第3章 再会 その2

 俊介の分身であるボルトがヴィルズ神域に降り立つと、ヴァルサスが転送ゲートの前で佇んでいるのが見えた。

 最近人並み程度に慣れてきたキーボードを使い、チャットを送る。


『こんにちは』

『約束の時間より早いな』


 大抵の場合、ヴァルサスは、俊介よりも速く待ち合わせの時間に訪れている。

 俊介の方が早かった事は、今まで一度もなかった。


『ヴァルサスさんの方が早いじゃない』

『俺は、朝からログインしていただけだ』


 完全なるダメ人間宣言だが、俊介は呆れるよりも感心させられていた。

 ヴァルサスは、心の底からソウルディバイトを愛している。

 素っ気ない言葉の端々から零れるように伝わってくる彼の熱意が微笑ましくさえあった。


『本当に、このゲーム好きなんだね』

『そうか?』

『好きじゃなかったら毎日やらないでしょ?』

『人によるんじゃないか』


 けれど、ある瞬間ヴァルサスは、俊介の事をやんわりと突き放す時がある。

 理由は、なんとなくだが理解出来た。

 仮面ヴァルサスの下にある本来の自分自身に触れられたくないのだろう。

 だから大会に出ようとか、現実世界で会おうなんて言っても、きっと頷いてくれない。

 そうと分かっていても、問い掛けてみたい欲求が俊介に生じていた。

 大会がどうこうでなく、ヴァルサスという仮面の下にある人間性への純粋な好奇心からだ。


『そう言えばヴァルサスさんは、大会出ないの?』

『大会? ああ、あまり興味がなくてな』


 想定通りの答えだった。

 ヴァルサスにとってこの世界の住人に成り切る事が目的であって、現実で得られる名誉は、眼中にない。


『対人もボス戦も強いのに』

『強くない。ただやってる時間が長いだけだ。ボルトみたいに才能がある訳じゃない』


 だけど優しい人なのは、よく分かる。

 年上か年下か、知りようがないけれど、こうして可愛がってくれる。

 家族以外に、ここまで気を許せた人がいただろうか?


 陸上をやっていた頃は、同じ部活の人たちは、友人である以前にライバルだった。

 クラスメイトも表面上は好意を向けてくれていたが、彼ら彼女らと遊んだ記憶なんてない。


 俊介の事を家族以外で一番よく知っている人は、多分ヴァルサスだ。

 胸を張ってそうだと断言出来る友人だ。

 そんな彼が自分の事を誇ってくれるのが嬉しくて仕方がない。


『才能なんて、あるのかな?』

『あるさ』

『じゃあ俺って、どんな才能があるの?』

『タイトルによるが、このゲームのシステムでは、反射神経は絶対だ。ボルトの反射神経は凄まじい。俺には、そんな才能はない』


 才能がない?


『そうかな?』


 ヴァルサスは、才能にあふれているように思えた。


『俺は、一つの事を継続して出来る事が、一番の才能だと思うけど』


 昔から走るのが大好きだった。

 世間は、素晴らしい才能を持っていると称賛したが、俊介は哲郎の教えてくれた言葉が真理だと思っている。


 好きこそ物の上手なれ――。


 その言葉を胸に走り続け、夢が破れた後も、こうしてまた好きな事を見つけられた。

 だからこそ言える。

 俊介にとって、ずっとソウルディバイトと共に歩み、膨大な知識と経験値を持つヴァルサスこそが真に才気あふれる者だと。


『実は、俺――』


 だから言葉にする。

 伝えたい思いを紡いでいく。


『少し前までゲームって馬鹿にしてたんだ』

『好きじゃなかったという事か?』

『ゲーム自体も、それをやる人もあまり好きじゃなかったし、いいイメージもなかった。ぶっちゃけオタクじゃんって感じで』


 誤魔化しのない着飾らない本音だった。

 怒られそうだと思ったが、ヴァルサスから返信はない。

 黙って聞いてくれるつもりなのだと思い、俊介は続けた。


『eスポーツとか、正直何言ってんのって感じだった。たかがゲームじゃんって』


 自分の想いを正直に。

 偏見をあえて吐き出して。


『テレビの前で座ってコントローラーかちゃかちゃしてるだけのくせにって。そんなのスポーツじゃない。スポーツ舐めんなって思ってた』


 だけど実際に触れてみて価値観が変わった。

 手前勝手だとは思ったが、それでも変わらずには居られなかった。


『でも、実際にやってみたらゲームはスポーツ、競技なんだって考え方すごく納得がいったんだ』


 確かにゲームは、遊びかも知れない。けれども陸上競技だって突き詰めれば、かけっこという遊びの延長線上にある。

 身体を積極的に動かすか、動かさないかの違いはあるがゲームだって競技スポーツだ。


『大会とか、ボス戦とか、対人戦とか、いろんなやりたい事を想定して、たくさん練習して本番を迎える。練習だって、ただボタンとポチポチやるだけじゃない。タイミングとか、読み合いとか、色んな状況を想定してやるべき課題がたくさんある』


 この一ヶ月、俊介はソウルディバイトだけでなく、多くのゲームの大会動画を見てきた。

 白熱する選手。熱狂する観客。画面の前で拳を握りしめ、歯を食いしばっている自分自身。

 誰よりも速く走ろうとしたあの日々を思い出させてくれた。


『目標に向けて努力する事に、他のスポーツと違いなんかないんだって思ったんだ』


 触れてみて価値観が広がった。

 俊介にとって得難い体験であり、新しい人生のスタートラインを教えてくれた。


『俺、今なら胸を張ってゲームが好きだって言える』


 思いの丈を吐き出した俊介は、ヴァルサスがどのような反応をするかが気がかりであった。

 ゲーム好きの人なら腹が立つような事も書いてしまった自覚がある。


『そうか。君は、心の底から楽しめる人なんだな』


 しかしヴァルサスの書き出したメッセージは、優しくそして――。


『正直、羨ましい』


 酷く物悲しい気配を伴っていた。


『俺にとってのゲームは、辛い現実から目を背けるための手段に過ぎない。大会に出ようとは思わないんだ。大会は、最終的に選手の顔がネットやテレビに出るだろ?』

『うん。最近、大会の配信とかもよく見るから知ってる』

『だから嫌なんだ。あれは現実とゲームが混じってる。俺にとっては分かれててくれなきゃいけないんだ』


 ヴァルサスと出会い、彼との関係が深まってから、そこはかとなく感じていた物がある。


『もともとソウルディバイトは、ただのアクションRPGだった。eスポーツとして想定されていなかったし、発売してから最初の一年位は、ただのゲームだった』


 現実世界に対する忌避。


『だけどシステムが良くも悪くもプレイヤーの技術が色濃く反映される。だから次第とゲームに競技性を求める連中の注目を集め始めた』


 ゲームに対する愛憎入り混じった思い。


『そしてそいつらに擦り寄った運営が競技化を推し進めていった。発売から三年。今じゃeスポーツの代表的タイトルだ。ボルトは、ロールプレイングの意味を知っているか?』


 自己への激しい嫌悪。


『役割を演じる、だよね』

『俺は、ヴァルサスというもう一つの人格を演じる事で辛い現実から目を背けたかった。この世界の住人を演じていたいだけだった』


 ヴァルサスのPKKへの執着は、彼の内心を色濃く反映しているように思える。


『でも今じゃ違う。賞金目当てや、承認欲求満たしたいプロゲーマー気取りがイナゴみたいに群がって世界観なんかぶち壊しだ』


 彼の書く言葉と行動原理が俊介を一つの解へと導いてくれる。


『俺みたいな、なりきりプレイヤーを鼻で笑いやがる。恥ずかしいとか、厨二病とか、RPGの本来の遊び方をしてるのは俺なのに。上手い奴は、大会に出るべきだ。どうしてプロを目指さないんだ。どうして、どうしてって』


 自分には、これしかない。

 他にやるべき事なんて一つもない。

 きっとヴァルサスは、そう思っている。


『俺は、この世界で過ごしたいだけなのに、なんでそれを否定されなきゃいけない!?』


 ボルトは、ヴァルサスの考え方や葛藤が心底理解出来る。

 陸上しかないと思い込んでいた一ヶ月前の自分を見ているようだったから。


『別に競技としてやりたいなら勝手にやればいい。でも競技化されたゲームは、なんでも競技目線で調整される』


 自分にとってのたった一つの誇りが失われる恐怖。

 唯一の居場所と思っていたのに、二度と居られないと思い知らされた絶望。


『伝説の武器や魔法って設定なのに、対人で強いからその辺に転がってる武器や魔法レベルに弱体化する!!』


 あの頃の俊介は、毎朝起きるだけで吐き気をもようす怖気を覚えていた。

 また一日が始まってしまう。

 また不安と絶望が頭を苛む時間が始まる。


『この表現は、他の国基準ではNG。他国での販売に悪影響だから表現が規制される!!』


 他にやりたい事が見つかる。

 今では受け入れられる言葉も、当時の俊介には呪詛でしかなかった。


『俺が好きだった世界がどんどん後から来た連中に浸食されて、塗り変えられていく。ロールプレイングゲームじゃなくて、ただの競技の道具に』


 それ以外の生き方を知らないし、出来ない。

 ヴァルサスにとっては、ソウルディバイトという仮想空間が、以前の俊介にとっての陸上なのだ。


『このゲームを作った人たちは、プレイヤーにこの世界の住人になって楽しんでほしくて作ったはずなのに。eスポーツの方が儲かるからって、世界観よりも競技性を重視し始めた』


 尚もヴァルサスの思いの発露は、止まらない。

 次々に送られてくるチャットから、ヴァルサスの胸中で燃え盛る負の熱量が伺い知れた。


『ゲームの歴史じゃ、よくある話だよ。格ゲーブームが来て、各社こぞって格ゲーの開発を始めた。でも競技性を高めていった末路は、難しくなりすぎたせいで誰も格ゲーをやらなくなった暗黒期だ。ゲームは何時だって競技化したがる連中が群がって、それ以外の楽しみ方をするプレイヤーを追い出す。界隈を喰い尽くすと別のタイトルに移動して、残されるのは不毛の大地』


 文体すらもヴァルサスを演じる事を忘れているようだった。

 きっとこの文字列に刻まれた感情こそが、ヴァルサスという人間の本来の姿だ。


『スポーツしたけりゃ勝手にやれよ!! でも遊びとして楽しんでる人間巻き込んでゲームをめちゃめちゃにすんなよ!!』


 自分の大切な遊び場が浸食される違和感。

 自分の大切な場所を失う恐怖。

 足を怪我した時、真っ黒な絶望が渦潮のように頭の中を駆け巡って、前後不覚になった。

 目指していた道の先が鉛のように重く淀んだ霧に覆われた気持ちは、俊介にもよく分かる。


『ヴァルサスさん……』


 けれど月並みな慰めだけは、書きたくないし、かと言って今の自分の気持ちを文章という媒体でどう伝えていいかも分からない。

 直接会って、お互いに顔を突き合わせ、声を聞かせられたらどれほどいいか。


『ごめん。ボルトの事をどうこうって言いたいんじゃないんだ。ボルトの事は好きだよ。でもeスポーツって好きになれない。運動苦手なオタクがスポーツの世界で市民権得られるって騒いでるだけじゃん。そして日の当たる場所に行きたいオタクが日陰に居たいオタクを排除していく。なんで? 伝説の武器が強くちゃダメ? 最上位魔法が強くちゃダメ? RPGなのに世界観より、競技としての体裁の方が大事なの……』


 ヴァルサスを知りたいと、踏み込んでしまった結果、彼を傷付けてしまった。好奇心を抱いた自分を恨みたくなる。


『ヴァルサスさん。ごめん。俺、身勝手な事言って』

『違うよ。ボルトが悪いんじゃなくて、こっちがわがままなんだ。こっちのほうこそごめん。ボルトが大会出るなら応援する。頑張って』


 傷つけてしまったのに、ヴァルサスの言葉は優しかった。

 それが一層罪悪感を煽ったが、これ以上言葉を重ねると余計に傷つけてしまいそうで、


『ありがとう』


 俊介は、短い一言しか返せなかった。

 そのまま互いにチャットへの書き込みは止まる。

 相手と面と向かって顔を合わせていないからこそ、こうした時間が気まずく思える。

 何か言わねばと、焦る俊介だったが、先にチャットを再開したのはヴァルサスだった。


『でも、どうしてゲーム嫌いだったのに、今ではゲーム好きになったの?』


 口調がいつもと違うままだ。

 ヴァルサスのキャラ設定がすっ飛んだまま、帰ってこないらしい。

 このままにした方が少し面白いと感じ、あえて指摘せず俊介はキーボードを叩いた。

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