第六章 それでも、希望を信ずると 2

 一方、未開発区域では、根岸が目を閉じて、全身全霊で能力のコントロールに専念している。

「APOと交戦……実弾といっても、鋳装相手じゃ豆鉄砲だね。よくもまあ、化け物の巣窟の防御をこんな乏しい兵器に頼れるものだ。しかし……この機に及んでまだ自分のことを人間だと思い込んでるなんて。バカにもほどがあるだろう、化け物ども目が、鋳装も鍛造しないしAF能力も使わない、死んでも自分を騙すか」

 棺桶の隣に腰かけて、十体の人形に守られる根岸が小さく呟いた。

 千体以上の人形の視界を閲覧し、未開発区域から拡散した人形の動向を監視する。

 脳裏に映る景色は、人形に壊されていくAPO、逃げ回る使用者の群れ、それと、鋳装で人形と戦う数少ない独立官や風紀委員たち。

 だが、流れとしては、人形たちが押している。少しだが、着実に一般市街に侵入しているのだ。この調子だと、一日で大まかの掃討を終わらせるだろう。

 予想通りの光景だ。今、インスラの四位に位置する能力はこっちのものになっている。そして、特殊官の一位から三位までは、今インスラにいない。邪魔するものは誰一人としていないのだ。

 唯一心配なのは、自分の定命は一体何歳までということだけだ。

 今の自分は二十二歳。八十歳まで生きられるとしたら、使える寿命は五十八年。今まで使ったものは、計算の結果によれば、五年ぐらいだ。なら……残りの五十三年で、インスラを滅ぼさなければならない。

 人形たちを出してから使った命は二年ぐらい、許容範囲と言ったところか。

「ああ、やっぱりお前か、根岸」

「ん?」

 考え事の最中に話しかけられ、根岸はきょとんとした顔を作って声の方向に目を向ける。

 そこには肩の傷を止血した冬戸が立っている。仮にも黒死の死神(ペスト)と呼ばれた化け物の中の化け物がこのざまだとは、見ているとおかしくてたまらない。

「ああ、あなたか。よく似合うよ。その肩の傷、もっと開けてあげようか」

「おとなしい態度はやめたか。メガネはどうした」

「偽装というものだよ、あれは。手札を出し切ったらいらないんだ。で、何しにきた?」

 そう問いながら、根岸は悠然と立ち上がると手にAFソースコードを浮かばせる。白銀のキューブがざわつき、瞬く間に白銀の拳銃を鍛造した。

 風の鋳装、神谷から奪ったものだ。

「最初に言っただろう。お前の願いを殺しに来た」

「願い? はは、はははははっ! あなたも愉快な人だね。今の僕を、今のあなたがどう倒すというのだ? あなたのサーカス芸は、この鋳装には通用しないよ」

 そう言いながら、手にした拳銃を見せてきた。

 確かに、指向変換では、触れると手が千切れる風の鋳装には通じない。風の能力をほかの鋳装にまとわせれば、ほかの鋳装も全部触れてはいけないものとなる。そうなれば、冬戸の得意とする戦法は大きく制限される。

 とはいえ、それも少し前までの話だ。

「別に誰もサーカス芸しか使えないって言ってないと思うが」

 自分でも驚くほど平静な心地で、手のひらを向けるように右手を突き出す。

「………。何をするつもり?」

 その不穏な動きに、根岸が眉を寄せたが、様子見するつもりらしい。先手を打ってこなかった。

「お前は、俺の行動も把握するために俺と神谷を引き合わせただろう。自分で監視カメラを壊しておいて、神谷に棺運びが出たと言い、俺たちを出遭わせてしまった」

「ああ、そうだな。あなたも最初は嫌がっていたから、どうしようと思ったよ。幸い、双牙の狂嵐が説得してくれた。おかげで下準備がちゃんとできたよ。あなたが最後に、神谷と行動するのをやめていなければ、あなたのしてることも事前に察知して、戦いを回避したのに。ま、結果オーライと言うことで、ここは許してあげるよ。どうせ後で殺すんだからね」

 日記屋で神谷と別れ、琴葉に頼んで、根岸に気づかれないように棺運びの居場所を突き止めたことを言っているのだろう。

 おそらく、こちらから動いていなければ、根岸はストックをもっと増やして、確実に神谷を倒せる力を手に入れてから、神谷に棺運びの居場所を教える。そこで、確実に鋳装を奪う算段だろう。

 だが、そんなイフの話は今どうでもいい。

「許してくれれば何より、だが、俺と神谷を引き合わせたのは、お前の失策だ」

「失策? 僕は今こうして、双牙の狂嵐の鋳装を手に入れたのに? なんかやっちまったことでもあれば教えてほしいよ。黒死の死神ペスト、言ってみればどうだ? 僕は一体何をやらかしたというんだ?」

「そりゃ、言葉より行動で教えるもんさ」

 言葉が空気に消えた、刹那――冬戸の前の空間が爆ぜた。

 それは物理的な意味の爆発ではない。だが、一瞬で空間を覆いつくすほどに出現したAFソースコードが放つおびただしい白銀の光と、大量の空気が概念物質に転換されるために、あたりが一時的に気圧低下になった状況は、人間の五感にとって、爆発と似たような感じをもたらす。

 まるで水晶の膜に包まれたかのように、冬戸の目の前の空間が、きれいな白銀に染まる。

 神谷が鍛造するときよりも、何倍も多いAFソースコード。複雑で存在してはならない概念を、概念物質として具現化させるときに起きる現象だ。

「鍛造するつもりか? あなたが? それは不可能だ。AFソースコードを見せつけようとしても、あなたはそれを鋳装に転換することはない。それだけの罪の意識を、あなたが持っているはずだ」

「嬉しいね。同じ殺人鬼だから、俺のことを分かってくれているのか。けどな、残念ながらお前は、俺にもう一度何かを願うチャンスを与えてしまった。言ったろ、俺と神谷を引き合わせたのはお前の失策だ」

「もう一度……黒曜を引き起こす気か」

「いや、よほど危ない状況じゃないと、暴走はありえない。そして、お前が鋳装を鍛造した俺を追い詰めることはない。だからお前の心配は杞憂だ」

「ずいぶんと挑発的な態度だね」

「単に忠告しているだけだ。あんまり、AFプログラムの黎明期を生きてきた使用者デコーダを舐めんな」

「それは……どうだろうね」

 そう言いながら、根岸が拳銃の照準を合わせてきた。

 銃口に風が集まり、そこに、鍛造された剣が銃口に装填される。

 鋳装による鋳装の射出。神谷のそれとは威力が程遠いだろうが、防御はまず不可能だろう。それに、人間の肉体では、一撃もらったら大穴を開けられゲームオーバーだ。

 だが、どんな攻撃でも、あたりさえしなければ、なんの意味もない。

「なら、今の僕をやれるかどうか、試してあげようか」

 言い放つのと同時に、風を纏った白銀の剣が加速され射出する。冬戸の主観では、銃口を離れた同時に剣はすでに目の前の空間にぶつかったのだが、目の前に展開したAFソースコードの幕に触れたそれは――まるで最初から存在しなかったかのように、掻き消された。

 白銀のキューブの隙間を縫うように漂ってきた、黒い風によって、あっけなく抹消されたのだ。

「………っ!」

 剣を消した黒風が次第に広がり、AFソースコードの白銀の光の隙間を縫うように黒の線を描いていく。それに伴い、希薄になっていた空気がますます消えていき、冬戸が鍛造を行う空間を中心に、周囲の空気が流れ込んでくる。

 鍛造に使う空気のほか、黒い風に触れた空気も消されていったのだ。それによって、ただ鍛造一つを行うだけで、あたり一帯が低気圧の中心とされた。

「………黒死の死神ペスト、これが」

「ああ、お前らの言う、黒い死だ」

 冬戸の言葉とともに、収束していくAFソースコードと黒い風が、冬戸の手に集まり、形作っていく。

 やがて現れたのは、冬戸の背丈ほどもある大剣だ。

 それは、鋳装特有の白銀をしているとは言い難い。性質上、白銀色であるはずの概念物質だが、概念そのものに侵食され、漆黒に染まっている。錆びた銀のような色合いだ。

 そして、大剣の形も、剣が持つべき美しさも形もない。辛うじて剣だと分かるだけで、どちらかと言えば、磨かれていない金属鉱の原石のような印象のほうが鮮烈に感じられる。鉱石の形をしている大剣と言うより、たまたま剣と言えなくもない形をしている鉱石といったほうが適切だろう。

 もとより存在してはならない概念を具現化したそれは、まるでそこの空間だけがぽっかりと空いたかのように、見ているだけで魂が吸い込まれそうな感じを覚える。

 目にするだけで、根岸が一瞬言葉を忘れるほどに、異質の鋳装だった。

 それに伴って出現した冬戸の周りに悠然と漂う黒い風も、同じ異質さを見せている。おそらくAFプログラムがなければ、目にすることはないであろう、この世界のすべてと反対の性質を持つ概念。

「虚構概念……虚無イネイン

 それは、実在することはない、人類によって生み出された、虚構の概念。

 凡ての存在と相対する、無の概念だ。

 大きさにしては軽すぎると思われる大剣を手にして、冬戸は言葉では表現し切れない懐かしさを覚えた。

 孤児院にいる日々、姉さんといる日々、先生と交わした言葉、姉さんと先生からもらった、小さな小さな願い……

 たとえそのすべてが、たった一度の失敗で黒く塗りつぶされようと、幸せな日々は、あったのだ。

 何を願う力は、自分にはあったのだ。

 鋳装を維持している今に戻ってきた記憶は、苦しいものが圧倒的に多かろうと、ほんの少しだけ、微笑ましいものもある。そして、何かを願うものの気持ちを、今一度思い出せた。

 思い出したからこそ、なおさら神谷の願いを否定できなくなった。

 だって、たとえ、結末はいいものに限らないとしても、何かを願って、叶えようとすることは、こんなにも――生きることを実感させてくれるのだから。

 自分ができなかったけど、神谷なら、きっと――

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