青ざめる薔薇

文乃綴

奇跡

き―せき【奇跡/奇蹟】の意味

Ⅰ・常識で考えては起こりえない、不思議な出来事・現象。

 Ⅱキリスト教など、宗教で、神の超自然的な働きによって起こる不思議な現象。







どんな偉大な発明も、最初は奇跡と呼ばれ、賞賛される。疲れを知らない馬車があったら、鳥のように空を飛べたら、魚のように海の中を往くことが出来たなら……奇跡は作り上げられていった。

そして、どのような偉大な発明も、奇跡と呼ばれた後には、産み増やされ、高性能化され、小型化され、市場流通の波に乗って世界に運ばれる。小さく梱包されたそれは、人々の歓声と同時に、断末魔の叫び声をも生み出していった。それらは全て、奇跡の成果であった。

ここにもあるのも、そういった偉大で悲惨な奇跡の成果の一つだった。除菌された空間が放つ不健康な匂いがする、薄暗い照明の部屋の中にはプラスチック製のショーケースがずらりと並べられている。ここは、奇跡の販売所。ときに高く、ときに安く奇跡を売り払う場所。

そこに、一人の男が現れた。この店の客である。

「いらっしゃいませ」

 店の者は明るい態度で客に挨拶をする。それを見る黒いトレンチコートを着た男は、何も答えぬまま店の中へと入る。

「……売れているようだな」

 売約済みの札が貼られ、もぬけの殻となったショーケースの前で、男はそう言った。

「ええ、お陰様で」

「このままだと、私の買う分はないんじゃないか」

「いえいえ、そんなことはありません。まだまだ、それこそ『彼女』たちは無限に作ることができますゆえ」

 そう言って店の者は、男を追い越し、別の商品のショーケース前に立つ。

「これなんぞはどうでしょうか」

 ショーケースの中に居るのは、値札を首に下げた一人の女性だった。値札には新品の電気自動車と同じぐらいの額が書かれている。彼女はその瞳でまっすぐ男達を見据えている。

均整の取れた肉体。頬、腕、脹脛、その素足に至るまで一点の曇りのないその様子は、ルネサンス期の彫像を思わせるものがあった。

「もし宜しければ、脱がせましょうか」

 店の者は男にそう言ったが、彼は首を横に振った。

「よく管理されていると思うが、この手の出来が良すぎる奴が私は好きじゃないんだ。ましてやこの値段だ。私向きじゃないね」

「なら、特別に安いアクターを紹介しましょう」

店舗の奥の奥、清潔な匂いの上に埃の重みが足された空間の中に、それは居た。

その女性は、藍色の瞳を持っていた。背丈は大きくなく、一五〇センチ程度で、黒い髪が腰の辺りまで伸びていて、毛先は乱れている。見た目だけなら少女のようであり、それはそれで大層人気のあるものだが、値札には先程よりもずっと安い値段が書き込まれている。

「これは……随分安いね。見た目だって良いのに、何処が悪いと言うんだ」

 男が言うと、店の者はにやりと笑い、こう言った。

「おい、お前。それを脱げ」

 少女が首を横に振るのを見て、男は訝しんだ。

「ふうん。傷物かね」

 ここで言う傷とは、処女性についてではなく、物理的なものを指す。どこかに欠陥があって、手術で治した時に、医師の腕が悪いと傷が残ってしまう場合があり、そういったものは確かに安売りされることが多い。

「健康には問題ないんですがね……ほら、お前。さっさと脱げ」

 少女は涙ぐみながら、自身のシンプルな服を脱ぎ、その場で崩れ落ちた。

「これは……!」

 少女は自身の細い腕で身体を隠そうとするが、それで隠し切れるはずもなかった。

少女の身体の至る所に痣がついていた。それも、強く殴られたりした時につくような、青黒い、赤い点の浮く、醜い痣だった。それは胸や腹、あばら、へその周辺、太ももに至るまで、ありとあらゆる箇所に浮き出ている。

「一体これはどうしたと言うんだね。管理がなされていないのか」

 男が言うと、店の者は即座に否定した。

「いえ。これはそういった理由でついたものではありません。ただ、青みがかった肌色のアクターを所望されたお客様のために作られたのですが、色素の沈殿が上手く行かず、このような青痣となってしまったのです」

 男は質問をした。

「君のところではこういった……一般的に言う欠陥品を作ってしまうことが多いのか」

「いえいえ! とんでもないです。このアクターにしたって、完全に計算され尽くした末に起きたエラーなのです。本来起こり得ることもない、そう……言うなれば、奇跡の産物です。奇跡的なエラーなのです」

 その言葉を聞いて、男はにやりと笑った。

「随分と君はセールスが上手いじゃないか!」

 そう言って店の者の肩を叩くので、店の者は驚いた様子で謙遜の言葉を口にする。

「いえ。そんなことは、決してですね」

 その言葉は男の耳には全く届かない。ただただ、男は喜んでいた。それが店の者にとっては不気味だった。

「先約はあるのか」

 男の言葉に、店の者は自身の耳を疑った。

「は? 先約というと」

「このアクターは売約済みなのか、と聞いている」

「居ません。今に至るまで、ずっとこいつは」

 そこまで言うと男はすぐさまこう言って、店の者の言葉を遮った。

「お前、でもこいつ、でもない。このアクターは今日から私のものだ。彼女と彼女の人生とは、全て私の手中に収まる」

 店の者は内心で男を軽蔑しながらも、表面では上機嫌を装って、客のセンスを褒め称えた。

「彼女の良さを見出したのはあなたが初めてです。実にお目が高い。支払いの方法は如何なさいましょう?」

「一括だ」

「……本当ですか!」

「嘘をついてどうする」

「それもそうですね。では、準備致しましょう」

 機嫌を良くした店の者はすぐさま契約の準備に入った。その間、男は自身が手にするアクターの姿を、じっと見つめていた。

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