第21話

 えへへ、と笑って、ちとせはいたずらっぽく舌を出した。そうして自分もまた、一度星空を見上げる。


「そうだね、お仕事はちゃんとしなくちゃ、ね」


「はい」


 ちとせと連れ立って食卓に舞い戻った兜人は、彼女に座るよう手でジェスチャーされた。大人しくしたがうと、ちとせもその場に腰を下ろし、わざとらしく咳払いをした。


「こほん。ええと——薫さん」


「ん? なんだい?」


「ちょっとだけ、こちらのお仕事のお話いいですか?」


「む」


 ちとせの言葉を聞いて、卵を執拗にテーブルの縁へ打ち付けていた蓮華が手を止める。もちろん薫も居住まいを正してちとせに向き直った。


「あぁ、もしかして園長と話してくれたのかい? あの園長、すっごい怖いだろ?」


「えぇ、とりつく島もない……という感じでした。一応『上と掛け合う』とのお返事はいただきました」


「上、ねえ……」


 神妙な口調で薫がそう繰り返す。そこで兜人は保育園の経営母体がどこなのか、という疑問が残っていたことを思い出し、口を挟もうとした。


 しかし、それより早くちとせが口を開いた。


「それはそれとして、薫さん。——私たちに何か嘘をついていませんか?」


『——え?』


 重なったのは、兜人と薫の声だった。一挙に視線を集めたちとせはゆるくかぶりを振る。


「いえ。嘘、というより……隠していること、でしょうか。私たちに言えなかったこと、何かありませんか?」


「え、ええっと、それは——」


 言い淀む薫に兜人がさらに突っ込む。


「まさか、クッキー以外にも盗み食べしていたおやつがあるとか?」


「そ、そんなんじゃないよ!」


「そんなんじゃない……ということは、他に隠していることがある、っていうことですね」


「う、ううう」


 分が悪いことを悟ったのだろう。薫はやおら肩を落とした。そこへ畳みかけるようにちとせが続けた。


「私にはある程度、見当が付いています。薫さん、あなたは——フェイズ2の接触性精神感応者サイコメトラーではありませんね?」


 ここに来る前から、兜人は心の中にあるひっかかりを抱えていた。それがようやく解けた気がして、気がついたら口を挟んでいた。


「確か——倉知さん、恵庭先輩の家の前で待ってるとき、俺の心を読みましたよね?」


「あ、あれ? そうだったっけ?」


「ええ。しっかりテープで閉まっている袋の中身を、スターフルーツとバナナだって言い当ててました。鍋にあるまじき食材なのに……。あれは俺から荷物を取ったときに手に触れたからでしょう。オーラを読み取るだけのフェイズ2とは思えません」


「——実は、それよりも前に薫さんは能力を使ってました」


「え?」


 兜人が聞き返す。薫と接触したのは今、そして最初に相談窓口に来た時だけだが——


「……あちゃ、なんかやっちゃってた?」


「私がフロランタンを手渡した時です。あのお菓子を売っているお店は大人気店ですが、私は『並んだ』とまでは言ってませんでした。ええ、確かに休日の早朝から、一時間以上並んだんですけどね……」


「菓子ごときでそんなに並ぶやつの気がしれん」


「むぅー、私は並ぶのー! ……こほん。それで私は最初から薫さんに何か隠し事があるのではないかと睨んでいたわけです」


「そっか……思わず言っちゃってたんだな」


「試していたんですね、私たちを。信頼するに値するかどうか」


「……ごめんよ」


 まいった、というように薫は後ろ頭を掻いた。


「確かに、ちとせの言うとおりだよ。あたしにはあんたたちに言ってないことがある。……信じてもらえるかどうか、分からなくて」


「言ってください、なんでも」


 ちとせは真摯な眼差しで、薫を見つめる。


「真実を知って初めて、私と宗谷くんは執行官としての責務が果たせるんですから」


「……分かったよ」


 薫は観念したようにぽつりぽつりと語り始めた。


「クッキーを食べた最初のきっかけは、ある子がおやつを分けてくれたからなんだ。遠慮したんだけど、子供ってほら、言い出したら聞かないところがあるからさ。押し負けて一つ、もらったんだよ。そうしたら……」


「そうしたら?」


「——次の日、異能力アンダーの進行度が上がったんだ」

「何?」



 身を乗り出したのは蓮華だった。ちとせも目を丸くして聞き返す。


「本当ですか?」


「うん。その前の日まで園児達のオーラしか見えなかったのが、断片的にだけど考えている言葉が伝わるようになってきたんだ。最初のうちは自然進行したのかなって思ったんだけど、どうにもあのクッキーが気になって」


「薫さんは……試しに食べ続けてみたんですね?」


「そうなんだ」


「とにかく、あのクッキーを食べれば食べるほど、進行度(フェイズ)は上がっていったんだ。ちとせとカブトが言った通り、触れれば思考が読めるぐらいに」


「——ということは、じゃ」


 手の中で卵を弄びながら、蓮華が口を挟んだ。


「以前の『オーラが見える』という状態ならばフェイズ2——しかし、思考が読めるという話が本当であればフェイズ5相当であろうな」


「ほ、本当だよ! でも、異能力の定期診断はまだ先だし、その時に計っても自然進行と見分けがつかないし……。かといってこの話をしても、占環島異能力研究機構が信じて、すぐ測定してくれるとは思えないし……」


「つまり、クッキーの摂取と急激な異能力の進行とを裏付けられていない、ということじゃな」


 ふんふん、と話を聞いている蓮華は、件の占環島異能力研究機構(SURO)の一員である。


「滝杖先輩、どうにかならないんですか?」


「まぁ、うちほどにもなれば占環島異能力研究機構を動かせんこともないが……んな面倒なことをせずともいいであろう。ちとせ、久々にあれをやるか」


 話を振られたちとせはしばし目を瞬かせていたが、やがてぽんと手を打った。


「あ! もしかして、あれ?」


「うむ。おい、小僧、何か箱はあるか?」


 唐突に言われ、部屋の中を見渡す。


「え? あぁ……えっと、実家から送られてきた段ボールなら」


「ちとデカいがよかろう。それに紙とペンじゃ。ほれ、早うせい」


 ぺしぺしと背中を叩かれ、不承不承、兜人は命じられるがまま、段ボール、それにメモ帳の一ページとボールペンを用意する。それに手を伸ばしたのはちとせだった。


「ちょーだい、宗谷くん」


「はぁ。で、何をするんです?」


「うむ」


 改まって頷いた後、蓮華はばっと立ち上がった。


「題して————『箱の中身はなんだろなクイズ』じゃ〜!」


 その突拍子もない宣言に兜人と薫はぽかんとする。うきうきしているのは蓮華とそれに何故かちとせで、彼女は今にもメモ帳にペンを走らせそうな勢いだ。


「ルールは簡単じゃ。ちとせが誰にも見えんよう、何か文章を書いてこの箱に入れる。それをそこな女と——そしてうちで当てるというわけだな!」


「そこな女ってなんだよう! って……君も?」


 薫がきょとんと尋ねるのに、蓮華はにやりと不敵に笑ってみせた。


「うむ。尋常に勝負といこうではないか」


 そういえば蓮華の異能力のことはまだ聞いていなかった。だがそれも薫の話の真偽とともに、ここで分かるのだろう。


「ね、ね、蓮華ちゃん。もう書いてもいいかな?」


「よし、頼むぞ」


「は〜い!」


 やけに楽しげにちとせはメモ帳になにかしらを書き、段ボールへと入れた。蓋をして、どこからも内容が見えないようにする。


「ではお主からするが良い」


 蓮華にあごでくいっと命じられた薫はそろそろとちとせに手を伸ばす。


「ええと、ちとせ、触れてもいいかい?」


「はい、どうぞ〜」


 おずおずとちとせの手を取った薫は、静かに目を伏せた。そしてすぐに「ええ!?」と声を上げて驚く。


「そ、そうだったの!?」


「えへへ〜」


「最初のイメージと全然違うよ……」

 ——一体、何が書いてあるんだ。兜人が半眼でその様子を見ていると、蓮華があごで段ボールを指し示した。


「よし、もういいぞ。坊主、箱の中身を開けろ」


「え? 滝杖先輩は……」


「うちはもう読めた。ほれ、早う早う」


 蓮華はちとせどころか箱にすら触れていない。だが非接触性精神感応者テレパスであることは、昨日自らが否定していた。兜人は訳が分からないまま、段ボールを手に取る。


「では、一斉に答えを言うぞ。小僧は箱の中身を読むんじゃ。いいな————いち、にの、さん!」


 段ボールに手を突っ込んで、紙を引き抜く。


『——実は、私、洋菓子より和菓子派、紅茶より緑茶派なんです』


 三人の声が重なる。兜人は思わずちとせを振り返った。


「そ、そうなんですか!?」


「えへへ〜、なんちゃって。うそだよぉ」


「——くだらないッ!」


「そんな床に紙を叩きつけるほど!?」


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