第3話

 ……

 ……

 ……

 ここは、一体……

 俺は、生きているのだろうか。

 目を覚ました俺は、固く冷たいベッドの上で知らない天井を見上げていた。

「気がついたようだな、直正」

 俺に話しかけてくる男の声。俺は寝たままそちらを向いた。

 男の顔を見た途端、俺は仰天し目を見開いた。

『たかし! お前たかしか!』

 それはかつて俺を置いて大学に行ってしまった親友、たかしこと高志田崇であった。四角く分厚いレンズの眼鏡に、ボサボサの髪。常ににやついているような口元に、何故か年中着ている白衣。あの頃から全く変わっていない、俺のよく知るたかしだ。

「たかしではない。我輩のことはカイゾー博士と呼びたまえ」

 我輩という一人称や、自分のことをカイゾー博士と呼ばせたがっているのも昔と変わらない。

『お前……まだカイゾー博士とか言ってんのかよ! いい加減卒業しろよそういうの! つかリアルで我輩とか使う奴今時いねーよ! お前まさか大学でもそんなこと言ってたのか? 絶対友達いないだろお前』

 自分を博士だと言い張る、所謂キャラ作りという奴である。十七歳にもなってまだそんな小学生みたいな痛い言動をしている元親友の姿に、俺はドン引く。

『大体、どうして今まで俺に会いに来なかったんだよ! お前が勝手に行っちまったせいで、俺はずっと友達いなかったんだぞ!』

「すまなかったな直正。我輩も貴様に会いたいのはやまやまだったのだが、仕方が無かったのだ。我輩にはやらねばならない研究が山ほどあったからな。本当ならば寝る間も惜しんで研究に時間を使いたいところだが、我輩ほどの天才が早死にすることは全人類にとっての多大な損失になる。よって我輩は健康のため睡眠時間はしっかりとるようにしているのだ。その分別の時間を削る必要があり、実家に顔を出した後は他の場所には行かず研究所に真っ直ぐ戻るようにしているのだ」

『そんな理由で……』

「そんなことよりも直正、貴様は自分の体を見てみたらどうだ?」

 納得できない理由にもやつく状態で話題を変えられイラっとする俺だったが、確かに俺の体にはどこか違和感がある。そういえば俺は怪物に襲われ、大怪我をしていたのだった。どうやら一命は取り留めたようだが、この違和感は何やら後遺症でも残ってしまったのか。

 ふと俺は、あの場に居合わせた綾香のことを思い出した。

「綾香は!? 綾香は無事なのか!?」

「勿論だとも。貴様が庇ってくれたお蔭で綾香には怪我一つ無かった。兄として礼を言わせてもらう」

 たかしは俺に深々と頭を下げた。

「だがその代償として貴様は酷い傷を負ってしまってな」

 俺は立ち上がろうとするが、それができない。

『ど、どうしちまったんだ、俺の体は……』

 実が震える。よくよく見れば俺の脚は随分と小さくなっている。これではまるで赤ん坊のあんよだ。脚だけじゃない、手も紅葉のようなちっちゃなおててだ。

『お、おい、たかし……』

 俺は寝返りを打ってうつ伏せになった後、ベッドの柵に掴まって立ち上がる。これならどうにか立てるようだ。

「鏡見るか? 直正」

 たかしは俺の前に鏡を置く。まさかとは思っていた。だが鏡に映る俺の姿は、紛れも無くおむつ一丁の赤ん坊。

『な、なんだこれはあああああ!』

「貴様の傷はあまりにも酷くてな、体を赤子に改造するしか生き長らえさせる方法が無かったのだ」

『どういう理屈だ馬鹿野郎!』

 一体何を言っているんだこのアホメガネは。その流れで一体どこから赤ん坊が出てきた。あまりにも言っていることが意味不明すぎて脳が理解を拒んでいる。

『いや待て、つかお前……お前が改造したのか!? 俺の体を!?』

「いかにも。今日から貴様は正義の改造人間、スーパーベイビーバブちゃんだ!」

『ふざけんなクソメガネー!』

 カイゾー博士などというセンスを疑う自称をしているだけならまだ可愛かったが、よもや本当に人体改造に手を出していたとは。

『つかここどこだよ!? 病院じゃないよな?』

「ここは我輩の研究所だ」

『お前の……?』

 俺は周囲を見回す。この部屋にはまるでSF映画に出てくるようなサイバーチックな内装が施されており、所狭しと謎の機械が散らかっている。こういうデザインが好きなのも、部屋の片付けが苦手なのは昔のたかしと変わっていない。

「いかにも、ここは我輩が個人で所有している研究所だが?」

『お、お前の研究所!?』

「二年前に大学院を卒業し博士号を取得した我輩は、在学中に開発した多数の発明品で腐るほど稼いだ金を使ってこの研究所を建てたのだ。我輩は今でも国内外の企業から引っ張りだこで発明品を買われる立場にあり、こうして貴様と話している間にも研究資金が湯水のように湧いてくるのだよ」

 俺は絶句した。いつの間にかこいつがこんな大物になっていたとは。平凡以下な男子高校生の俺からしてみれば、最早地上から遥か遠くの恒星を見上げる感覚である。

「貴様の命が助かったのも、我輩の天才的な技術力あってのものなのだ。感謝するがよい」

 この傍若無人な態度も相変わらずだ。これが原因で友達ができなかったのに、全く直そうとしていない。社会的立場はとんでもないことになってしまったのに、昔と変わらない面が度々顔を覗かせることに、俺はどう反応すればよいのかわからない。

『感謝なんかできるか! こんな妙な姿にしやがって! 赤ん坊にしなきゃいけない理由を教えやがれ!』

「貴様の命を救うにはそれしかなかったのだ」

『だから理由になってねーよ!!』

 この男のやることは昔から意味の分からないことが多かった。もうこれは「特に理由は無いけどなんとなく赤ん坊にした」と考えた方がよいのかもしれない。とりあえず俺の命を救ってくれたことは確かなようであるし。

『じゃあ質問を変えるぞ。怪物はあの後どうなったんだ?』

「あの怪物は自衛隊が出動してやっつけてくれた」

『そうか、それなら安心だ』

 俺はやっと少し安心できた。

 怪物は自衛隊で倒せる程度の強さだったのか。もっと強そうに見えたが、それは自分が襲われていたからそう感じただけだったのだろう。

『その怪物が何者なのか、お前は知っているのか?』

「あの怪物の名はワルワル星人。地球侵略を目論む悪の宇宙人だ」

『どうしてそこでそんなアホな名前が出てくる!?』

 あまりにも幼稚なネーミングを真顔で言うので、俺は思わずツッコんでしまった。

『ありえないだろその名前は! 小学生どころか幼稚園児レベルだぞ!』

「ちなみにその名前は我輩が名付けた」

『そうだと思ってたよ!』

 こいつのネーミングセンスは昔から壊滅的だった。小学生の頃の俺ですらダサいと思っていたものを十七歳になった今出されれば尚更だ。

「さて、そろそろ我輩の実家に行こうか。お前も久しぶりに綾香と会いたいだろう」

『久しぶり?』

「いかにも。貴様は二週間寝ていたのだ」

『そんなにも……』

「それではこちらに来たまえ」

 たかしは俺の両脇を掴んで持ち上げると、エレベーターに入り地下へと向かった。研究所の地下にあったのは、何やら軽自動車サイズの乗り物だった。

「これは我輩の実家に通じる高速シャトルだ。我輩は一分一秒でも無駄にしたくないのでな、公道や公共交通機関を使うのは時間の無駄としか思えんのだ」

 たかしはご丁寧に用意されたチャイルドシートに俺を乗せ、自分は運転席に乗り込む。たかしが運転席のボタンを押すと前面のシャッターが開き、その先にレールが繋がっている。

『お前日本の地下にこんなものを……』

「我輩ほどの天才ともなれば政府にも顔が利くのでな。安心しろ、他の地下施設はちゃんと避けて作ってある。では出発するぞ」

 たかしがレバーを引き、シャトルは発射する。窓の外を見ると、トンネルの壁面に等間隔で設置された照明が一瞬で通り過ぎてゆき、まるで一本の繋がったラインのように見えた。この乗り物は一体どれほどの速度が出ているのだろうか。

 暫く、といっても体感は五分もしないくらいの時間を乗っていると、シャトルは停止した。

「着いたぞ」

 たかしは一度降りるとチャイルドシートから俺を降ろし、抱き抱えたまま奥のエレベーターに乗る。上昇していくエレベーターが停止した先は、俺のよく知るたかしの部屋だった。

 たかしが出て行ってからこの部屋は殆ど使われておらず、私物の多くは出て行く際に持っていったため殆ど物は残されていない。しかし家族がいつもちゃんと掃除しているため、中は綺麗だ。

 たかしが部屋に踏み込むと、扉は自動で閉まり壁紙と同化する。まさかこの部屋にこんな仕掛けが隠されていたとは。

「ただいま戻ったぞ、綾香」

 たかしは部屋の扉を開けると、勢いのいい声で綾香を呼んだ。

「あ、お兄ちゃんおかえり」

 呼ばれた綾香がエプロン姿で廊下を駆けてくる。

「あれ? その赤ちゃんは?」

「こいつは直正の親戚の赤子でバブちゃんという。アメリカの親父さんから頼まれてこの家で預かることになった」

『おい待て何言ってんだこの我輩メガネ!』

 突然意味不明なことを言い出すたかし。しかもうちの親父の名前まで出して、酷い嘘もあったものである。

『俺は直正だ! バブちゃんなんてのは嘘っぱちだ! このアホに改造されてこんな体になっちまったが、俺は直正なんだよ!』

「可愛いー。よろしくねーバブちゃん」

 俺は綾香に必死で訴えたが、綾香は俺の言葉が聞こえていないかの如く、赤子をあやすようににっこり笑って顔を近づける。

『おい! 聞けよ綾香!』

『どれだけ訴えても無駄だぞ直正』

 突然、俺の脳内にたかしの声が響いた。

『よーく耳を凝らして自分の声を聞いてみろ』

『うるせえ! 何がしたいんだたかし!』

 そう叫んだその時、俺は気付いた。俺はずっと普通に話しているつもりでいた。だが実際は、

「バブバ! バブバブバブーババブブ!」

 そんな赤ちゃん言葉を発していたに過ぎなかったのだ。

『そんなまさか……俺、喋れなくなっちまったのか!?』

『今頃気付いたのか。貴様は赤子なのだから言葉を話せるわけがなかろう。我輩にだけは貴様の言葉が日本語に翻訳されて聞こえるのだ。それと我輩もこのように言葉を発することなく貴様に言葉を伝えることが可能となっている』

 なんてめんどくさい仕様だ。おのれたかし。

『ちなみに、鈴木直正はアメリカの病院に入院しているということになっている。ちゃんと学校にもそう連絡してあるから安心するがいい』

 周囲にも根回し済みとは、厄介なのか有り難いのか。

「あ、そうだお兄ちゃん、私丁度ごはん作ってたんだけど、よかったら一緒に食べてかない?」

「そうだな。丁度お前に話したいこともあるし、今日はここでランチにするとしよう」

 たかしは俺を抱えたままダイニングへと向かう。

 暫く待って、綾香が料理を運んできた。

「バブちゃんのごはんはどうしよう?」

「少し待っていろ」

 たかしはリモコンを取り出し、ポチポチとボタンを操作する。すると、どこからともなく飛んできたドローンが窓の外に現れた。たかしは立ち上がって窓を開け、ドローンから荷物を受け取る。ドローンはそのまま家の中に進入し、ガチャガチャと音を立てながら変形してベビー用の椅子になった。

 俺と綾香が驚いて目を丸くする中、たかしは俺をそれに座らせる。

「これは我輩が開発したバブちゃんサポートメカだ」

 たかしが自慢げに言いながら荷物の箱を開けると、哺乳瓶と粉ミルクの缶が入っていた。

「バブちゃんのご飯はこれでいい。せっかくだから綾香、お前が飲ませてやってくれ」

 たかしから缶と哺乳瓶を手渡された綾香は、缶に書かれた作り方を見ながらミルクを作り始める。

『おいたかし、何で俺がミルクなんか飲まなきゃいけないんだ』

『我輩のことはカイゾー博士と呼びたまえ。貴様は赤子なのだからミルクしか飲めなくて当然だろう』

 なんということだ。今の俺の体ではまともに食事を楽しむこともできないのだ。せめてこの粉ミルクが高校生の舌でも満足できる味であることを祈りたい。

「お兄ちゃん、できたよ」

「よし、バブちゃんを抱っこして飲ませてやれ」

『ちょっ……おい!』

 たかしに言われて、綾香は俺を抱き抱える。夏で薄着なせいか、微かな胸の感触が俺の背中に触れた。年下の女の子に抱っこされているというのは、なんとも不思議な感覚だ。

「はーいバブちゃん、ミルクですよー」

 綾香は俺を抱っこしたまま哺乳瓶を咥えさせてくる。こんな風に飲まされるのは物凄く恥ずかしいが、腹を膨らませるにはそれしかない。ミルクなんてものを飲むのは本当の赤ん坊だった頃以来だ。果たして味は如何なものか。

『……う、美味い!』

『フッ、貴様の味の好みが小学生の頃と変わっていなくて幸いだった。これは我輩の開発したスーパーベイビー専用ミルクだ。飽きぬよう味も色々と用意してある』

『お前、人体改造に機械工学に食品まで……一体何の博士なんだよ』

『強いて言うならば、天才博士だ』

『答えになってねえ!』

「そういえばお兄ちゃん、話したいことって何?」

 俺にミルクを飲ませながら、綾香が尋ねた。

「うむ、それについてだが……」

 たかしがそれを話そうとした時、突如外で何か大きな物が壊れるような爆音がした。俺を抱いた綾香がびくりとしたことで、俺の身も連動して震える。

「何だろう? 事故でもあったのかな?」

「聞こえた方向からして、直正の家の方だな」

 まさか、俺の家に何かあったのだろうか。そもそもあの家は、二週間も誰もいない状態になっていたはずだ。今は一体どうなっているのだろうか。

 たかしと綾香は何が起こったのかを確かめるため外に出る。俺も綾香に抱かれ一緒についていった。

 玄関を出て最初に見たもの、それはワルワル星人などという可愛らしい名前があまりにも不釣合いな、おぞましい怪物であった。二週間前に俺達を襲ったものと見た目は似ているが微妙に違う、おそらくは別個体だ。

 ワルワル星人は俺の家の二階の窓から太い腕を突っ込み、家を破壊している。

『おっ、俺の家ーっ!』

 衝撃的な光景に俺は絶叫した。あの家に今は誰も住んでいないというのがせめてもの救いと言えるか。

 綾香は青ざめて身を震わせている。それはそうだ、一度殺されかけているのだから、トラウマになって当然だ。対してたかしは、どこか余裕のある表情をしている。

「大丈夫だ綾香。ワルワル星人を倒す手段はある。バブちゃん、貴様が戦うのだ」

『は?』

 たかしが何を言っているのかわからず、俺はぽかんと口を開けて聞き返した。

「我輩は言っただろう、貴様はスーパーベイビーであると。今の貴様にはワルワル星人と戦う力が宿っている。なぜなら貴様は、この天才科学者カイゾー博士によって改造を受けた正義の改造人間なのだからな!」

『お、俺が……』

 そう思った途端、急に体に力が湧いてくるような気がした。俺の家がこれ以上破壊されるのを防ぐため、俺は綾香の腕の中から飛び出した。今なら行ける。突然空が飛べるようになった俺は、一直線にワルワル星人へと突撃した。

 俺の拳は、ワルワル星人を掠めたかに見えた。だが次の瞬間、ワルワル星人の振るった腕が俺を叩き落した。

 その動きは、本当に羽虫を掃う要領でしかなかった。俺は正義の改造人間になったのではなかったのか。ワルワル星人にまるで相手にされず、羽虫同然に叩き潰される。俺が弱いのか、ワルワル星人が強いのか。何にせよこのままでは、俺も綾香もたかしも皆殺される。どうすればいいんだ、一体どうすれば。

「戻って来い、バブちゃん!」

 たかしが叫ぶ。俺は言われた通り、飛んでたかしの所に戻った。

『どういうことだたかし! 俺全然弱っちいじゃねーか!』

「やはりこのままでは勝てんか。バブちゃん、綾香、よく聞け。スーパーベイビーの力の源は、母の愛だ。今のバブちゃんはそれが足りない状態にある。そこで綾香、お前にはバブちゃんのママになってもらう」

『は?』

「え?」

 一体何を言っているんだこのメガネは。

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