第34話 オスカーのレポート、色彩のそのあと

 色彩の魔術師ドラクル、ヒューゴの死によって切り裂き魔事件は静かになった。世間ではまた未解決事件だと記者たちは冷やかしていたが、もう起きないとなると記事は小さくなっていった。

 よく見渡せば凶悪な犯罪なんてものはそこら中にあるからネタに困らないのだろう。記者──特にゴシップなどのハイエナにとっては。


 僕は、というと、現在退院の準備をしている。


 オスカー・ビスマルク。ドゥーバー海峡にて両親を亡くし、美術科の教師ウォルター・リチャード・シッカート氏の自殺に巻き込まれた不運な少年。


 それが今の僕に貼られたレッテルだ。

 取材をさせろという記者たちの相手は、僕がお世話になった病院の人たちや優しい世論がやってくれた。療養している間に僕の学費をチャリティで集めようという活動家も現れたけど、丁重に断った。学園に戻っても上手く生活できるかどうか難しかったし、なにより人間関係で破綻していた学園生活に辟易している部分もあったからだ。チャリティのことを知るや否や、僕を遠巻きに見ていた学生が見舞いに来たり、わざわざ僕の悪口を言っていた生徒の名前まで密告してくる学生もいた。それで学園に戻るという選択肢は綺麗になくなった。

 チャリティのお金は本当に学問の道を行きたいのに行けない子に寄付してほしい、と活動家に伝えれば、快い返事が見舞いの品と一緒にやってきた。

 口が裂けても、死神の弟子になるから、というもう一つの理由は言えない。


「今日で退院か。見送りは本当に良かったのかい?」


 最低限の荷物を詰め終えた僕に担当医が話しかける。一見男性かと思ってしまう短く髪を切りそろえたスタイルの担当医は、女性だ。ボーイッシュな髪型の流行を生んだ目の前の女性の名前は、マーガレット・アン・バークリー。ヴィクトリア大帝国初の女性の軍医と外科医だ。そして彼女は女帝騎士勲章を授与された立派な方である。


 女帝騎士ヴィクトリアン・イークウェス勲章とは、ヴィクトリア女帝が認め、国のために尽くすことを義務付けられた名誉ある英国人ヴィクトリアンに贈られる。騎士がラテン語なのは、称号の騎士ナイトと区別化するため。

 女帝騎士はヴィクトリア女帝の側近として国と民のために働く。


 まさか自分の担当医がその名誉ある英国人だとは思わなかった。


「い、いいえ。大事な時間を、僕が奪ってはいけませんから……それにそっちの方が目立たないかなー、って」


 僕への注目度はまだ高いままだ。マスコミは病院の入り口で待っている。病院の裏口を利用して、そろそろ来てくれるエヴァン師の術で逃げ出す算段なのだ。


「迎えが来てるので早く行かなきゃ」

「そうか。うん、気をつけたまえよ、少年。……ああ、そうだ」マーガレット氏が僕の目線に合うように腰をかがめる。「今から渡す手紙に書いてあるところに行ってくれないか」

「えっ?」

「君に会いたいと言ってる子がいる。名前はテオ」

「テオ!」


 一番の特効薬だ!

 僕はマーガレット氏から渡された手紙を受け取った。

 幸いにも足の骨はヒビが入っただけだったので、他に異常はなく、松葉杖を片方借りるだけで済んだ。それにほんの少し。ただ切り傷やら、体のあちこちに飛び散ってしまった破片を完全に除去しなきゃいけなかった。僕が入院しなくてはいけなくなったのはそのため。マーガレット氏曰く、戦場で使われるビフレフト鉱石手榴弾の破片だと。

 とにかく僕は今すぐテオのところに行きたくてうずうずしていた。車椅子が不要で、自由に歩けるのだから、一歩でも早く行きたい。


「それじゃあ、元気で。次会うときは病院以外で会おう」


 僕の落ち着かない雰囲気に気づいたマーガレット氏は口元を綻ばせて病室を出て行った。白衣の後ろ姿が完全に消えたあと、エヴァン師が入ってくる。何度も見舞いに来たけれど、迎えに来てくれるのがとても嬉しい。見舞いのときに持ってきた林檎を目の前で全部食べられたときはびっくりしたけど。

 ああ、いや、そんなことは水に流そう。林檎など細事に過ぎない。

 エヴァン師に僕はマーガレット氏から受け取ったテオからの手紙を見せる。


「……そういえば釈放されたな、彼は。犯人にしては鈍臭いと警察も思ったんだろう」

「先生」冗談まじりの師を睨む。

「悪かった。彼の音楽の才能は鈍臭くはない。今後、彼は有名になるだろう……音楽家として」


 最後の言葉が仄暗い声音で呟かれた。


「それで? 手紙にはなんて?」

「二階の病室で会いたい、ってあります」

「二階……そうか。ここにはアントニオ・クレセントが入院している」

「クレセント先生が?! あのぅ、彼は無事なんでしょうか」

「無事だとも。今はまだ死期は近づいていない。彼はなんでか長生きするらしくてね」


 死神の発言に僕はにっこりと笑う。

 そろそろ行かないと、と呟くと師は指定された病室前で待っていると返した。

 弾む気持ちを抱えて必死に上手く動かない足を松葉杖で急かし、指定された病室に辿り着いた。

 この扉の先にテオがいる。ああ、なんて声をかけるべきか。おはよう、いや、もう朝は過ぎて昼が近くなっている。それとも一緒にご飯に行こうか誘う? まるでナンパみたいじゃないか。

 色々と考えあぐねていると痺れを切らしたエヴァン師が扉をノックした。


「はい」


 扉の向こうからくぐもったテオの返事が聞こえる。

 僕は師の突然の行動に見上げると、彼は意地の悪い笑みで容赦なく引き戸である扉を開けた。

 ひどいじゃないか!


「オスカー!」


 テオが笑顔で僕を見つめる。今まで考えていた言葉はどこかへ飛んで行った。そんな僕をテオは駆け寄って抱きしめる。


「テオ! ……少し、痩せた?」

「そうなんだ、聞いてよオスカー。警察署で出されたご飯、味が濃かったんだ。それで油がギトギトで美味しくなかった! あれで生きていけ、なんて言われたら、僕、生きていく自信ないよ。食欲がなくなっちゃって……今からヘルシーな美味しいイタリア風のフィッシュアンドチップスを食べに行くつもり。ローストビーフも食べたいんだ」

「すぐに元通りになるね……」

「うん! 痩せすぎるのはよくない!」


 今が一番健康体だと思うけれど、そこは言わないでおく。テオにとってはふくよかな体型が健康的なのだ。美味しそうにフィッシュアンドチップスを摘む彼の姿が想像できて唾がつい、出てしまう。みんなに気づかれる前に飲み込んだ。本当に彼は、食の伝道師だ。


「……そうだ、オスカー。ようやくアントニオ先生の容態が落ち着いたんだ。マーガレット先生が、そろそろ退院の準備をしてもいいって」

「本当かい? それは良かった」


 素直に言うと、テオのつぶらで優しい瞳に水気が宿る。そして後ろに視線を送ると、クレセント氏がベッドから上体を起こして僕たちを見つめていた。小さく右手を上げてクレセント氏は挨拶する。


「久しぶりだ、ビスマルクくん。君の話はテオからよく聞いているよ……それから新聞でも……災難だったね、ご両親を亡くされてすぐに、あんな事件に巻き込まれて……」

「いいえ……クレセント先生こそ、大変な事件に巻き込まれたって……」


 そこから先は何も言えなかった。きっと彼は、凶行を犯す自分の娘の姿を見てしまったに違いないのだから。

 沈黙が流れるなか、クレセント氏は静かに口を開いた。


「悪い夢を見ていたようだ……。娘が死んで…………だが」


 クレセント氏は手にしていた封筒を見下ろして目を伏せる。開封済みの手紙の封蝋を愛しげに撫でて口元を柔く綻ばせた。

 漆黒の封蝋に目がいく。


「最近、娘から手紙がきたんだ」

「えっ」

「変な話だろう? 死んで、この世にいないというのに……悪戯かと思ったけれど、何故か、本物だと思うんだ……」



 手紙の内容を、クレセント氏は教えてくれた。


 親愛なる私のパパへ

 間違いを私は犯しました。ごめんなさい。

 でも、パパの音楽だけは忘れてなかった。

 今も、これからも忘れない。

 愛してるわ、パパ。

 我が儘だけど、ワルツを何度も聞かせてね。

 ジゼル・クレセントより




「ジゼルさんの手紙って先生が書いたんですか?」


 病院をあとにし、マスコミを散々撒いたあとの帰宅。レイチェル嬢は買い出しに、マーサ夫人は猫のカメリアの遊び相手に忙しく、僕たちはすんなり自宅へと辿り着いた。今日から三人家族で過ごしていたフラットの部屋は、エヴァン師と僕、そしてアーネストの部屋になる。

 着いて早速、僕は気になったことを師に問う。

 アーネストは大きな窓辺で寝そべって夢の中で走っている。四つの足が軽快に空気の地面を走った。


「あれはシャーロットが書いた。ジゼル・クレセントの魂になんとか干渉して想いを形にしただけだ」僕に背を向けて紅茶を入れ始める。

「やって良かったんですか、それって」

「……」

「先生?」


 呼びかけて振り向いた師の顔は不貞腐れていて、まるで、喧嘩をしたあとの子どもみたいだった。


「君のせいだ」

「僕の? えっ、僕、何かしちゃいましたか?」

「死神だからなんでもできる、と思っている。そして私に怒った」


 それがどうやってジゼル嬢の手紙にたどり着くというのか。


「そのあと君は私をがっかりした目で見てきただろう。気に食わなかった。だからジゼル・クレセントの魂に干渉してやった」

「…………はい?」

「そういうわけだ、オスカー。君は今日から数日、私と一緒に缶詰生活を送ることになる」

「……は?」

「ジゼルへの記憶の干渉は本来なら魂を浄化してからが鉄則だ。それを破った私は死神機関に反省文と報告書をたくさん書かねばならない。ラテン語で。君も同罪だ。私に規律違反を促したのだから、一緒にやらなくてはいけないんだ。ラテン語で」


 エヴァン師がニンマリと笑う。今までにない醜悪な顔で、逃すまいという心意気が滲み出るというよりも溢れ出ていた。

 まさかと思うが、師はこれを見越してラテン語の読み書きを習得させていたのか……。

 僕は脱力して師と向かい合わせにテーブルに座り、書類作成の仕事をはじめた。窓辺のアーネストの気持ちよさそうな声に羨望を覚えたのは言うまでもない。

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