第25話 逃げる二人、追う軍団

 背の高い草むらを走り抜けると、そこは見渡す限りの草原だった。草原の向こうからは、潮の香りがする。草原の向こうは切り立った崖なのだろう。草原を抜けて、海に向かう崖を降りてしまえば、騎馬軍団は追ってこれない。


「良し! 今が絶好の機会だ!」


 優香と新之助は、背の高い草むらから抜けて、草原を一気に駆け抜ける。


 と……


 パン!

 パン!

 パン!


 乾いた銃声が草原をこだまする。


「う!」

 先頭を走っていた新之助が、一瞬うずくまる。


「新之助様!」


 優香が新之助の腹を見ると、腹の部分がうっすらと裂けていて、そこから血が滲み出していた。


「大丈夫だ、優香。かすり傷だ、弾は身体に入っていない」


 新之助は、打たれた傷口を手で押さえながら言った。


「しかし、アイツら。優香が一緒に居るのに撃って来やがった。あのサムライの指示だな! 優香を連れ戻せないならば、と、殺す方に目的を切り替えやがったか? オレの命だけでなく、ドサクサに紛れて優香も亡き者にするつもりなのか?」


「新之助様、少し黙って下さいませ! 今、傷の手当てをしますから!」


 優香はそう言うと、新之助の腹に手ぬぐいを当てて、自分の腰紐を外して手ぬぐいが落ちないように縛り付けた。


 新之助達は上手く騎馬軍団を巻いたつもりだったのだが、実は見晴らしの良い平原に誘い出されていたのかと思われた。しかし騎馬軍団の追跡は、新之助達を誘い出すための動きではなかった。

 流石にイエヤスの正規軍、一万人の軍団は伊達ではなかったのだ。あらかじめ一万の軍勢をいくつかに分散し、新之助が優香を奪い取った時に十重二十重の罠が発動するような準備を施していたのだった。

 新之助も、追い詰められて初めて正規軍一万人の恐ろしさを実感していた。


 正規軍には名のある軍師が付いているのだろう。新之助たちの逃走手段を予め予測し、必要な兵士を要所要所に配置していた。そして新之助と優香は、そのうちの一つの罠にまんまとハマってしまったのだった。


 しかし、だからといって、彼らもここでひるむ訳にはいかない。何とか崖まで行って、崖を降りてしまえば、軍団も追ってはこれない。

 鉄砲隊も数か所の罠に分散して配置しているために、彼らを狙っている鉄砲隊の鉄砲の数も限られていた。


 彼らがこのまま姿勢を低くしていれば、先ほどのように鉄砲の弾には当たらないだろう。しかし、すでに彼らがココにいることは早馬でイエヤス軍団の本陣に届いていた。分散した一万の軍団がココに集まるのは時間の問題だった。


 新之助と優香は、体を低くして、なるべく相手に見つからないように、密かに進み始めた。


 パン

 パン

 パン


 ヒューン

 ヒューン

 ヒューン


 新之助と優香の頭上を鉄砲の玉が飛んでいく。さっきは油断して鉄砲の玉を食らったが、落ち着いて行動すれば、鉄砲隊の人数も少ないので簡単には当たらないようだ。それに日もだいぶ傾いてきて、鉄砲も狙いにくくなっていた。


 二人は、出来る限り低い姿勢で、草原のところどころに生えている草を盾にして、少しずつ、崖に向かって進んでいった。

 潮の匂いがドンドン強くなってくる。あと少しで、崖に到着する。


 しかし、新之助と優香は、突然現れた武士の集団に行く手を阻まれた。鉄砲の弾を避けるために、二人の歩みが遅くなったのを読まれてしまったようだ。

 新之助は、二本の刀を起用に使って、行く手を阻む武士達を倒していく。彼らの足や肩に得意のミネウチを行い、手負いにするのだ。


 殺してしまうと誰も見向きもしないが、一人の手負いを作ると、その負傷者を連れていくために、最低でも一人、運が良ければ二人の人間が戦えなくなる。新之助が数多くの戦で学んできた技術だ。


 それにこの技の有利な点は、自分の刀が血糊ちのりで切れなくなるのを防ぐことが出来るのことだ。一人ならまだしも、複数人を切ると、刀には血糊が沢山付く。こうなると、刀を変えるか、布で血糊を拭きとらなければ続けて戦えなくなる。


 そして一番の理由は、これ以上の殺生を新之助自身したく無いと思っているからだった。ずーっと前からそう思って、戦いでも大将の首しか落としてこなかった新之助だが、優香の父を切ってから、その思いは更に強くなっていた。

 別に、不死人では無いのだから、手足の一本でも折って、戦闘力を奪えば、戦自体は終わるはずだと思っていた。


 新之助の戦法は的を得ていた、前方にいた数十人は、新之助の一太刀でどんどんと倒れて行く。さすが手負いとはいえ、全盛期には三河の野獣と言われた刀のウデは衰えていなかった。そうやって前方の敵をあらかた倒したら、空いた隙間を優香と共に走り抜ける。


 崖は海に向かって緩やかに登っている。そこを、優香を守りながら、周りから襲ってくるサムライ達を倒しつつ登って行く。しかし、新之助の足は既に限界に来ていた。傷口は開き、ながれる血は新之助の足袋を真っ赤に染めていた。


――― あの崖の向こうにある、崖を降りるための急峻な小道を降りることは出来ないかもしれない。でも、優香だけは崖から降ろしてやらなければ。俺の全身全霊を込めて! ――― そう思いながら、最後の力を振り絞って、新之助は崖を登りきった。


 これで眼前に見える急峻なくだり坂を降りさえすれば、さらに逃げる時間を稼げるのだ。崖の急峻な道では鎧をまとったサムライは進めないからだ。


 そう思って、新之助はほんの一瞬だけ気を緩めた。そこに、一斉に鉄砲が降り注いだ。


 パンパン

 パンパン

 パンパン


「うわぁー!」


 ガラガラ、ガラガラ!


「新之助、様ー!」


 新之助の足元が突然崩れて、よろけた新之助は崖から真っ逆さまに落ちて行った。崖の下は、すでに夕闇に紛れてほとんど何も見えない。

 耳を済ませても、大きな波の音しか聞こえない。まるで、全ての時が止まったように静寂が辺りを支配した。


 ……


 優香は、放心したように崖の下をしばらく見続けていた。そして、優香の周りを取り囲んでいるサムライ達を、本当に哀しそうに、ユックリと見渡した。


 松明をかざしながら、優香を囲んでいる武士達は、優香の姿を見ながら一歩も動けなかった。


 海から吹いてくる潮風で、優香の髪と着物は大きく揺れていた。そして優香自身の体も小刻みに揺れているように見えた。


 それから、決心したように、胸元から取り出した自決刀を、優香はユックリと自分の喉に刺して……、崖から身を投げた。



 ***  ***  ***



――― 一体どのくらい経ったのだろう? 身体中が痛い。――― 新之助は、海女達が使う海辺の作業小屋で目を覚ました。


「あ! 目を覚ましなさったか」

 新之助の意識がもどったのに気が付いた海女の一人が声を上げた。


「海に突き出ていた岩に、辛うじて引っかかっていたのを見つけて、ここまで連れて来たんだ。お前さん、カラダは大丈夫か?」

「一体どうなさったのだ? あんな海の中で」

「お名前は? なんというんだ」


 海女さん達に、代わる代わる質問されたが、新之助は何も答えられなかった。


「俺は誰だ? 何をしていたのだ? 分からない、何も覚えていない!」

 新之助の記憶は完全になくなっていたのだった。

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