周率百万桁表」に手を伸ばすカコがいた。


「ああ、これ借りるの?」


 僕が本を取って渡すと、カコはうつむいて赤い顔で「ありがと……」とつぶやいた。


「霞さんってすげぇたくさん本読んでるんだね」

「そんなこと……ない」


 本をぎゅっと胸に抱いて、ポツリと答えるカコ。


「いやいや、だって、俺が読んだ本、全部霞さんの名前書いてあるんだもん」

「それは、その……」

「そうだ、今度霞さんが読んで面白かった本教えてよ。僕、どうも外れを引くことが多くってさ」

「そう……なんだ」

「僕の読み方が悪いのかな。『転スク』とか、どこが面白かった? 霞さんも読んだでしょ」

「私は……イチ……鈴木くんのことを考えながら読んでたから……」

「えっ」


 思わず声が出た。

 僕のことを考えながら読んでた? あの、男子生徒の股間の描写が延々と続く奇書を? 僕は思わず下半身をもじもじさせてしまう。


「あ、ち、違うの」


 そんな僕の様子に気づいたのか、慌てて両手を振るカコ。


「鈴木くんのことを考えてたってのは、その、鈴木くんは何を考えてこの本を借りたんだろうって。読書カードに名前があったから」


 ああ、そういうことか。僕は「スク水っていったら女の子用だと思うじゃん」とは言わずに、フツーの自分にとって誰にも手にとられない本が他人事とは思えない、と話した。

 それを聞いてカコはうん、うん、と頷いた。


「わかる気がする。私も平凡だし、地味で目立たないから」

「そんなことないよ。霞さんは美人だ、って定木も言ってたよ」


 カコは定木の名前を聞くとはっとしたように身を固くした。


「鈴木くんは定木くんと仲いいよね。定木くん、私のことなにか言ってた? 怒ってた?」

「いや、全然。立ち直りが早いのがあいつの良いところだから」

「そう、よかった」


 カコはそう言うと、ふう、と息を吐いた。


「定木のことは気にしなくていいよ。あいつは彼女ができれば誰だっていいんだ」

「ふうん……そっか、そうだよね。そうじゃないと私のような地味な子に告白なんてしないよね……」

「ごめん、そういう意味じゃないんだ。定木がそうだって言うだけで、霞さんにはなんの非もないんだよ。僕は霞さんが地味だとは思わないし」


 しゅん、とした様子のカコを慌ててフォローする。カコは少し考え込むように俯いて言った。


「鈴木くんも、そうなの?」

「え?」

「鈴木くんも、彼女ができれば誰だっていいの?」


 ぎくり、とした。さすがに「誰でもいい」わけじゃないけれど、彼女がいる学園生活に憧れる思いはある。その思いが日々大きくなっているのも事実だ。けれども、脳裏に浮かぶ妄想の中の「彼女」は具体的な誰でもなく、「彼女」という記号のような存在に過ぎない。

 付き合いたい「誰か」がいるわけじゃない。でも……。


「そんなことないよ」


 少々の呵責を感じつつも、僕はちょっとばかりいい顔で答えた。なんでもかんでも正直に話すことが正しいわけじゃないだろう。


「そっか……そうなんだ」


 カコはそう呟いた。がっかりしたように見えたのは、きっと気のせいだろう。

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