第12話:人間の証明

 金花会にて活動する生徒達の間で、次のような文句が受け継がれている。




 目付役 求聞持法こそ 近道か




 これは目付役の、所謂「暗黙裡」を指すものであった。


 通常は目付役が《札問い》の場に向かう際、何かしらの補助物を持参するケースが多い。花ヶ岡で打たれる技法は、全て習熟している――のが正しい目付役の姿ではあるが、それはあくまでであった。




 以前、このような例があった。


 ある目付役が「技法は全て憶えている」と自信満々に胸を張り、《札問い》の場へ意気揚々と向かった。


 今回は何を以て決着とするのか? 目付役が問うと、当事者達は《さくら》で決めたいと答える。




 さくら? 三月の札の事? それが重要なの? 初めて聞いたし、網羅集にも載っていないじゃない! 分からない、全く分からないわ……。




 当事者の一人は急に黙した目付役を訝しみ、「網羅集にも載っているけど」と首を傾げた。もう一人は「《花合わせ》ですよ」と補足した。


 彼女の言う通り、花ヶ岡高校に脈々と伝わる《花ヶ岡賀留多技法網羅集》には確かに、《さくら》なる技法の手順は載っていた。


 この技法はハワイで受け継がれており、日系移民が《八八花》と共に伝えたとされる。手札使い切りの《花合わせ》であり、《柳にカス》を鬼札とする以外、手順自体は難しいものでは無い。難しくは無いが……細則は違った。


 なるほど、《さくら》とは方言的なものか――目付役は「大丈夫、」と嘘を吐いた。「《花合わせ》ですよ」という言葉が彼女を強気にさせてしまった。


 ならば安心だ――当事者の二人は喜び、果たして場は進んで行くが……目付役の虚言は次第にボロを出し始める。


《さくら》には「引き」という札の強制的な奪取が、親にのみ認められている。場に三枚の同月札があり、親がもう一枚を手札に隠しているとする。子が《柳にカス》を用いて同月札の何れかを取ろうとした場合、親は「引き」と宣言して子の手番を一旦中止させ、――という事が出来た。その後、子は何事も無かったかのように手番を再開するのだ。


 親に与えられた、暴風の如き一手。この暴風を吹かした後は、親は残りの手番の中で、任意のタイミングで「手札を出さず、山札を起こす」という行為を用い、帳尻を合わせるのである。


 闘技中、一人が「その手、待った!」と件の「引き」を相手の手番で宣言すると、いきなり場札三枚、手札一枚を合わせて取り札とした。当然、《さくら》の醍醐味でもある「引き」を知らない目付役は技法を中止させ、「何をしているのですか」と糾弾する。


 何をしているのですか、と言われても――当事者達は何故目付役が怒っているのか理解出来ぬと首を傾げ、「ちゃんと《花合わせ》を打ちなさい」と鼻息を荒くする目付役に困り果てていた。


 しかしながら……目付役が駄目だと言うなら駄目なのか、と当事者達は納得してしまい、「引き」の認められない《さくら》を続行した。ようやく一局が終了し(六局戦、という取り決めであった)、ここでも目付役は首を捻った。


 明らかに高そうな三枚組(《桜に幕》《芒に月》《菊に盃》)と、どう見ても低そうな三枚組(藤、菖蒲、萩の短冊札)が、どうやら同列(五〇点)のものらしい。目付役は「間違っていない?」と指摘するも、二人は「そんなはずは無い」とかぶりを振った。


 いよいよ目付役の虚言が疑われた為……当事者の一人は「お手洗いに」と嘘を吐き、急いで会計部室へと向かった。暇を持て余していた目付役に、当事者は「《さくら》に出来役の高低はありませんよね?」と問うた。目付役は「ありませんけど……」と答えてしまう。


 その後、面子を優先した目付役は即座に呼び出され、停職一ヶ月と花石五〇〇個没収という厳罰を下された――という顛末である。




 この為……目付役は「技法なら何でも知っている」という建前の影で、網羅集を現場に持ち込んでも致し方無し――となった。


 目付役は人間であり、事典では無い。ど忘れする事もあれば勘違いする事もある。だが《札問い》なる真剣闘技の場において、「手順が分からないけど来ました」と口走る事など、到底不可能である事も……皆、分かっていた。


 電話帳のような分厚さを誇る網羅集を一切記憶するなど、余程の天才か……あるいは高僧空海のように一〇〇万回真言を唱え、虚空蔵菩薩より究極の知恵知識を拝受するしか無かった。


 この虚言事件が起こってから間も無く、殆どの目付役は網羅集の抜粋版を打ち場に持ち込むか、もしくは当事者達に行う技法を聞き出し、珍しいものであれば一旦網羅集を取りに戻るかをして、「大恥」を掻かぬよう努力した。


 時は巡り、ある一年生が目付役として初めて《札問い》に出向く時も――彼女の胸に、付箋が大量に付けられた網羅集が抱かれていた。

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