第2-2話 旅程変更②

 篤樹は混乱する頭の中で必死に情報を整理する。目の前に現れたのは人間ではない。だから大きくても「巨人」じゃない。

 見えている はだの部分が、まるでカビが えた食パンのような、緑と紫の気持ち悪いグラデーション……。服と言っても、ただなんとなく腰に布を巻いているだけのようなもの。顔は……とにかくグチャグチャ! まるでロウソクの ろうを、何の規則性も無く したたらせて固まらせたような……デコボコに溶けかかっているような……そして両手で にぎっているのは……大きなハンマー!


 突然の出来事の中、巨大なハンマーの頭を見ながら、篤樹は運動会の応援合戦で 牧野豊まきのゆたかたたいていた 大太鼓おおだいこを思い出した。

 大きな木を2本同時になぎ倒す 威力いりょくを見せつけたハンマーを持つバケモノ……モンスター……怪物……何なんだよ!「あれ」は!


 篤樹は自分が腰を抜かしている状態だと気がついた。とにかくアイツはやばい。何なのか分からないけど、とにかくヤバい! 逃げなきゃ!

 

 「それ」は広場まで出てくると、何かを探すように顔を左右に向けながらゆっくりと歩き出した。篤樹は声を出したり、無理に立ち上がったりしないほうが良いと考え、しばらくジッと動かずに様子をうかがう。

 風が正面から……あのバケモノのいるほうから吹き抜けて来る。篤樹は思わず鼻をつまんだ。クサい! どうやら風が「それ」の 体臭たいしゅうを運んで来たようだ。


 まるで母さんが買い物袋から出し忘れて、缶詰と一緒に台所に置きっ放しにしていた鶏肉が くさった時のにおいのような、気分の悪くなる腐敗臭ふはいしゅう……


 「それ」は目が悪いのだろうか、広場のほぼ真ん中にへたり込んでいる篤樹にまだ気がついていないようだ……

 気がついてはいないようだが、一歩、二歩と前進して来る。ただ歩いてるだけだろうが、このままだと二十歩も進まない内に篤樹のいる広場の中央まで来てしまう……マズイ!


 篤樹は 手探てさぐりで何か無いかと探した。右手の指先に何かがコツンと当たる。指で 手繰たぐせてみると、ピンポン球くらいの大きさの石だ。 き火でもしたような少し げた色をしている。

 音を立てないように篤樹はゆっくり立ち上がった。どうやら「あれ」は目が悪い。でも、耳は聞こえているようだ。恐らくさっき助けを求めた篤樹の声に引かれてここまで来たのだろう。それなら……


 右手に小石をしっかり にぎった篤樹は、バケモノの左側……対面している篤樹から見て右側の木々に向かい小石を投げる。


 あの石が落ちたら音が聞こえるはず。その音にアイツが気づいて向きを変えて動き出せば、逃げるチャンスが出来るかも……


 ガサッ、コン、コン……


 石が落ちた音は思ったよりも大きく、ついでに、何かに ねて ころがってくれたようで、 ねらったより遠くまで「音」が続いていく。「それ」はその音を聞き のがさなかった。


「ウガー!」


 叫び声を上げると、音が聞こえた木々に身体を向け、早足でドスドスと歩きだす。篤樹もその機会を見逃さなかった。

 バケモノの声と足音に合わせて一歩、二歩、三歩……と後ずさりながらバケモノとの距離を広げる。再び静寂が おとずれた。

 やつはまた「見失った 獲物えもの」を探している様子だ。一気に走り抜けて林の中に逃げ込みたいと思いながら、それでも篤樹は 慎重しんちょうに、今度はバケモノに背を向けて一歩、二歩、三歩……と進み始めた。足元にさっきと同じくらいの石がある。

 良し! 篤樹はゆっくり かがんで石を拾うと今度はバケモノの背後、篤樹から見て左側の林を目がけそれを投げた。アイツが動くタイミングは分かった。今度はもっと遠くまで……


 ガサッ、コン……


 狙い通りの場所に小石を投げ込むと、その音に気づいたバケモノは背後に向き直り、小走りで近づいて行く。


 うわっ! さっきとタイミング ちがうし!


 篤樹は あせりつつも、バケモノの動きを 見極みきわめ、先ほどより数歩遠くまで後ろ向きのまま移動した。ここまで離れていれば少しくらいの足音ならもうアイツにも聞こえないだろう。

 バケモノに背を向け、いつでも全力で走り出せる 体勢たいせい維持いじしながら、篤樹は 慎重しんちょうに一歩、二歩と目の前の林へ進み出した。

 正面の林からスーッと風が吹きつけてくる。汗の滲んだ額に心地良い風だと篤樹が感じたその直後……


「うがー!」


 アイツがこっちに向かって け出してきた!


 え? なんで……


 グチャグチャに溶けたような、バケモノの顔面中央にある「二つの穴」が、離れていてもそれと分かるくらいに大きく広がっている。


 鼻……?!  においでばれたんだ!


 篤樹はすぐ後ろまで せまってきたバケモノの はげしい息遣いきづかいを感じながら、目の前の林に向かって駆け込んだ。


 林の中を右に左に、篤樹は必死に駆け抜ける。


 クソー! 走りにくいよぉ!……とにかく、あのバケモノは普通じゃない! なんであんなのがいるんだ? ここはどこなんだ?


 ソイツは森の木々をなぎ倒しながら篤樹を追い続けて来る。混乱する頭の中を整理する間も無いまま、とにかく篤樹は走り続けた。


 不意に目の前に開けた場所が現れる。中央には他よりも幹の太い樹があった。その樹の陰に駆け込み、息を整える。


 大丈夫か……?


 バケモノが追ってきていないか、ソッと顔を出し確認する。大丈夫……振り切れた!


 篤樹はバケモノの姿が見えないのを確認し、安心して樹の陰に身を隠す。だが……その目の前にあのバケモノが立っていた。


「ア、アアアー!」


  えきれずに、篤樹は声にならない声で叫んでしまう。


 あれ? 俺、なんか変な声が出ちゃってる……


 バケモノが巨大なハンマーを振り上げた。まるでスローモーションのようだ。テレビの「スーパースロー再生」ってやつだっけ?  拳銃けんじゅう銃弾じゅうだんが、日本刀とぶつかって真っ二つに割れるシーンとかってあったよなぁ。あれ? こんだけゆっくりならあのハンマー けられるんじゃね? それにしてもホントに変な顔のバケモノだなぁ……あ、ダメだ、俺の体が動かないや。俺もスーパースロー再生状態なのかなぁ? ん?


 時間にして数秒も無い「死を感じる瞬間」に、篤樹は色々な思いが頭の中を駆け めぐる。次の瞬間、突然、目の前のバケモノが くだけ散った。


 太い木の根元にもたれかかり、篤樹はヘナヘナと座り込む。目の前には砕け散ったバケモノの 肉片にくへんと、その上に「ドスン!」と落ちる巨大なハンマー。その先には……


「あなた、誰!」


「え、あ……え?」


「あなたは誰だって聞いてるの!」


 バケモノの 残骸ざんがいはさみ、篤樹をにらみつけている不思議な雰囲気の少女―――


 なんだろう? 何となく違和感が……


「あ……あれ? き、君が助けてくれたの……」


「質問に答えて、人間!……あなたは誰? 人間でしょ! なんで人間がここにいるの!」


 篤樹は、自分が助けられたということを理解し「ホッ」とすると同時に、目の前に現れた少女を見て急に うれしくなって来た。

 一言でいえば「アイドルグループ」の1人のような整った顔立ち。2次元少年の卓也が見たら、絶対に「1枚写真を らせて!」と頼みそうな、不思議な服装をした可愛らしい女の子。何年生だろう? 俺と同じ位?

 エメラルドグリーンの長い髪……その側頭部の髪から飛び出しているのは……明らかに「人間」とは違う大きめの とがった耳……え? 耳が……


「ここは私たち『ルエルフ族』の 領域りょういきの森よ! なんで勝手に人間が入って来てるの!  くされトロルまで一緒に!」


「腐れ……トロル?」


「それよ!」

 

 少女は砕け散ったバケモノの肉片を指差した。その指先をそのまま篤樹に向ける。


「答えなさい! あなたは誰にこの森への入り方を聞いてきたの? 一体、何の用があって来たの!」


 矢継ぎ早に問い詰める少女の声と 剣幕けんまくに、篤樹はすっかり気持ちが折れてしまった。


 何のために? どうして? そんなこと……こっちが知りたいのに……。どうやって来たか? どうやったら帰れるのかを教えてくれよ……


 少女からの 詰問きつもんを受けていた篤樹は……突然、泣き出した。


 自分でもどうにも抑えられない。可愛い少女の目の前なんだから我慢しなきゃ……なんて気持ちでいたのに……だけど、どうしようもない! だって、どうすれば良いのか、何が起こったのか、何にも分からない不安と恐怖で心が張り裂けそうなのだから……もうすぐ15歳にもなろうってのに……こんな馬鹿みたいに声をあげて泣くなんて情け無いよ……でも、涙と声を出し尽くさないと、もうどうしようもないんだ!


 篤樹はまるで「 幽体離脱ゆうたいりだつ」でもしながら、自分を「外」から見ている不思議な感覚のまま、とにかく全身を震わせ泣き叫んだ。

 ルエルフの少女は突然泣き叫び始めた篤樹に向かい「やめなさい! 黙れ人間! うるさい! やめろ!」と、最初の内こそ黙らせようとした。だが、その内にあきらめ、 駄々だだっ子のように地面を転がりながら泣きじゃくる篤樹の姿をあきれ顔で黙って見下ろし続けていた。

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