第3話 リリア

 カノエの家は貧しく、オドの働きだけでは生活が苦しかった。

 カノエの母のグラーネは、交流のある王の側近、ロシス将軍の家に願い出て、カノエをそこの娘リリアの遊び相手として雇ってもらった。

 ロシスは名門イサイ家の長子で、集落で一番の大男で、短く刈り込んだ銀髪と水色の瞳の美丈夫だ。

 リリアはロシスの大勢いる弟妹の末の妹で、族長の妃候補の娘だ。十二歳になる。イサイ家の者の特徴を受け継ぎ、銀髪と水色の瞳をしていて、武人の兄のロシスに似て柔和な面立ちの中に凛とした美しさがある。生まれつき足が弱く、ほとんど家に閉じこもっている。

 オドを送り出し、グラーネの洗濯の手伝いが終わった昼過ぎ、カノエはイサイ家に向かい、リリアの話し相手をした。

 各所で私兵が見張る木造の豪奢な屋敷の中、壁に緻密な織の絨毯が飾られた広い部屋の窓際で、リリアは安楽椅子に腰掛け、床の円形の敷物の上に座るカノエの話を聞き入っている。

「──森の中で迷ってしまって困っていたら、アルジェ様が現れて、お助けくださったのです。迫り来る怖ろしい怨霊を吹き飛ばされて……」

 カノエの話を聴いていたリリアは、婚約者の聞いて、ふいに瞼を伏せた。

 睫毛も銀色なのだな、とカノエは感心した。膝の上のたおやかな白い手も壊れそうな氷細工のようだ。ロシスはこの美しい妹をとても大切にしていた。

 カノエもまた、侍女に囲まれて散歩中のリリアを初めて見た時から、このお嬢様の世話をしたいものだと思っていた。

 近付くことも許されまいと諦めていた雲の上の存在だったが、ふとしたことから遊び相手として仲間に加えてもらえて、嬉しかった。

 カノエの母グラーネはロシスに恩義があるらしい。詳しいことは話してくれないが、そうしたことから、この仕事が舞い込んだのだ。

 睫毛に隠れたリリアの水色の瞳には鬱々とした色が滲んていた。

「どうかされましたか? 俺、何かいけないことでも……」

 心配になって、カノエは訊いた。何か気に障るようなことを言っただろうか。

 リリアは首を横に振る。

「お前が悪いのではないの。父様も兄様も、私をあの方の元に嫁がせるおつもりだけれど、私の足の弱いことをまるでお考えになっていらっしゃらないから……」 

「それは、お嬢様のご結婚にはそれほど深刻なことではないからですよ。お屋敷には多くの人間がいるし、俺もいるじゃないですか」

「そりゃあ、家の者を連れて行くのなら、不自由はないかもしれないけれど……不安は尽きないわ」

 いつの間にか夕暮れになり、窓から寒気が流れ込んできて、侍女がリリアに上着を羽織らせた。

 屋敷の雨戸を閉め始める音がそこかしこに響いた。

 リリアの屋敷では、大勢の者が働いている。城塞に仕える者ほどの人数がいるという話だ。

 リリアに着せてから、侍女はカノエの方を振り向いた。

「カノエ、そろそろお嬢様の入浴のお時間だから、お前はお帰り」

「今日はよしておくわ」

「あら、何故ですの?」

 リリアは侍女を手招きし、小声で彼女の耳元に何か告げた。

 侍女は耳を澄まそうとしたカノエを目で制して令嬢の言葉に頷いて去って行った。

 リリアはカノエの方を向いた。

「カノエ。そこのお菓子を持って帰りなさい」

「うわあ、いいんですか?」

 実はこれもカノエの愉しみの一つだった。

 テーブルに載った菓子は令嬢の為に用意されたものだったが、リリアは飽きているのかあまり手を着ける日はなく、大抵カノエに下げ渡されるのだった。

 蜂蜜がふんだんに使われている焼き菓子であったり、飴だったりする。

 今日の菓子は蜜が載っている小さなケーキだ。

 早速カノエは菓子の下に敷かれていた紙に包んだ。

 リリアはカノエの喜々とした様子を眺めて目を細めた。

「お前の冒険譚を聴くのと、喜ぶ顔を見るのが、私の最近の愉しみ事の一つよ。本を読んでも、竪琴を奏でてもつまらないと感じていて……お前が来てくれて、随分気持ちが上向きになってきたわ」

 カノエはどういう返答をしたらいいのか、わからずに困惑した。

 沈黙の後、カノエは挨拶した。

「それではお嬢様、また明日」

 屋敷を後にしたカノエは、丘を駆け降りた。

 家にたどり着く途中で、オドと合流した。今日は半日で帰ると言っていた。

 抱き付いたオドは汗の匂いがした。

 家に着くまで、カノエはオドに午前中にグラーネと洗濯をしていて、誤って洗濯物を川に流しそうになったことや、リリアからもらった菓子の話をした。

 帰ると風呂の支度ができていて、オドとカノエは湯舟に浸かって話の続きを語り合った。

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