第32話

 真っ白な世界。

 透き通るように、青い空。高すぎる太陽。雲間。誰もいない、空。

 ハヤミたちの乗るジオの旧式戦闘機は、いつか通ったあのときのように、静かな空を飛んでいた。

 ハヤミは雲間を抜けると、ふとガラスの向こうを見渡し声を上げた。

「誰もいないのか」

 酸素マスクからもらす声は、誰にも届かない。ハヤミは操縦桿を握りしめ、左手でいまだ意識の冷めない少女を抱きしめ空を飛び続けた。

「誰も、いないのか……この空には」

 いないことはない。地上には奴らがいて、今さきほど出てきた地下にはたくさんの人々が住んでいて、彼らは戦い、争って、今は静かなだけだ。

 ハヤミは逃げてきたのだ。あの、無意味な戦いから。

 そうして誰もいなくなった。

 高すぎる空。誰を照らすこともない、太陽。

 世界は、いつか見たときのように真っ白だった。

『……………………』

 そのうち雑音ばかり拾っていたハヤミのマイクに、途切れ途切れで誰かの声が入るようになった。

 誰かいるのか。そう思って雲の向こうを見る。誰かいそうだ。けどよく考えたらこの声がどこか遠くで誰かが話しているのを、たまたま拾ったわけではないはずだと気がついた。

 この雲は電波を通さない。磁気嵐も酷い場所だし、電波は遠くまで聞こえない。

「誰か、いるのか」

 ハヤミはレーダーを確認してみた。

 ハヤミが盗んだ旧式の戦闘機は、古いレーダーしか積んでいなかった。画面はほぼ真っ白で役に立たない、だが何かいるはずだと思って周囲を警戒する。

 この空域で、自分の近くにいると言うことは。たぶん十中八九追っ手だろう。

「誰だ」

『……こに……んだろう。ハヤミ少尉』

 耳にききおぼえのある、男の声が聞こえた。

『久しぶりだな、ハヤミ少尉』

「アトスさん?」

 雲の向こう側に、見慣れた灰色の翼、三機編隊のアークエンジェルたちが姿を現す。

 アークエンジェルたちはそれぞれ一定の距離を保ったまま、ハヤミの機体のすぐ脇まで寄ってきた。

「アトスさん。それに、テス曹長も」

『覚えていてくれたんですか』

 三機編隊のうちの一機、三番機のパイロットが軽く会釈をする。

「それに、ミラも」

『ハヤミ……』

 一番機のパイロットがこちらを見ていた。その顔は、マスクとバイザーでよく見えなかったが、声だけでそれがミラだとすぐにわかる。

 アトス少佐の機体が脇に寄ってきて、ハヤミの乗る旧式機を覗いてきた。

『聞けハヤミ少尉。大隊長からおまえに、即時帰還命令が出ている』

 アトス少佐は続けた。

『詳しい内容は俺は知らないが、もしもお前に』

 一番機のミラ、三番機のテス曹長たちが、不安そうな顔でハヤミとアトス少佐のアークエンジェルを見守っている。

『……お前に帰還する意思がないと思われる場合は撃墜も止むなしと、大隊長には言い含まれている』

 アトス少佐の言葉のあと、しばらく三機とハヤミ達は互いに何も話せなくなった。

 ふたたび口を開いたのは、小隊の中でも最年長で、指揮官でもあるアトス少佐だった。

『ハヤミ、お前は何をやったんだ』

「いえ、何も」

 ハヤミはそう言って、胸に抱えた少女を隠そうとした。

 だがそんな小細工をしてもこの三人には見逃されるわけでもなく。その様子を、三人が静かに見ていた。

『ハヤミ、あんた、とんでもないことをしたみたいだね』

 ミラはそう言うと、ハヤミを見ていた目をふと横に向けた。

「いや、その。聞いてくれミラ。信じてくれないかもしれないがオレは何もやってないんだ。信じてくれ」

『信じるさ、ハヤミ。あたしは、アンタを信じてる』

 二番機が遠ざかりアークエンジェルの三機編隊はハヤミの脇をそろって併走した。

『一緒に基地に帰ろう。アニキだって、きっと分かってくれるよ』

「信じてくれ! それにオレは、もうジオに戻るわけにはいかないんだ!」

 ハヤミは懇願するように、併走するアトス少佐に言った。

「信じてくれよ、隊長」

『……信じるさ。ハヤミ』

 アトス少佐は隣で、無線越しに、まるで疲れ切ったような、つぶやきとともにため息をついた。

『信じるさ。オレはお前を信じている、ハヤミ少尉。だがお前は、俺たちを置いてどこに行こうと言うんだ?』

 どこに行こうと言うのか。ハヤミは答えられなかった。

『おまえの居場所は、この空の先じゃない。お前には帰る場所がある。さあ、一緒に原隊に復帰しよう』 

『ハヤミ……』

 心配そうなミラ中尉とともに、テス、アトスたち三人はいつまでもハヤミの隣を飛び続ける。

 しばらくして、ハヤミはやはり帰れないと思った。漠然とした理由ではあったがあの墜ちた地上での経験が、頭から離れない。

 あのときの記憶がハヤミに、絞るように声を出させた。

「アトス少佐。あんただって、分かってるだろう。このまま地下に隠れていたらヤバいって。オレたちは、そろそろ出て行かないといけないって」

『出て行ってもこの不毛の地上世界では、誰も生きることのできない世界で、人間は生きていけない。そうだろう?』

「でも生きている奴らはいる! 地下にだって、地上にだって、オレたちがいないと思っていた奴らがいる! オレたちは地上に出るべきだ!」

『それが、お前が空を飛ぶ理由か?』

 アトス少佐たち三人のアークエンジェルはゆっくりと空を飛び続け、だがわずかずつハヤミの旧式機と距離をとる。

 三番機、テス曹長のアークエンジェルがふわりと高度をとり、上からハヤミのコクピットを覗いた。

『隊長、います。あの少女です』

『ハヤミ、最後の警告だ。原隊に戻れ。これ以上俺に言わせるな』

 やや威圧的な声質で、無線越しのアトス少佐はハヤミに問いかけた。だがハヤミの答えは、やや不明瞭で不確かではあったが、ノーだった。

 それは無言のまま空を飛び続けることで彼らには伝わったらしい。

 ミラ中尉が何度も「もうやめて」と祈るように繰り返す中で、アトスは何度目かの深いため息を漏らした。

『そこまでして、お前が地上に何を求めるのかは分からない。敵に内通して、施設に彼らを侵入させ俺たちのジオを燃やし尽くしてでも、お前は地上に出たかった。そうだな』

「そこまでは……」

 言いよどんだ。そんなつもりはなかった。

「そんなつもりは、なかったんだ」

『言い訳は無用だ、ハヤミ』

 二番機が翼を翻し、それに続いて三番機、一番機がためらうようにしばらく飛び続け、三番機の後に続いて翼をかえす。

『それでもおまえが、意地を通すというなら』

 アトス少佐の声が雑音混じりの無線に響き、ハヤミの操縦する旧式戦闘機の真後ろに機体をつけた。

 警告灯にロックオンアラートが表示され、けたたましくミサイル警報装置が音を発する。

『俺に、お前の意地を見せてみろ』

「嘘だろアトスさん、いや、少佐! やめてくれ!」

『第二小隊、目標を変更し目標の説得から、目標の破壊に移行する。各機、ターゲットを撃破せよ』

『ハヤミ、ごめん……!』

 アトス少佐のアークエンジェルが、続いてミラ中尉、テス曹長のアークエンジェルたちも、ハヤミに向かって一斉にミサイルを放った。

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