第16話 父の仇

(新之助様が、私の父を斬った? 新之助様は、私のカタキ? でも、新之助様は私をイエヤスの魔の手から救ってくれと、父から頼まれたと言っていたけど、それは嘘なの?)


 優香の心の中は、混乱で大きく揺れていた。


(ちょっと待って、優香! 今の話は、新之助様をたぶらかそうとした、悪い人達の捨て台詞でしょう? きっと、悪い人達の嘘にきまっているわ。そういう混乱を招く嘘をを私に教える事で、私を新之助様から遠ざけようとしているんだわ! きっとそうよ! そうに決まっている。とにかく、新之助様に、本当の話を聞きましょう。ね? 優香)


 優香は、混乱しながらも馬から降りた。そして呆然としている新之助の正面に立って、新之助の目をシッカリとのぞき込みながら問いかけた。


「新之助様、先程の女達が誰の手先か? 今は問いただすつもりはございません。しかし改めて本当のことを教えて頂けますか? あのモノ達が言い放った言葉は本当なのですか? わたしの父を殺したのは新之助様なのですか? わたしの目を見て答えて下さいませ」


 新之助は、優香の食い入るような視線がいたたまれずに、つい目を逸らして答えた。


「優香様、すまない。あいつらの言った事は嘘じゃなあい。お前のお父上を斬ったのは、確かに俺だ! 今まで、黙っていて、本当に申し訳なかった。あの時、城の中で自決用の短刀で、優香様が刺そうとしたのは、正真正銘、この俺だったのだ。俺は、優香様の一刺しを避けて、優香様に当身を加えたんだ」


 一思いにそこまで言ってから、改めて優香の目を見ながら話を続ける。


「しかし、優香様の父上から『娘をイエヤスの魔の手から守ってくれ』と頼まれたのも嘘じゃあない! これも本当の事なのです。俺は、優香様をイエヤスの手から守るために、城から連れ出した。あのまま、あそこにいたら、イエヤスに雇われた軍団の手によって、さらわれる事は明白だったんだ」


 優香は新之助の目をシッカリと見ながら、新之助の話を一言も聞き漏らさないように聞き続ける。


「実は、俺もその軍団の人間だった。しかし、俺は城主である優香様の父上から、死にゆく者の最後の言葉として、最後を看取ったものの責任として『優香様を守る』と約束したのだ」


「イヤ! イヤ! イヤ! そんな言葉、聞きたくない!」


 優香は、自分の耳を押さえながら、混乱した状態で新之助の傍から離れた。


 優香の心は混乱していた。


(さっきまでは、新之助様に一生お供するつもりでいたのに。新之助様の股間の膨らみまで、気にしていたのに。昨日の夜、私の裸までさらしたのに。これらの事は一体何だったの? 私の一生は、これからどうなってしまうの?)


 新之助は、耳を押さえてうずくまってしまった優香に向かって静かに話し続ける。


「優香様、とにかく聞いてくれ! 俺が、優香様の父上を斬ったのは事実だ。そして、その事を隠していたのも事実だ。でも、嘘をついていた訳ではないんだ。優香様が直接『父を斬ったのはあなたですか』? と問うてもらえば、俺は正直に『はい』と答えるつもりだった。そして、その上で、どんなことをしても優香様をイエヤスの手から引き離す手段を講じれば良かったんだ。しかし、実際には優香様の曖昧な質問を利用して、辛い現実から逃げたんだ。それは俺の心の弱さでもあり、人として恥ずべきことだと思う。本当に申し訳なかった」


 新之助が一通り話し終えると、耳をふさぎながらも、それを聞いていた優香がゆらりと立ち上がった。優香の視線は宙を見ているように定まっていない。


「新之助様、分かりました。新之助様が私の父の仇である事には間違いないんですね……」


 優香が新之助に声をかけ終わる寸前に。


「それでは、お命頂戴つかまつるーっ!!!」


 そう言いながら、優香は胸元に隠し持っていた自決用の短刀を素早く取り出して、両手でしっかりと握りしめ、新之助の腹に向かって一気に突き進んだ。


「う!」

 新之助は、うめき声をあげた。


「新之助のうめき声を聴いて、優香は新之助の腹に刺さっている短刀の握り柄から手を離し、青ざめた顔をしながらゆっくりと後ずさった」


 しかし、優香が短刀から手を離した刹那、短刀はゆっくりと地面に落ちた。


 カラン、


「え?」


 優香は驚いた。

 短刀をしっかりと握りしめ、新之助の腹に向かって全力で突っ込んでいったのだから、短刀は新之助の腹にしっかりと刺さっているはずなのだ。優香が短刀から手を放しても、短刀は新之助の腹にささったままだと思っていた。


 新之助は、優香が短刀をさした部分の腹を抑えて、止血のための塗り薬を腰の革袋から取り出した。そしておもむろに服を脱いで、小さな傷口に塗り始めながら言った。

 新之助の腹は金属の鎖でぐるぐる巻きになっていたのだ。


「優香様、俺は今回の戦いに備えて鎖かたびらを体に巻いているんです。だから、優香様の一突き程度では、致命傷にはなりません。もしも優香様が俺を父の仇と思って、殺したいのであれば、一度俺と里に入ってください」


 新之助は、振り返って里の方を一度見た。

 新之助の姉は、その間ずっと二人の様子を見守っている。


「俺が里に入って、戦う道具をしまって隙だらけになった時に、俺を刺し殺してください。それで優香様の気が済むなら、俺も満足に死んでゆきます。でも、俺は簡単に隙を見せませんから、優香様もそれまでは、里の中で一生懸命に生きてください」


 新之助は、傷口に薬を塗り終わってもう一度服を着なおす。服には優香が刺したときに生じた傷から出血したであろう血が少しだけ滲んでいた。


「里の者は、皆、何かの理由があって逃げて来た者ばかりです。だから、里に逃げて来た者に対して、過去の話を無理に聞き出したり、詮索するような者はおりません。ですから、死んだ父上様の遺言だと思って、俺と一緒に隠れ里に入ってください」


 そう言って、新之助は腹に刺さらずに地面にぽとりと落ちた、優香の自決用の短剣を地面から拾い上げて、優香に差し出した。

 優香も、混乱しながら、差し出された短刀を受け取ると、短刀の先に付いている新之助の血のりを和紙でていねいに拭いてから、短刀筒の中に戻した。


 今までは好意を持っていた新之助が、実は父の仇と知ってしまった事で、『可愛さ余って憎さ百倍』の状態になった優香が、新之助の横に立って背伸びして、新之助をにらみつけて言った。


「お前の言いたい事はよくわかった、新之助! これからは、お前を父の仇として追い続けます。お前はこれから、一生隙の無い生活をしなければなりません。ちょっとでも、隙を見せたら、私のこの短刀でお前の息の根を止めてやる! そのために、私は、これからいつもお前の傍にいるからな! 分かったか!」


 今まで、そばで二人の会話を聞いていただけの、新之助の姉であるおイチは、優香に言った。


「そうと決まれば、話は早い。ここは、里の入り口だけど、本当の里は、もう少し奥まった場所にあるんだ。ここからは、里の人間しか入る方法を知らないのさ。優香さんって言ったっけ。あんたは、私の馬に乗りな、私が馬を引いてやるから。もう、新之助の馬になんか、乗れないだろう?」


 そう言って、おイチは自分が乗って来た馬から降りて優香の方に歩いていく。


「新之助、あんたは罰として、その馬を私に貸して。あんたは、走って、あたし達について来るんだよ。分かったかい。大体、女を泣かせる奴は、あたしは大嫌いなんだよ! それがたとえ弟のお前でもね……。いや、違うな、実の弟だからこそか」


「あの、お姉さま! 私は泣いていませんが……」


 おイチの弟に対するあまりの剣幕に、少し我に返って冷静になった優香が、新之助を擁護するように言った。


「そんな事無いでしょう? 私には、あなたの混乱ぶりが手に取るように分かるわ。たとえ涙が出ていなくても、それは、女を泣かせたのと同じ事です!!! ごめんなさいね。馬鹿な弟の代わりに謝ります。こんな弟に育ててしまって、本当にごめんさない」


 おイチは、優香を自分が乗ってきた馬に乗せる手伝いをしながら、頭を下げた。


 優香は、おイチの言葉に少し救われた気がした。さらに、これからは父の仇をとるという、新しい目標が出来たことで、明日も生きられると思うようになった。こんなところで悲しみに打ちひしがれている場合ではない。父の仇が目の前にいるのだ、これは頑張って生き抜くしかない、と思った。


 新之助は、しかたなく、自分の乗って来た馬を、おイチに差し出して、2頭の馬の横を走り始めた。


「もー、ねえちゃん怒ると怖いからなー」

 新之助は、走りながら文句を言う。


 でも、結果的に、優香姫の混乱をうまく収めてもらえた事になるかな? よかった、よかった。とにかく、これで優香姫を隠れ里にかくまうという、最初の計画通りにすすんだ事になるよな。

 城主様、あなたの遺言は確かに守りましたよ。後は俺が殺されればいいのかな?

いや、それは城主様の遺言にはなかったしな。俺は、隙を見せないで、優香姫とこれから一生を生きるのか?


 走りながら、姉の的確な対応に感謝しつつ、こっそりと独り言を言う新之助がそこにいた。





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