第27話

 気がついたら、ハヤミは地面に倒れていた。それも砂利や、石やコンクリートの破片の上にうずくまるようにして。

 ゆっくりと体を起こすと全身がぶたれたようにいたく、間接もよく動かず体中が埃だらけで、視界もかすんでいた。

 だが忘れてはいけないものがあることを思い出し傍らを見る。少女もいた。

 相変わらず意識が無いようだったが胸元の光は失っておらず、地面に伏せみじんも動かないかがらも、この地獄のような世界の中で火のように明るく世界を照らしていた。

 ゆっくりと少女の腕をかつぎ、共に前へ進むために立ち上がる。

 この地下世界には、外に出られる手段は無かった。

 あったが自らのゴミで埋め立ててしまっていた。だから、外から誰かが穴を開けるまで待つしかなかった。

 最初は見間違いかと思いこもうとしていた。だが、見れば見るほどあの侵入者たちと、今自分が担いでいる少女は同じものだった。

 あるいは自分があのとき、地上で見かけたうり二つの者たちは、この少女と同じなのかもしれない。だが少女は、彼女らを見て見覚えがないと言った。

「戦争は、もう終わったはずだろ」

 散発的な戦闘状態に落ち着いたらしいジオノーティラス地下世界は、すでに電力供給もなく、人影もまったく見えない。

 上を見るとかつて空だと思っていたあの青い世界も、今では真っ暗なコンクリート壁であることがよく分かる。

 闇が、世界を覆っていた。そのことから、人々は目をそらしていたんだと。

 世界に大小様々な穴が空いていて、そこから彼女らは侵入してきていた。

 地下世界に充満した煙も、すべてその穴から外に出ている。

 ハヤミは、自分のなすべきことをすると決めていた。それがいったい何であるのか、それは分からなかったが。

 誰かが捨てていったらしい拳銃を拾い、足を引きずって外を目指した。


 地下世界の外は、前人未踏だった。

 かつて空港として利用されていた旧ゲート前は土埃にまみれ、空には燃えるように美しい夕暮れ、低い太陽、寒空と、大きな影を大地に落とす巨大な航空母艦の底部が見える。

 ハヤミは少女の肩を担ぎ直し、非常口を出た。

「さむい……」

 汗ばむように扱った地下世界からドア1枚を隔てた外は、凍えるように寒かった。

 空を漂う巨大空母の姿はそのままで、ただ地上に墜ちていた頃よりかなり痛んでいる印象だった。

「まじかよ……あんなに大きいのが、空に浮いてる……」

 船底には大きな穴が空いており、そこからは冷却剤で使われていそうな泥色の液体が、細いのと太いのと、幾筋もの滝のようになって地上に滴っている。

 味方はどこにもいない。敵の姿も見えない。

 ハヤミははっきりと自覚していた。この少女の仲間は、敵だったのだと。

 ハヤミの自覚に合わせてなのか、何かを認識してなのか外に備え付けてあったただの残骸の一つだと思っていた外部アクセスパネルが作動し、薄暗い女性像のホログラムを映し出す。

『ハヤミ・アツシ』

「まだ、生きていやがったのか、クソマザー」

『シリアルナンバー……ヨンヨンニーサン、イチ、ナナ、キュウ、イーヒャク。これが、最後の忠告です』

「オレには最後もなにもない」

『あなたはまた私たちを、置いていくつもりなのか』

 女性の姿をかたどった実像の無い映像、ホログラムのマザーが、アクセスパネルの上でハヤミに問いかけた。

 ハヤミにはその言葉がよく分からなかった。

「置いていくだと?」

『その少女を、置いて、戻りなさい」

 マザーのホログラムは厳しい表情のまま、ハヤミに続ける。

「オレはお前のガキじゃない」

『命令です、ハヤミ・アツシ、軍の最高意思決定機関は、私です、あなたには、帰らなければならない、場所、未来がある』

「ならオレに命令すればいい。オレはあんたの命令を聞かない」

『ハヤミ・アツシ、少尉』

「オレには、帰る家はない。たった今、無くなったし、その前から無かった。さあここを開けろ」

 ハヤミと少女は地上施設の一つ、埃だらけで、赤さびの浮いた古い格納庫の前に来ていた。

 ドアロックは古い鍵で施錠されており、ハヤミの持っている軍属用のアイディーやパスワードでは開けられない物だった。

 あるいはこの中になら、何か乗れる物でもあるんじゃないかと思ってきてはいたが、無いなら徒歩で出て行くしかない。

 空にはあの巨大飛行空母が飛んでいて、滝のように流れ落ちる冷却剤、こぼれる破片、炎、それらにまじって大量の、あの空飛ぶ生物兵器たちが沸いて出てきている。

 マザーのホログラムは腕を組んで黙り込んでいた。

「へっ。実態がないんじゃ鍵も開けられないか。

『もう充分に、分かっていることだろう?』

 唐突に、もう一つのホログラフィが出てきた。

 出てきたのはあの男のホログラフィだった。

「オヤジ……教えてくれ。今までさんざんオレの行く先を引っかき回してきたアンタだが。いや、アンタたちは、どういうことなんだ」

『お前だって、もう分かっているだろう。この世界も、空も、お前が飛んできた空の彼方でも、おまえたちが見ていたのはぜんぶホログラフィだ』

「オレを助けてくれたあのときのオヤジも」

『そう。全部、ホログラフィだ。この荒れ果てた荒野を見てみろハヤミ』

 そう言って、オヤジのホログラフィは燃える地下世界のゲート、それからずっと視線を流して、荒野の向こう側に目を向けた。

『元に戻る見込みのない世界。死しか予見できない未来。もう袋のネズミ、それでも、かつて人類は生きようと試みた。この地下世界がどうしてできたかは、だいたいお前も知っているはずだ』

「そんなの、虚言だ!」

『現実を、ありのままのすべてを知ってどうなるハヤミ』

 マザーのホログラフィの輪郭は曖昧になり、代わりにオヤジのホログラフィの輪郭がはっきりとしてくる。

 等身大をまとう影は、夕暮れ時の世界ではよりいっそうはっきりと目に映った。

 その目は、人間の持つ目そのものだった。中身を伴わないホログラフィは申し訳なさそうな顔をする。

『今まで黙っていたが、実はわたしは、マザーのデータアーカイブに残されているフォックスのデータだ』

「……うそだろ」

『嘘じゃない。死んだフォックスの代わりに、この地下世界を存続させる第二のフォックスを作り出す、そのために私は生みだされた』

「いいや、フォックスは生きている。オレは見たんだ!」

『お前はそう言っているな。だが記録とマザーの判断では、フォックスは百年以上前にすでに戦死している。生きていたとしても、もうとっくに老衰だろう』

 マザーの虚像が映されていたアクセスコントロールキー上のホログラフィパネルにはきらきらと輝く残像が残り、その輝きの上に手のひらをかざして、まるで自分の手のひらと光点を一つに合わせるようなしぐさをしたあと。

 フォックスのデータを名乗る男は、ゆっくりとハヤミを見た。

『お察しの通り、わたしはフォックスの生前の姿を借りた、マザーのもう一つの人格だ』

「マザーは」

『マザーは一つではない、集合智だ。ジオのすべてを管理し、すべてを作り上げすべての者を導くマザーは、かつてこの地下世界を創り、この世界をふたたび再生しようとしてきた科学者たちの智の結晶だ。執政官だった者もいる。この地下世界に住む者、生きる者は、おおくはかつての彼らの子孫でありクローンだ。もうオリジナルの人格を持つ者は少ない。同じような時間を、同じような人間が幾度も繰り返すこの地下世界に、未来などと言う物はない。それでも我々はいつか地球が再生したときのために、ジオの人間に希望を抱かせ続けなければならなかった。戦争が終わってはいないなどと言い続けてきたのもそのためだ』

「だがその希望は。その嘘のために、今までどれほどの人々が無意味な時を過ごしてきたか」

『分かっている。だがもう破綻した。お前が破綻させたのだ』

「オレが?」

 空の彼方をゆっくりと滞空する巨大空母が、時間の経過とともにゆっくりと影を移動させる。

 沈みゆく、真っ赤な太陽が、空に大きな影と夕焼けを彩っていた。

『お前は真空の世界から地上へと墜ち、その少女を見つけこの世界まで連れてきた。彼女も自分の任務を知らなかったかもしれんが、少女はお前を利用してジオの地下基地を見つけるための敵が用意したトラップだったんだ。彼女の、その胸の基盤にログが残っていた。敵の考えた策略だったようだ』

「嘘だ。嘘だこいつは、まさか、そんな……」

 夕暮れ時のつかの間。

「ずっと、一人で待っていたのは……オレを騙すためだったのか?」

『その、ようだな』

 男はやや申し訳なさそうな顔をして、頬をかいた。

 ハヤミは、体から一気に力が抜けたような気がした。

 担いでいた仮死状態の少女が、大きな音をたてて大地に崩れ落ちる。少女は地下で自分の名前を呟いたときのままの顔で、大地に転がっていた。

「オレは誰を信じればいいんだ。ないのか? これ全部、お前たちが作り出した幻だとでも言うのか!? オレはいったい何を見ている! オレは、オレは確かにこの目で……ッ!」

 地面に転がり抜け殻のようになって動かない少女を見下ろし、ハヤミは頭を抱え激しく横に振った。


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