第6話 オド 

 オドは優しい。カノエの優しい父で、グラーネの優しい夫だ。

 眼帯をしていない片方の目で、いつもカノエに温かい眼差しを注いでくれる。

 一日の仕事を終え、城塞から帰ったオドは、カノエと風呂に入ってから、グラーネの作った食事を堪能した。

 オドは寡黙だが、酒を飲むと饒舌になる。

 諸国を流浪していたオドは、グラーネと結婚して集落に受け入れられるまで、様々な経験をしたという。

 その夜、オドは食卓を囲むカノエとグラーネに、とんでもない剣技の持ち主や、珍しい物を食す人々や、変わった家に住む人々のこと等、色々な話をした。

 砂漠を越えて訪れた国の、鮮やかな服を着て踊る娘達の話をするオドの傍らで、カノエはオドの話す光景を頭の中で思い浮かべた。

 そのうち、眠気が押し寄せてきて、カノエは目を擦った。

 オドが気付いて、床に入るようにカノエに言った。

 カノエは頷いたが、もうすでに半分寝入っていて、すぐには体が動かない。

 オドはカノエを抱いて、席を立った。

「重くなったな」

 父の言葉に笑みを返すくらいはできたし、グラーネが呆れているのはわかる。

 寝室に入ってベッドに降ろされて、よく干された布団から昼の残り香がした。

 今日はロシスが旅の疲れを取るために自宅で休養をしているので、小姓のサウスは少し暇ができ、リリアの話相手をしにイサイ家に赴くまでの間、遊んでくれたのだ。

 裸足になって冷たい小川に入ったり、溜池の鴨に餌をやったりした。

 サウスが小姓になる前は毎日遊んでいたので、つれないサウスを不満に思っていたが、令嬢の相手をする仕事を仰せつかってからは彼の気持ちがわかるようになったカノエだった。

 寝床に入ってから、カノエは今日の出来事を夢見ていた。

 息子の幸せな寝顔を眺めてから、オドが去ろうとしたその時だった

 家の外で草を踏みしだく音がして、オドは神経を研ぎ澄ました。 

「動物のものではない。グラーネ。カノエと一緒にいろ」

 オドがただならぬ様子なのでグラーネはすぐさま食卓を離れ、カノエの側に来た。

 妻と息子を寝室に置いて、オドは帰った際に戸口に立て掛けたままの剣を取って外へ出た。

 外は闇夜だった。月が雲で隠れている。

 オドが家の周りを注意深く見回している時、闇の中からいきなり何者かが斬り掛かって来た。それも二人だ。

 敵の剣が到達する寸前、オドは身を翻し、即座に斬り倒し、返す刀でもう一名も斬った。一連の動作は、敵に苦鳴を上げる間も与えないほど鮮やかなものだった。

 雲が風で流され、月明かりが敵の死骸を照らした。死骸は男で、集落の者ではない、よそ者だった。刺繍の入った衣服の形状や色彩は、この辺りの者が着る装束ではない。

 家の奥で窓ガラスが割れる音とグラーネの悲鳴が上がり、オドは急いで家の中に戻った。

 寝室を襲撃したのは、先ほどオドが倒した男の仲間のようだった。複数いる。

 カノエは物音で目を覚ました。

 寝室の窓ガラスは割れ、グラーネが悲鳴を上げてカノエを抱き締めている。

 何が起こったのかわからないまま、カノエは怯えた。

「オド、オド!」

 助けを呼ぶと、オドは寝室のドアを蹴って駆け込んで来た。

 オドの怒声と相手の男達の声が入り混じって、カノエは恐怖で一杯になり、部屋の隅に逃げたグラーネの腕の中で震えた。

「怖いよ、グラーネ、怖いよ!」

 月が雲に隠れて再び薄暗くなった部屋の中で、剣が交わる金属音と、血の匂いがした。

 しばらくして、寝室はもとの静けさを取り戻した。

 カノエはオドが無事であることを祈りつつ、顔を上げた。グラーネは意識を失って壁に凭れていた。

 振り返った青白い寝室には、一人の男が呼吸を弾ませて佇んでいた。オドだった。

 カノエは血溜まりの床をふらふらと歩いてオドの元にたどり着いた。

 戦闘中に後からぞくぞくと窓から入って来た侵入者は全部で十人だった。オドの周りで全て絶命していた。

「怪我はないか?」

 カノエはオドの腰にしがみ付いて、震えながら頷いた。

 オドはカノエの頭を引き寄せて、良かった、と呟いた。

 物音を聞き付けて、近所に住まうサウスが割れたガラスの窓から顔を出した。

 漂う血臭と明かりに照らされた死体を見て、サウスはすぐにただ事ではないと悟った。

「おじさん、おばさん、カノエ!?」

「俺達は無事だ。襲撃された。盗賊かもしれん」

 オドは暗闇の中で返事をした。

「城に行って知らせてくる」

 言うと、サウスは城塞に人を呼びに走って行った。

 やがて夜が明け、惨劇は陽の光の下で生々しさを浮き彫りにさせた。

 カノエの家の壁や床はそこら中が血に塗れていた。  

 サウスらの知らせを受けて、城塞から検分に訪れていた将軍のロシスが死体を外に運ばせた。

 カノエの家を襲った者達は、彼等が着ている装束や紋章、家の裏手に停められてあった荷車から、遠方の地で悪名を馳せる盗賊団の一味だということがわかった。

 夜襲の恐怖で失神していたグラーネは、集落の女達から居間で介抱されている。気が付いたが、まだ青い顔をしていて、身動きが取れない様子だ。

 カノエはロシスからの尋問に答えるオドから離れなければならず、心細さで一杯になった。

 水を流したが、まだ家の中に充満している血の匂いから離れようと、家から飛び出して丘を下り、小川のある場所まで行った。

 気分が悪くなって吐き気を催して嗚咽していた時、サウスがやって来た。

 カノエの背を擦ってから、サウスは自分の手拭いを水に浸した。

「お前血とか苦手だよな。ちょっと横になれ」

 言われるままに芝生の上に胡坐をかいたサウスの膝に頭を載せて芝生の上に横になると、冷たい手拭いを額に載せられた。

 サウスが皮肉めいた顔で見下ろしている。

「俺の母さんだったら一番に子供を気にするだろうけど、倒れちゃしょうがないからな」

「グラーネのことを悪く言わないで……あんなの、誰だって……」

 サウスはそうだな、と口だけ肯定して、後は何も言わなかった。

 背後から小さな馬のいななきと足音が聞こえて、サウスとカノエは振り向いた。

 馬の手綱を取るもう一方の手で金糸で織られた王旗を翻し、徒歩の下僕と共に黒髪をなびかせて丘を降りて来た麗人は、王の帯刀と直属軍の将軍職を兼任するレフィーラだった。

「こ、これは、レフィーラ様」

 サウスが恐懼して立ち上がったので、膝に頭を載せていたカノエは弾みで芝生に転がった。

 サウスに倣ってカノエも立ち上がり、馬上のレフィーラを見上げた。

 レフィーラはあまりにも整い過ぎて、人間だろうかと疑うほどの美しさだった。

 青空と緑の芝生の間に在りながら、彼女からは全く生命の息吹が感じられず、カノエは当初不安になったが、僅かに憂いを含んだ澄んだ青い瞳に救われた。

「アルジェ王より伝令を申し付かり、参上しました。キラト家のカノエ。家が襲撃されたとか。お見舞い申し上げます」

 レフィーラは事務的な口調で言いつつ、カノエを興味深そうに見つめた。

「此度の事件は、お前達の過失によるものではなく、この地に住む我々全体の問題です。王より仰せつかり、見舞金をお預かりしてきました。壊れた家屋の修繕に充てよとのことです」

「ありがとうございます」

 傍らの下僕から差し出された風呂敷包みをオドに代わって受け取り、カノエは礼を言った。

「顔色が真っ青ですね。怖かったですか?」

 今度は少し優しい口調でレフィーラは訊いた。

 カノエは咄嗟に声が出なかった。

 怖かったも何も、オドとグラーネが無事だったからよかったものの、下手をすれば皆殺しにされていたのだ。

「命が助かったのは父親がいたからです。さっきお前の家に立ち寄りました。賊の死骸はもう運び出された後でしたが──ロシス将軍の話によると、全部で十二人いたそうです。ほとんど即死で、両断された者もいたとか。とても一兵卒の手並みとは思えません」

「オド……父は……諸国を流浪している間に……えっと、鍛えられたと言っていました」 

「我が軍に欲しいものです」

「ロシス様からも言われてたけど、おじさんは勤務時間の都合で断ってるんだよな。家庭が大事だから」

 口が回らないカノエに代わって、サウスが言葉を添えた。

 レフィーラは呆れ顔で肩を揺らした。

 そうしているうちに陽が登り、検分が終わったオドが爽やかな風と共に少々疲弊した様子で丘を降りて来た。 

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