第7話 6、川本五郎の特殊能力

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 東京大学に入学できた川本五郎は東京での住居を決めなくてはならなかった。

川本五郎は東大生にとって東京での生活は容易に思えた。

全てが用意されているように見える。

大学がいくつかの学生寮を紹介してくれ、川本五郎はその一つに入った。

川本五郎の条件は徒歩で学校に通えることと食事付きだった。

 川本五郎の父は東京での6年間の生活には十分なお金を残してくれていた。

それに、もともと川本五郎は生活にお金がかかる人間ではなかった。

お酒もタバコも好まないし、外に出て遊ぶことも好まなかった。

そんな生活をする限り、五郎は東京での生活に困ることはなかった。

 教養学部の講義は川本五郎にとっては退屈だった。

相変わらずペーパーテストでは満点近くの成績だった。

満点にならないのは記述式の問題が増えたためだ。

記述式のテストでは採点者の意思が反映される場合がある。

それでも川本五郎はほぼ完璧な成績で医学部に進むことができた。

 教養時代には、川本五郎は家庭教師のアルバイトを始めた。

東大生の家庭教師は人気がある。

川本五郎は外国人専門の家庭教師なった。

東京は世界中の国々から来た外国人が生活している。

そんな外国人の裕福な家庭にとって母国語を話すことができる東大生の日本人は貴重な存在だった。

川本五郎にとっても自分が覚えた外国語を実際に使う機会を得ることは重要だった。

それは将来、外交官になって外国に行くことになっても役立つことだった。

 川本五郎の外国語はテレビニュースで学んだものだった。

一通りの基礎を学んでから外国のニュース番組を聞いて外国語をマスターして行った。

川本五郎はインターネットに感謝した。

外国ニュースのアナウンサーの言葉が分かって、同じように発音できたら合格としていた。

それで川本五郎はいわゆる正しい外国語を話すことになり、その地のスラングは知らなかった。

外国人の家庭での会話はそんな五郎に生きた外国語を学ぶいい機会を提供した。

 川本五郎は英語、スペイン語、中国語、ヒンディー語、アラビア語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、イタリア語、ロシア語、ケルト語、ウルドゥー語、ベトナム語、マレー語、ビルマ語、タイ語、タミル語、ノルウェー語、ハンガリー語、朝鮮語、それといくつかのアフリカの国の言葉を話すことができたつもりでいた。

少なくとも『空』とか『雨』とか『友達』などの単語はこれらの外国語で言うことができた。

五郎の持つ写真のような記憶能力がそれを可能にした。

 川本五郎はこれらの外国語を学びながら世界の不条理を感じていた。

人間として話す内容や行う行動はどこも同じなのに何で五郎が学びきれないほどの数の言語が世界にあるのか。

合理性はどこにもないと思った。

 川本五郎は9箇所の外国人家庭の家庭教師をした。

全て夜からの家庭教師だった。

五郎は時々、それらの家庭からの招待を受けてその国の料理を振舞われた。

川本五郎を招待した家庭は川本五郎の持つ底しれない能力をすぐに感じ取った。

それらの家庭で川本五郎はその家庭の母国語で会話した。

その国の音楽にしても絵画にしても文学にしても歴史にしても川本五郎は詳しく知っていた。

そして、川本五郎が家庭教師をしている9箇国の家庭ではその家庭の母国語を使っていることを知った。

それは川本五郎が少なことも9ヶ国について詳しく知っていることを意味した。

 東京は人が多い。

川本五郎は家庭教師の家に行くための電車に乗るのが好きだった。

そこには色々な普通の人が乗っている。

川本五郎は何となく人の心根を感じることができた。

頭の髪の毛の端あたりに色のついた湯気のようなものが見えるのだ。

普通は気がつかないほどの薄さなのだが見ようと注視すれば見えるようになる。

 乳児ではそんな湯気は全く見えなかった。

小学生くらいの子供では見えることが稀だった。

父が死ぬ時には父の湯気は見えなくなっていた。

自分の顔を鏡で見てもそれは見えなかったし、写真ではもちろんそんなものは全く見えなかった。

 どんな湯気が何を意味しているのか、五郎にはまだ分からなかった。

五郎は電車に乗って色々な人の湯気を見て色々と想像した。

相手が帽子を冠っていたら湯気は見えなかった。

電車に乗っている人達の多くは湯気の色は薄かった。

高校生の湯気と似ている。

横沢奈々も滝沢鮎子も大沢明子もそんな湯気を出していた。

3人の湯気の色はそれぞれ違っていた。

川本五郎が制裁を加えた赤塚には周りの仲間と違って湯気が見えなかったので気にかかったのだった。

 川本五郎が不良のボスの赤塚に加えた制裁方法は高校生になった辺りでできるようになった方法だった。

心に相手の胸を思い、相手の胸を見つめて気管の収縮した状態を想像すると相手は喘息の症状を起こしたのだった。

 その能力は高校での集会の時に気がついた。

思春期の川本五郎は前の演台に教諭達と並んで立っている美人の女教諭の服の下の体を想像して色々な臓器の位置を確かめていた。

五郎の想像が気管に移動した時、女教諭は突然しゃがみこんで動けなくなり、空気を求めて痙攣を始めたのだった。

その女教諭は女性と男性の教諭たちによって演台から運び出され、医務室で呼吸を取り戻したらしい。

 その後、川本五郎はその技を動物を使って訓練した。

大型犬や猫やカラスなどでその技を練習した。

犬は横に倒れて引きつり、猫は顔の前の空間を前足で必死に引っ掻き、カラスは枝から落ちた。

人間にその技を試してみたのは不良のボスの赤塚が初めてだった。

川本五郎はこれがダースベイダーが使うフォースに違いないと勝手に認識していた。

そして、この技はむやみに使用するべきではないと思った。

この技は切り札になるし、この技が他人に知られたら五郎はこの世から抹殺される。

だれだってそんなことができる人間を生かしておきたくない。

 川本五郎は悪い人間を見かける割合は東京では高いと推論していた。

人間集団におけるできの悪い人間の割合はどこも同じだろうが、人数が多い東京では悪い人間の絶対数が多くなる。

できの悪い人間が集まる場所は自然と偏る。

そんな場所に行けば、できの悪い人間を見ることができる機会が増える。

人間集団のプールサイズが小さい小さな町の場合にはできの悪い人間は周りの人間によって排斥除去されるが、プールサイズが大きい場合にはできの悪い人間は集まって安住できる場所を見いだすことができる。

それが東京だと思った。

 川本五郎は電車内では秘密の正義の味方だった。

夜の電車内では若い女性に不埒な言動をする者がいる。

川本五郎がそんな場面に出会った時、五郎は自分がもしも正義の味方だったらどうするかと考えて行動した。

その不埒な言動をする者は呼吸が止まって喋れなくなる。

そんな者は発作がおさまると次の駅で降りる。

 川本五郎の正義の味方行動は別に男だけに向けて行われるとは限らなかった。

若い娘でも暴言を吐く者は喉を押さえてしゃがみ込む。

下手をすれば電車の床に仰向けに倒れて股を開いて痙攣する。

醜態を乗客の前で晒した娘は痙攣が収まると次の駅で下車する。

発作が収まると気を取り直して再び暴言を吐く者もいることはいる。

だが、そんな者も再び発作が起こって醜態を晒すと、暴言が醜態の原因ではないかと思うようになる。

3回繰り返す者は滅多にいなかった。

そんな場合、発作はなかなか収まらなかった。

 川本五郎はそんな正義の味方行動が気に入っていた。

外交官になったら役立つに違いなかった。

外交は集団としての国と国との事柄だ。

しかしながら、集団の事柄とは言ってもそれを動かしているのは個人だ。

自分の身体が安全だからこそ集団の事柄を考えることができる。

自分や家族の命を外交に賭けることに大部分の外交官は躊躇するだろう。

 それに、そんなことを川本五郎がしていることは誰も知らない。

昔から正義の味方は顔を隠して正体を隠しているものだ。

正義の味方の正体が世間に知られたら正義の味方は日常の生活が危(あやう)くなる。

悪人は生き残りをかけて正義の味方を襲うだろう。

そんな攻撃に対して良い人間の正義の味方の個人はほとんど無力だ。

良い人は人を襲わないが悪い人は人を襲うことができる。

悪い人ができる特技だ。

 秘密の正義の味方も目立った時もあった。

川本五郎が夜遅い電車に乗って帰宅していた日曜日のことだった。

川本五郎は家庭教師をしている家に招待され、最終電車に乗ったのだ。

車両の乗客は五郎の他には数人だった。

川本五郎は車両の中央に座って本を速読で読んでいたのだが、途中の駅で乗り込んできた柄の悪そうな5人の若者達が五郎を見つけ五郎の前に囲むように近づいた。

その中の二人が五郎の両側に座った。

 「よう、兄(あん)ちゃん。金を貸してくれんか。」

真ん中に立っていた体格のいい男が顔を近づけて五郎に言った。

「カツアゲですか。止めた方がいいですよ。僕は強いから。」

川本五郎は本から目を離さないでページをめくりながら答えた。

「なにい。きさま。」

男がそう言った時、川本五郎は本を数センチ上に投げて両手を離し、両手の人差し指と中指を曲げて手首を曲げ左右に座っていた男達の両眼に突き立ててから両手を戻して空中の本を掴んだ。

遠くから見れば五郎は何も動いていなかった。

 両側に座っていた二人の男は少し後から「ぎゃっ」と叫んだ。

「ここはハエが多いみたいですね」と言って川本五郎は本を閉じて立ち上がり、本を再び空中に置いて左右の男の両眼に人差し指と中指を突き入れてから本が落ちる前に本を持った。

真ん中の男が川本五郎を次に見たのはグループに背をむけて1m離れた川本五郎だった。

空中の本が数㎝落下する間に両脇の二人の両眼を潰し、本が落下する前に両側の男達の両眼を潰したのだ。

 真ん中の男は何が何だかわからなかった。

立ち上がった目の前の男が突然消え、左右の仲間が両眼を押さえて痛みに泣いている。

その前には左右に座っていた仲間が突然両眼を押さえて呻(うめ)いている。

因縁をつけようとした男は数メートル離れた座席に座って本をめくり始めている。

「おいっ、どうしたんだ。」

中央の男が座席に座っている仲間に声をかけた。

 「両眼を突かれた。何も見えねえ。真っ暗だ。医者に連れてってくれ。痛え。」

「おれも両眼を突かれた。おれは片方はまだ明るい。とにかく痛え。」

「そんなのは何も見えなかったぞ。」

「とにかく突かれたんだ。医者に連れてってくれよ。」

 中央の男は左右にしゃがみこんでいる仲間にも言った。

「おい、お前達も両目を突かれたのか。」

「そうだ。目の前に来る指が見えた。それが最後だ。今は真っ暗だ。とにかく痛え。」

「そんなのは見えなかったぞ。あの男はほとんど動いていなかった。」

「とにかく目を突かれたんだ。」

 真ん中の男は首を捻って本を読んでいる川本五郎を見た。

改めて見ても、そんな強そうには見えなかった。

青瓢箪の大学生だと思って難癖をつけたのだった。

強そうな真ん中の男は仲間が怪我をしたのに川本五郎には近づいて行かなかった。

 自分が近くで見ている前であの男は左右の仲間の両眼を潰し、それが自分には見えなかった。

あの男は自分の前に立ち上がって両脇の仲間の両眼を潰した。

それも見えなかった。

目の前の男が突然いなくなって、気がついたら背中を向けて向こうに歩いていた。

そんな男に勝てるとは思わなかった。

喧嘩をすればあっという間に自分も両眼を潰されるだけだった。

 男達は次の駅で両眼が見える男に連れられて電車を降りて行った。

川本五郎はそんな男達を一瞥してから再び本を読み始めた。

遠くに座っていた乗客達は騒動の一部始終を見ていた。

遠くから見ていたので川本五郎の全体の動きを目で追うことができたのだ。

川本五郎が本を一瞬離して再び持って立ち上がり、再び本を一瞬離して再び持ってから右横に跳躍したのが見えた。

五郎が4人の両眼を突いたのは見えなかった。

五郎が動きを止めている時だけの姿が見えたのだった。

 たとえ男達への傷害が問題になったとしても、そんなことは誰にもできないのだから立証は難しい。

検察官は本を一瞬離してほとんど同じ位置で掴む間に両脇の人間の両目を突くことができる人間を探さなければならない。

そんな人間を見つけ出すのは難しい。

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