鏡2

私達の身辺の整理が終わると、ご主人様はこれからの逃走路を地図でもって示してくれた。私達が今まで住んでいたのはフランス、マルセイユで、目の前にある地中海を通ってアフリカ大陸を目指す。そこから、中東を抜け、インドに至る。道中では、共に仕事をしていた人達が協力してくれると、ご主人様は言った。

そうしてその日。私とご主人様は、僅かな荷物と多量の現金を持って家を出た。その時、街はまだ暗く、日はまだその額を僅かながらに曝け出したに過ぎなかった。

ゆっくりと、しかし着実に前へ進みながら、ご主人様は私に問う。

「青薔薇。夜の街は如何かな」

 私は言った。

「私の生まれたあの場所と同じぐらい暗くて、冷たくて、湿っぽくて……でも、とてもわくわくします」

「夜は誰も外に出ないんだ。寂しくはないかい」

 私は答えた。

「私をアクターだからと白眼視する人達が居ないというだけに過ぎません。それに……ご主人様が居ますから」

 ご主人様は私の言葉を聞くと、その顔に微笑を浮かべてくれた。

そうした夜の会話の後に私達は地中海を渡り、北アフリカから陸路でユーラシア大陸へ向かう。地中海沿いの北アフリカ国家ではアクターの存在そのものが許されていないので、露出を極力減らすことの出来るイスラム教のヒジャーブを身に纏うようになった。そしてこれはしばらくの間、私にとっての正装となった。

中東では戦争の爪痕がそこかしこに残り、そして現在も作り続けられていた。故に、その移動も大半は車で、現地武装勢力の路肩爆弾の誤作動等により、度々足止めを受けることとなる。しかし、そのような状況にあっても私は内心、嬉しくてしょうがなかった。その隣にはご主人様が居て、私は彼に守られていて、彼は支配するどころか、まるで宝石を取り扱うかのように、私を大事にしてくれたからだ。

私達は数週間の時間をかけて、砂漠の紛争地帯を抜けた。ご主人様の仕事仲間だったという武装勢力人員の車から降り、鉄道でインドにおける目的地、バラナシへと向かう。

インドの鉄道には常に人が沢山乗っていて、一部の人は列車から身体がはみ出てしまう始末で、仕事の関係上私よりもずっと旅行慣れしているはずのご主人様ですら参ってしまうような状態だった。

石細工やビーズアートの如くみっしりと人の乗ったその列車の中で、ご主人様は言った。

「今までの旅の中で、ここまで気分が悪くなったのは初めてだ」

「私は、死なないだけマシだと思っています」

 目の前に立つ色黒の男性が奥から押し出され、その全体重がかかった瞬間、私は自身の発言を撤回しようとしたが、状況は私に口を開くことすら許さなかった。

列車での移動はこのような不便が伴う上に、時間もかかる。しかし、この混雑こそご主人様が望んでいたもので、こういった空間に身を置いて移動することで、ご主人様を追う国際的な組織の目を欺くことが出来るのだ。もっとも私は、ご主人様の追っている組織というものがどういったものなのかを一切知らない。ご主人様はそれについて口にすることはない。しかし、私は内心それがどういったものなのか想像はしていた。

きっと、あの動画が関わっているんだろう。そして、あの動画に関する何かが彼の仕事で、それ故に彼は追われているのだろうと。

不思議な話だが、私はご主人様があの動画に、アクターを楽しんで惨殺するという悪徳に加わっていて欲しいと願っていた。誰かを殺したとか、詐欺をやったというような『人間的』な犯罪は、彼には似つかわしくないと、そう考えていた。

何故だろうか……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る