第7話

 夏の暑さもひと段落したある夜の晩、父さんは人に会うと言って家に帰ってくるのが遅かった。そういう日が何日か続いている。一体誰と会っているんだろう。私には分からないけど、大人の男の付き合いは重要なんだろう。ただ一緒に酒を飲んで飯を食って笑いあうことが仕事につながるのだから大人の世界はよくわからない。私が友達と一緒にファーストフードに行くようなものだろうか。他愛のない話をしてストレスを発散させる。男一人で年頃の娘を抱えている父さんのプレッシャーとストレスは容易に想像できる。おこづかいも自分で稼いでいるし家事もしてるし出来るだけ迷惑はかけてないつもりだけど、それが逆に父さんにとって不満要素になっているかもしれない。父さんの心境は父さんにしかわからない。あれこれ考えてしまうのは私の悪い癖だ。止めよう。九時ごろ、父さんから電話で連絡があった。今日家に人を連れてくるという内容だった。私は了承した。

 夜の十時を回ったころ、父さんは連れを伴って帰宅してきた。その人物は私の予想を裏切る相手だった。芸能界で活躍しているお笑い芸人のポンチ太郎だった。丸刈りの頭、鋭い眼光という威圧感から繰り出されるチャーミングな牛の物まねは彼の十八番であり、多くの人を笑わせてきた。父さんの師匠的な存在でもある、そんな凄い人が家に来たから私は驚き、思わず変な声を上げてしまった。そして壁の柱に頭をぶつけてしまった。

 「おい、オカヅ、大丈夫か」

 「大丈夫じゃない、痛い」

 私は氷嚢で頭を冷やしつつ、ビールとコップを2つだし、あらかじめ作っておいたおもてなし料理である鳥の唐揚げをテーブルに置いた。

 「おう、悪いね、オカヅちゃん」

 「いいえ、とんでもないです。ごゆっくりどうぞ」

 私が二階に行こうとするとポンチさんに呼び止められた。何でも重要な話があるから私にも一緒に聞いてほしいらしい。

 「あのな、オカヅ、結論から言うけど、父さん、芸人活動再開しようと思うんだ」

 私は仰天し、声にならない叫びをあげてしまった。父さんが芸人に復帰することは嬉しいが、まさかこんな急に状況が好転するとは思ってもみなかった。

 「それ、ホントなの」

 身を乗り出して父さんに迫る私をポンチさんが制した。

 「ホントだよ、オカヅちゃん」

 「ポンチさんのご尽力ですか? ありがとうございます」

 「いいや俺は何もしてない。ただ突然こいつが舞台終わりの出待ちをしとってな、デカい顔だからすぐに総だと分かったから声をかけたんだ。そしたら突然土下座以上の事をしてきて芸人に戻りたいんです、力貸してください言うもんだから俺の方がビックリしてしまったんだよ」               ポンチさんは露骨な困り顔をしている。無理もない。力を貸してくれと言われても、芸人復帰は自分自身で何とかするものであって先輩には何もできないのだ。

 「お父さん、どういうつもり」

 「漫才コンビを結成しようと思う」

 東京出身で関東芸人の父さんは関西勢のような太い人脈は持ってない。しかもピン芸人としてコントを主にやって来た父さんが漫才なんて無理難題も甚だしい。私は絶望した。この復帰は上手くいくわけない。第一相方もいないのに。

 「とりあえず事務所主催の漫才ライブが9月にあるから、そこの前座から始めてみたらいいんじゃないか、ていう話になったんだよ」

 「ちょっと待ってくださいポンチさん。父さんには相方がいないんですよ。相方探しから始めるとなると、とても間に合わないんじゃないですか」

 私は至極まっとうなことをポンチさんに言ったつもりだ。

 「そのことなんだが」

 父さんがまくし立てる私の話を遮るように言葉を発した。

 「オカヅ、お前とコンビを組みたい」

 私は一瞬父さんが何を言っているのかわからなかった。私とコンビを組みたいということは、私が漫才コンビの相方ということだ。私は事実を認識し、大仰に声を上げて驚いて見せた。           「俺は母さんが死んでからずっと後悔して生きてきた。何であの時俺は泣いてしまったのか。あいつの死をネタに出来なかったんだろうってな。芸人ならネタにしなきゃいかんかったのに。だから俺は芸人として死んだんだ」          

 「父さん」

 「そんな無理してネタにする必要はないけどな。あれ以降業界で扱い辛くなったのは事実だな。後は次世代の台頭でちょっとづつ仕事を失っていったんだろ。」

 「芸人がワイドショーの司会をして凌ぐ時代に、俺の居場所があるのか不安だが、それでも俺は芸人として天寿を全うしたい。今はそう思っているんだ」

 父さんはいつになく真剣な言葉を吐き出し続けた。その瞳は鋭く光り、気持ち小顔に見えた。

 「頼む、オカヅ。父さんを芸人にしてくれ」         

 「だからなんで私なの」

 「話題性だよ。実の娘と父親が漫才コンビを結成するなんて、ネタ的に話題になるからな。復帰の足掛かりにするには丁度良い作戦だよ」

 「じゃあ私、芸人になるわけ」

 「まあ、そうなるな」

 私は頭を抱えてしまった。確かに夢はないけれど、芸人になるという発想はなかったので困惑してしまった。 

 「人生に一番必要なもんは笑いや。せやからオカヅちゃん、もっと笑い~や。せっかく可愛いのに、勿体ないで」

 ポンチさんの言葉に、私は衝撃を受けた。私のこれまでの17年間は一体何だったのかと思ってしまうほどに脳が震える言葉だった。

 「でも芸能界って、怖い噂もあるし、私、やっていける自信がないです」

 「そら芸能界にもあくどい奴はおるけど、結局最後は人柄だからね。人柄の良い人、人付き合いのよい人が生き残るのが芸能界だ。それは一般の世界も変わらんと思う。だからオカヅちゃん、芸人になるならもっと礼儀とかマナーとか、人としての人間力を磨かなきゃいけないよ」

 睦夫に聞かせてやりたい言葉を私が聞くことになっている。この状況が未だに夢みたいに感じられて全身がふわふわしている。

「頼むオカヅ、お父さんに力を貸してくれ」

 父さんは立ち上がり、床に突っ伏して私の足を掴んできた。私は振りほどきつつ、「少し考えさせてほしい」と述べた。

 「少しってどれぐらい」

 「期間は未定」

 「9月上旬にはライブがあるんだ。早急に結論を出してくれ」

 私は苦笑いをして何とかその場を乗り切った。

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