ヒムカザキハ

瑠璃ヶ崎由芽

第1話『あなたを失った日』

 それはいつもと何ら変わりのない、至って平穏な夕暮れ時のことであった。学校も放課となり、『篠崎しのざき風花ふうか』と『樫野かしの葉月はづき』はいつものように2人楽しく談笑をしながら下校するところであった。だが、2人がちょうど学校の正門にさしかかったところで、


「あっ、ごめんふーか! 私忘れ物しちゃった!」


 と葉月が突然思い出したように両手を合わせて風花にそう謝る。


「えぇー何忘れたのー?」


「宿題のプリント。帰るまでにある程度片づけとこって思って……そのまま机の中に入れっぱだわ……」


「ふふっ、いいよ。私校門で待ってるから行っておいで」


 まるでお母さんのように、優しく微笑み風花は葉月を見送る。葉月は申し訳なさそうに軽く謝りながらも、風花を待たせまいと走って校舎の方へと向かっていった。しかし、まさかこれが運命の引き金になろうとは、この時はまだ思いもよらない2人なのであった。


「――んー……?」


 それから風花が違和感を持ち始めたのは、葉月が教室へと向かってからしばらく経った頃のことだった。いくらなんでも帰ってくるのが遅すぎる。その間にも何十人という生徒が校門を過ぎてそれぞれの自宅へと帰っているというのに、一向に葉月の姿は見えては来ない。風花はそれに少しの不安を感じつつも、またどこかで道草でも食っているのだろうと考えて心を落ち着けていた。だがそれでも風花の頭には嫌なイメージがよぎっていく。でも、それはいくらなんでも考えすぎだろうと再び葉月を待つことにする風花であった。


「……まさか、ね?」


 だけれども、それからいくら待てども待てども彼女はやってこなかった。もう既に葉月が出発してから相当な時間が経過している。これはもう『道草を食っている』では片付けられなくなってきてしまっていた。これだけの時間遅れているのであれば、普通なら何かしらの連絡を入れるはず。ましてやあの葉月だったら、人を待たせてしまうようなら必ず連絡を入れてくるはずだ。風花はそう考えていたのだが、今現在それすらも一切ない。徐々に徐々にこの不穏な状況に、風花の心にはどんどんと不安の念が湧き出していく。それを打ち消そうと風花はまず自分の携帯を取り出し、直接葉月の元に電話を入れてみることにした。直接電話をかければ、葉月が今どこで何をしているかを聞き出せるし、なにより彼女の声を聞くことによって『安心』というものを得られる――と風花は思っていた、のだが……


「え……?」


 その願いに対して、返ってきたのは


『お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません』


 という摩訶まか不思議ふしぎな自動音声であった。まさかそんなことがあるはずがない。葉月の携帯が今になって急に使われていない状況におちいることはないはずだ。風花は葉月が今日だって携帯を普通に使っていたことは知っていた。ならば、この音声が流れてくるのはおかしい。いよいよ抱いていたわずかな不安がふくらみ、膨大となって抑えきれなくなってきてしまった。その不安を消すためにも、今風花が考えている最悪の事態が現実にならないようにするためにも、大急ぎで葉月のいるはずの自教室へと駆け出した。


「いない……」


 そして数分もしないうちに教室着くも、非情にもそこには葉月の姿は見当たらない。だがしかし、葉月の机の中を覗いてみると、なんと忘れ物らしきプリントが出てきてしまうではないか。それが葉月が言っていた忘れ物であると証明するかのように、プリントには葉月の字でいくつかの問題が既に解かれている状態であった。もはや顔が青ざめて、生きた心地がしなくなった風花はすぐさま葉月を探し始めることにした。まずはたまたま教室に残っていた友達の『檜木ひのき和彩かずさ』に話を訊く。


「え、葉月? いや、来てないよ……?」


 だけれども和彩を始め、他のみんなも口を揃えて同じような事を言っていた。一体全体どうなっているんだ。と頭が痛くなる風花。だけれどそれで諦めることはせずに、今度は教室を後にして校舎の中を探すことにした。まずクラスメイトの証言をもとにすれば、葉月はまだ教室まで来ていないということになる。そして、風花は校門のところで待っていたので葉月が来ていないのを知っている。ということはつまり、何もなければ葉月はまだ校舎の中にいると考えるのが妥当だろう。その理論で風花は葉月が行きそうな場所を手当たり次第に探していく。まずは近くの他のクラス、そして体育館に図書室、購買近くの自販機……と探していくが、葉月はどこにもおらず。その結果、不安をかき消そうとしているのにも関わらず、むしろ不安や心配がつのっていってしまう状況となっていた。これだけ葉月がいないとなると、もしかしてこれは葉月のおふざけで『忘れ物を取りに行く』と言いつつ先に帰ったのかもしれない。もちろん葉月がそんなことをする人ではないということは風花が一番知っている。だけれど、そんな風な現実逃避でもしなければ風花は心の平穏を保てないほど、不安や恐怖、心配にさいなまれていた。最悪の事態を想定すれば、万に一つ『誘拐』されたという可能性もありなくはないのだから。それからもその考えがいらぬ心配であると証明するために、風花は必死にあちらこちらへと探し回っていた。


「どこにも……いない……」


 だけれどそれでも葉月は見つからず、携帯にもう一度かけてみても繋がらず、ならメッセならどうだと送ってみるも既読にはならず。もう八方塞がりな状態となって、最後の1つの策に手を出すしかないほどに追い込まれていた。ただその策を使ってしまえば、事が大きくなることは避けられなかった。それは風花としてはそうしたくはなかったが、背に腹はかえられない。この状況をかんがみれば、致し方ないようだ。なので風花は渋々諦め、先生のいるであろう職員室へと向かうことにした。先生の手を借りれば、より大きい範囲で探すことができる。そうなればあるいは――と風花は淡い希望を抱いていた。ただその向かう道中も風花の心は黒く染まり、不安や心配、恐怖、絶望など様々な負の感情がひしめき合っていた。風花の足取りも、まるで亡霊のようにゆらゆらとして重く、『生』を失っていた。


「――何? 樫野かしのがいない……?」


 先生に事情を説明すると、少しあざ笑うかのようにしながら風花の言葉を決して信じようとはしなかった。たしかに、誰だって校舎の中で人が行方不明になるなんてまず『ありえない』と思うだろう。それは最初は風花もそう考えていた。だけれど風花がそれをそうかもしれないと信じるようになっていったように、先生にも電話の音声やメッセの未読などの状況証拠を見せいてくと、徐々にであるがその可能性があるかもしれないと疑いを抱くようになっていた。先生も風花と同じようにその疑いを晴らすために、クラスメイト全員に『今日の放課後、樫野を見なかったか?』という連絡を入れるが、結果は風花と変わらず誰もが『見ていない』という返答であった。その回答に先生も流石に『まさか』と最悪の状況を視野に入れなければならなくなってきていた。


「ただまだ、篠崎の早計そうけいかもしれない。とりあえず今日はもう帰りなさい。私の方で親御さんに連絡して、帰っていないのであれば警察に……となるだろう」


 先生はあくまでも冷静に、まだなにかの勘違いという可能性も捨てずにとりあえず風花を帰宅させるようにうながした。葉月を探している間に、もう時間は下校時間ギリギリになってきている。辺りも暗くなってきているので、風花までなにか事件に巻き込まれては元も子もないだろう。ただこれで先生が葉月の家に連絡を入れて、まだ帰ってきていないのであれば事態は事実なのだと確定してしまうことになる。それが風花には今にも不安で不安で気が気でなかったが、先生の指示に素直に従い、1人で下校することにした。



 その夜のこと。心配で落ち着いていられなかった風花ふうかの元に1本の電話が入る。その主は先生からであった。ついに来てしまったと風花は一度目をつぶり、深呼吸をして心を落ち着けて覚悟を決める。これでおそらく全てが決まってしまうだろう。葉月の安否が、この電話で決まってしまう。風花は恐怖で仕方がなかったが、勇気を出してその電話に出ることにした。きっと『葉月が見つかった』という旨の電話であると、願い込めて。


「篠崎……悪知らせだ……」


 その一言目を聞いた途端、意識を失いそうになるほど風花は絶望のどん底につき落とされていた。先生曰く『樫野はまだ家に帰ってきていない。親御さんも知り合いや友達に聞いて探しているが、まだ見つかっていない』という状況だそうだ。これは完全なる『行方不明事件』となり、警察に行方不明者届を提出して大々的に捜索されることが決まった。


「篠崎、そのー……何だ。私もこういう状況は初めてだが、大丈夫だ。きっと、きっと見つかる。信じろ、信じてやるんだ」


 先生も先生で初めての生徒の失踪しっそうという現実を目の当たりにして、まだ戸惑っているような感じだったが、先生として風花をはげますようにそんな言葉を投げかける。


「はい……」


 それから警察の捜索が開始され、ニュースでも取り上げられるほどの大騒ぎとなってしまった。特に、校内で行方不明となっているという奇怪きかいな状態なこともあり、また本人に全く家出や自殺の兆候ちょうこうもなかったことから、校内での誘拐や拉致らちを視野に捜査は動いていった。だけれど、風花と同じようにどれだけ人員を動員して街の人たちや学校の関係者が協力して探しても、樫野葉月はどこにもいなかった。はたして一体樫野葉月はどこへ消えてしまったのだろうか。校内に侵入者でもいて、葉月が誘拐もしくは拉致の被害にあってしまったのだろうか。もしくは何かしらの事故に巻き込まれて、今もなお簡単に発見できない場所で生死のさかい彷徨さまよっているのだろうか。真実は未だ闇の中に埋もれたままであった――

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