第19話

 両手にずしりと重力がかかっている。兜人はスーパーの袋を持ち直す何度目かの動作を繰り返した。さすがは高級スーパー、ビニール袋ではなく紙袋に入っていて、中身が見えないよう口をしっかりと閉じているし、持ちやすいことは持ちやすい。だから持てないほどではなかったが、それにしたって買いすぎではないのか、と思う。


 数歩先のちとせは弾むような足取りで、宵闇に沈んだ一区の住宅街を歩いている。等間隔に並んだ外灯が、ゆったりと波打つ彼女の髪にきらきらとした輝きを度々与えていた。そして昨夜と同じく彼女自身が能力によって光を帯びている。


「ところで、どこで夕飯を食べるんですか?」


「もちろん、うちだよぉ。たっくさんおもてなしするからね」


「でも先輩の家って、女子寮ですよね。自分は入れないのでは?」


 らんらんらー、と何かしらの歌を口ずさみながら歩いていたちとせの足がピタリと止まる。兜人もそれにならって歩みを止める。ぱちぱちと瞬きをすることしばし、ちとせは油の切れたブリキ人形のようにぎぎぎ、とこちらを振り返った。


「あーん、そうだったぁ。どうしよう……」


 思わず両手の荷物をアスファルトの上に落としそうになった。お客を迎える気満々だったらしく、涙目になって「どうしようどうしよう」とそれぞれの頬に手を当て、ぶんぶんと首を振っている。


 兜人は海よりも深い溜息をつき、言った。


「良ければ、自分の家を使ってください。ただ調理道具類は何もありませんので、先輩の家から持ってきてもらえますか」


「ほ、本当? いいの? ありがとう、宗谷くん!」


 はしっと手を取られ、大げさなほど感謝された。うるうるとしたちとせの色素の薄い瞳が眼前に広がる。兜人はとっさに視線を逸らし、はぁ、とか、まぁ、とか適当な相づちを打った。


 予定を少し変更し、ちとせの家に寄った後、兜人の家に行くこととなった。


「ちょっと待っててね、すぐ戻ってくるから!」


 今朝も来たアパートに、ちとせが早足で入っていく。手持ち無沙汰になった兜人はエントランスについている外灯の下で、一人、アパートの塀にもたれかかった。光が作り出す自分の人影が道に沿って伸びている。何かと騒がしいちとせがいないせいか、しんみりとした静寂が耳に染みこんでやまなかった。


 両手の荷物はますます重さを増しているようだった。が、中身が食材なので地面に置くのも憚られる。仕方なしに兜人は右腕に袋を掛け、コートのポケットから携帯端末を取り出した。


 メッセージアプリを呼び出し、グループを表示させる。こういうことに明るい二番目の兄が作った家族のグループだ。


 ずっと、ずっと以前の記録を辿っていく。一番上の兄が昇進試験に合格したことを報告していた。兜人も含め、それぞれが祝いのメッセージを送っている。父が母に夜勤明けで今から帰るが何か足りない食材はあるかと尋ねている。母は何もないから気をつけて帰ってこいと返している。二番目の兄が昼から雨が降るから早く帰ってくるように言っている——


 家族のグループメッセージはそこで途切れていた。約一ヶ月ほど前。何ら変わりない日常が続いていたあの頃は、そこで、ぷつりと途絶えたのだ。


 家族を壊したのは、間違いなく自分だった。


 兜人は『グループを退会』というボタンに親指を寄せる。これに少し触れるだけで、家族との繋がりが、一つ切れる。


 だがもう一人の自分が耳元で囁く。


 そんなことをして何になる、と。


 家族の元を離れても、自分の罪が消えるわけではない。


 そんな自罰めいたことをしても、決して赦されるわけではない——


「——あれ? 君、確か……ちとせの後輩だよね?」


 思考の深淵に沈んでいた兜人の耳に、聞き覚えのある声が響いた。

 はっとして顔を上げ、メッセージアプリを閉じる。外灯の届かない道に、人影が見えた。それはとことこと近づいてくる度に、どこかの学校の制服を着た、少女を形取っていく。


 兜人はようやく外灯の下にさらされた姿に、目を丸くした。


「倉知さん……?」


「おお、やっぱりそうだ。こんばんは、カブト」


 目の前に現れたのは、件のつまみ食い女——否、たいよう保育園に不当解雇を訴えた倉知薫だった。昨日会ったときと同じ制服姿に、小さな紙袋を一つ持っている。行きがかり——とは考えにくかった。ここは第一高校クラス以下の——つまり、フェイズ5未満の異能力者がわざわざ来るところではない。


「なんだ、君も来るんだったんだね。あれ、でも君、ちとせの家に入れるの?」


「ええと……」


 今のでおおよその理由は分かったが、どう答えるか迷っているうちに、薫の制服のスカートから着信音が鳴った。


「——もしもし? うん、あぁ、今、家の前にいるよ。え? ああ……やっぱりね。うん、じゃあ、カブトと待ってるよ」


 ピッ、という短い電子音が響き、通話が切れる。やりとりの内容も通話の相手も、想像に難くはなかった。


「恵庭先輩ですか」


「うん。パーティ会場が変更になったのを言い忘れてたって。ということで、よろしくね」


「はぁ」


 確か蓮華も呼ぶと言っていたので、全部で四人か、と頭の中で勘定する。部屋は決して広いとは言えないが、物が少ないから窮屈ではないだろう。


「一つ、持つよ?」


「いえ、お構いなく」


「まー、いいからいいから」


 薫がさっと袋を一つ奪い取る。こちらの指を無理矢理剥がして、もぎ取るほどの強引さで。取られたものは仕方ないので、兜人は観念した。薫はちとせのアパートをちらちらと見上げながら、おかしそうに笑った。


「スターフルーツにバナナって……鍋にしてはなんだか斬新だね?」


 確かに、薫が持っている袋にはフルーツ類がふんだんに入っている。これを鍋に入れようものなら斬新どころか狂気以外の何物でもないのだが、どう答えようか迷っていたところへ、エントランスの自動ドアが開いた。


「おっ、お待たせしましたぁ」


 のんびり屋のちとせにしては珍しく、息せき切って戻ってきた。大きめのリュックを背負っているのを見るに、そこに道具類や食器類が入っているらしい。


「こんばんは、ちとせ」


「こんばんは、です、薫さん。ごめんなさい、急に場所を変更しちゃって」


「いいっていいって、後輩くんがいたおかげで行き違いにもならなかったしね」


 なんでもないことのように手を振る薫に、ちとせは安堵の微笑みを浮かべた。


「蓮華ちゃんにも連絡したし。それじゃ行きましょうか。楽しみだなぁ、宗谷くんのお家!」


「男子の家ときたら……やっぱここはガサ入れかな?」


「叩き出しますよ」


「うわぁ……目が本気だぁ……!」


 わざとらしく引きつった口調で言った後、薫はけらけらと笑った。ここに蓮華も加わった女子三人を相手にせねばならないのかと思うと、若干気が重くなった。


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