第3話

 新米パイロットは、伝統として一度以上はフォックスと対戦する事になっていた。

 そして一度は、全員地面にたたき落とされるまでが慣例とっている。

「仕留める前に、エンジンが吹っ飛んでただろ?」

『た、たまたまですよ! 追いかけてたら、先にエンジンが限界に達したんです! あともう少しだったんです!』

「みんなそう言うんだ。フォックスは、自分は一発も撃たない。その代わりに自分を追わせて、雲の湿気をエンジンに吸わせて、パイロットを迷わせて、スピードが落ちたところで後ろから食うんだ。よく考えてるよ、ここにある物を全部利用してる」

『……はい』

「フォックスを追いかけるコツは、追いかけないことだ。あるいはもっと早く、フォックスの先を飛ぶしかない」

 遥か上空でピタリと動きを止めるフォックスを見ながら、ハヤミはボオっと過去の自分を思い出してみた。

 ほんの少し流れる沈黙。

 いろんな事があった。

「フォックスは追うだけ無駄。一度諦めた者には、フォックスは手の届く存在じゃない。そうだよな、ミラ中尉・ど・の?」

『フン。追いかけようとする方がおかしいわ』

「アトスさんは?」

『ん? ああ……そうだな。とても、懐かしい話だ』

『ううううううー……』

 今度は無線から、犬か何かが唸るような声が聞こえてきた。

『悔しいですよ! でも俺は、あともう少しだったんです!』

 唸り声は、テス曹長のものだった。

『訓練ではちゃんと数字は出てた。なのに、墜とせると思って実際に戦ってみたら、戦うどころか何もしない内に勝手に落ちてて。何もしなかった同期達が昇進してるのに、自分だけまだ訓練生で空を飛ぶ事になるなんて……』

「うーむ……まあなあ」

 無線から聞こえる嗚咽と涙声を聞いて、ハヤミもつい黙り込んでしまった。

『ハヤミ少尉は、なんで空を飛んでるんですか?』

「んー?」

 どこかで聞いたことのあるような質問だ。

『また、何かで一番になるためでしょう?』

「そんなことはない。オレは万年少尉さ。中隊長達が許してくれるかぎり」

 ハヤミはポリポリと顔をかいた。

『曹長、あんまりハヤミをいじめないほうがいいぞ。少尉は曹長より、何よりも地面に墜ちるのが趣味のヒトだからね。降格だって、昇進試験を棒に振るもの趣味のうちよ』

「そんな趣味はねーぞ」

『あらそう?』

「ミラちゅあーん? 今日はずいぶんと挑発的だけど、オレの戦歴は消せねーぞ?」

『……なんのことだい?』 

 まるですっとぼけたように、ミラ中尉はちょっと引きつったような声を出す。

 ハヤミは素早くマザーへの照会を済ませ、自分を仮想敵機にして戦った戦歴の総数とその使用者を検索した。

 見知った名前がいくつか出てくる。それも、けっこう最近だ。

「いやー、奇遇ですな。中尉昇進試験に合格した上官が、まさか格下の誰かにご執心とは」

『ぎくっ』

「頭の方ではだいぶできても、模擬空戦となるとそうはいかない。今度夕食の時にでも、本物のオレの落とし方を教えてあげよう」

『遠慮しとく。それにあたしは士官なんだもの、筆記も実技もできて当然よ』

「むー」

『もう昔みたいにガレージで遊んでた頃とは違うのよ、ハヤミ』

 無線のバックでは残ったアトスやテス曹長達の笑い声が聞こえ、敵地上空にいるという設定でこの空を飛んでいるハヤミ達は完全に気が抜けていた。

 ジオではやる模擬空戦用のデータとして、ハヤミたちは今でも空を飛んでいる。

 大深度シェルター、地下独立国家ジオではある意味、現実よりホログラフィと仮想空間、それらを利用した疑似現実世界での生活の方がリアルだった。

『ハッハッハ、相変わらず仲がいいな二人とも。まあまあ少尉。まあ、ちょっと待ってくれ。今のキミの話しなんだがな、実はその続きがあるんだ』

「続き?」

 無線先の笑い声が止まり、ミラの声が止まり、代わりにノイズ混じりのアトス少佐の声が無線から響く。

『そう。実は今度、上官達の前で空戦技能を披露するための仮想ドッグファイトをすることになった。チームは我々テトラ小隊と、ハヤミ少尉、君たちのオッドボール小隊だ。ギャラリーには基地指令たちもいるがそこでいい成績をとったチームは表彰される。そこで、気になるのは少尉の昇進の話しだ』

「少佐。自分で言うのもなんですが、オレは落第生ですよ。一度地面に落ちた人間だ。それに筆記試験は受けたくないんです。お言葉ですが、それでも空を飛んでいたいんだ」

『まあそう焦るな。ハヤミ少尉、今回の計らいは特別だ。俺もハヤミ少尉の戦歴を見てきているが、君はいつまでも少尉の位に居続ける人間ではない……どうも君は、単機同士でのインファイトより、小隊単位の空戦が圧倒的に苦手なんじゃないのかな?』

「ぬ」

『昇進の話しは、君だけの話じゃない。カズマ少尉の事もある。二人の技能向上も考えれば、こんな特例はそうそうないぞ。どうだろう?』

「むー……」

『単機とはいえ、フォックスにあそこまで迫れるパイロットは君くらいしかいない。だがチーム戦でその戦力を生かし切れないのはもったいないだろう。古い仲間と二人合わせれば、怖いものなし、そうだろう?』

「そう……そうですね」

 ハヤミはだんだん乗り気になってきていた。

『オペレーションには私の方から話しを通しておこう。中隊長たちも、ずいぶん楽しみにしていたぞ。それまでに、私たちテトラ小隊に負けないよう腕を磨いておけよ』

「もちろんですよ少佐! こんなミラなんかこてんぱんに……ん? ミラ、アトス少佐、テス曹長……とオレたち……三対二?」

『ハッハッハ。じゃあ、またあとでな、ハヤミ少尉』

「ええええええええええ!!!!????」

 アトス少佐の笑い声が無線から聞こえてくると、さっきとは違う雰囲気の笑いが混ざってきた。

『フフン。騙されたねバカハヤミ』

「あっき……み、ミラぁぁぁぁ…………この裏切り者ォ!!」

『敬称は?』

「ちゅ、中尉……ぃぃぃぃめぇぇぇぇ……」

『バーカ』

『ハヤミ少尉! 今度は自分も一緒に戦わせていただきます!』

「かっ、勝手にしやがれ新入りっ!!」

『へへへー』

 少しずつ離れていく三機編隊の飛行機雲が、白い雲ともやの中に消えていき、そのうち視界の中から消えていく。

 レーダーの円の中にはしばらく三つの光点が残っていたが、その光点も次第に遠ざかっていき、無線から聞こえる陽気な三人組の掛け合いは次第にノイズ混じりになっていって消えていった。

 ふたたび空域はハヤミだけのものとなったが、そろそろカズマが雲の下から戻ってくる頃だ。

 なのでハヤミは、とりあえずいるであろうカズマに声を掛けてみることにした。

「いるんだろ、カズマ」

 だが、カズマの影はまだ見えてこない。

『聞ーいーてーおーりーまーしーたーよーっ、ハヤミ少尉さーん』

 だが声だけははっきりと聞こえ、厚い雲の下から黒い機体、デュアルファングが雲をかき分けあがってくる。

『人のいない所でー、君はどうも大変面白そうな話をしておりましたなー』

「おっ、オレじゃない! ハメられたんだ!」

『少しはその足りない頭を使えッ! ったく、勝手に話を進めやがって』

 雲間から姿を現した黒い偵察機、カズマのデュアルファングがまたいつも通りの航路を飛び始めている。

 遠目に見て、ガラスの向こう側に足を組んでゲームをしているカズマの姿が見えた。

『いい加減にしろよハヤミ? ミラじゃないが、おまえ確かに前ばっかみてて振り向かないもんな』

「うー……そんなことはない」

『ほお? じゃあ少しは成長したのか』

「多少は振り返ることもあるぞ。あの頃の自分とかな」

『ほー人間的な成長の話しか。空戦の話しはともかく、おまえの人生観に関して、俺はノータッチだ。だが友として言っておくが、オマエはそろそろ成長した方がいいと思う』

「空戦の話しだけどさ、後ろから撃たれなきゃいいんだろ?」

『話をそらすなハヤミ。てめえ、朝から酔いつぶれたオマエをゴミ箱に回収しに行く俺の身にもなってみろ』

「あれ三角関数なんだよな。例えばオレがX軸上をまっすぐ飛んでいる直線だとするとサ、オレが飛んでる直線の斜め後ろからやってきた別の線が、コイツは敵機だ、前を飛んでいるオレの直線と交わる。直線と直線の交わる瞬間が撃たれる時間だとすると、オレとしては線同士が交わらない方がいい、敵にするとできるだけ交わる場所が多い方がいいわけだ」

『ほお?』

「成長したろ?」

 ハヤミは得意げな顔をした。

『基本中の基本だからなあ。それで、数学の続きをどうぞハヤミ大先生』

「普通は後ろからくる直線と混じり合う直前に、上か、下のほうに折れ曲がって回避する。線と線の交差する角度は、オレに言わせればできるだけ直角に近い方がいい。だが天才ハヤミちゃんは考えた」

『何を?』

「空は広い、空の高さは測れねえ、オレたちの空は机の上のグラフじゃない。人間はx軸上を高速で移動する点Pじゃねえんだ」

 しばらく得意顔でいたハヤミだったが、無線からは相変わらずぴこぴこと音が聞こえるし、カズマのやる気なさそうなため息が聞こえてくる。

『いや、ポエムはもう充分だ。はわーぁ……はーあーあ』

「そういや地上はどんなだったんだ?」

『何もなし』

 アークエンジェルはゆっくりと機首を回頭し、別の空域へ進むための航路をとりつつあった。

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