第30話 「…はあ…」

 〇桐生院 麗


「…はあ…」


 あたし、溜息をつきながら…公園を歩く。

 別に目的もないまま…家を出てしまった。

 だって、家に居たら…どんどん来るお見合い写真を見続けなきゃいけないから。


 …そりゃあ…お見合いするって言ったのは…あたしよ。

 だけど、どれだけ写真を見ても…同じ顔にしか、見えない。



 …最後に陸さんに会って…三ヶ月が経った。

 今でも忘れられない。

 耳元で…『織』って呼んだ陸さんの声。

 …今も…織さんの事…好きなのかな…


 あたしはと言うと…

 誓と彼女がデートのたびに、ハイテンションになってたあの頃が嘘みたいに、頭の中、陸さんの事だらけ…


 忘れたいのに…

 あのキスとか…ギュッとされた事とか…

 思い出すと…胸が締め付けられる。


 忘れられないよ…



 だけど…織さんになんて、かなわない。

 陸さんがあたしを抱いたのは、織さんとそう出来ないから…身代わりだっただけ。

 なのに、一人で思い出して悲しくなるなんて…ヤダよ。


 もう…忘れる。

 絶対、あのお見合い写真の中から、いい男を見付けるんだから。



 公園を突っ切って、本屋に入った。

 そう言えば…姉さんのバンドの特集号が出るって言ってたっけ。

 もう出てるかな。


 あたしは並ぶ音楽雑誌の表紙を見ながら、『SHE'S-HE'S』の文字を探した。


 あ…あった。


「SHE'S-HE'S…ラブソング特集…」


 …よりによって…そんな特集?



 姉さんのバンドは…顔も名前も出してない。

 だから、あたしがこれを見たって、陸さんを思い出す事なんてない。

 インタビューの頭文字なんて…気にならないもん…


 …Rって…

 絶対…リョウとか…そう思われたりするんだよ…


 つい、陸さんのインタビューばかり読んでしまって、ダメダメ…って、ページを進める。

 すると、歌詞のページになった。


 …SHE'S-HE'Sの歌詞は、全部英語。


 残念ながら、あたしはそんなに英語が得意じゃない。

 だけど親切な事に、下に訳詞がついてる。

 あ…それも姉さんが訳したんだ…



「……」


 うちは、音楽を聴く習慣がない家。

 今はテレビもラジオもステレオもあるけど、昔はそれらもなかったって聞いた。

 お父さん、映像の会社の社長なのに、見たり聞いたりする事に興味なかったのかな?


 あたしは…

 ずっと、誓と二人で音楽を聴いてた。

 初めて買ってもらったラジカセを前に、二人でうつ伏せになって…歌詞カードを眺めて意見交換もし合った。


 TOYSを聴き始めた頃、あたしの誓への想いはピークに近くて。

 くっついていられるのが嬉しくて…毎日のように聴こう聴こうって…



 心の底から欲しいと思うものを見付けた

 それは合わせる手の平で伝わった形のないもの



 これ…デビューのキッカケになったって言ってた曲だ。

 これが流れるたびに、義兄さんが自慢するんだよね…

 知花が俺に作った歌だぜ。って。

 姉さんは少し迷惑そうだけど、義兄さんてほんっと…姉さんの事愛して止まないんだろうな…


 …羨ましい。



 誰かを想う気持ちを押さえ付けても

 それは忘れた事にはならない

 忘れるために好きになって

 いつか思い出になるのを静かに待つだけ



 その隣のページにある曲…

 …これ、義兄さんと別れた時の作った歌なのかな…

 歌詞ページには、あたしの好きなバラード。


 姉さんのバンドはハードロックバンドで。

 確かにすごくカッコいいんだけど。

 うちには、ハードロックは厳しいお年寄りもいるわけで…

 でも、このスローな曲は…お父さんもおばあちゃまも、優しい顔をして聴く。


 忘れるために好きになる…そんな恋もあるのかな…

 あたし、思い出に出来るのかな…

 強引だったけど…思い出すとドキドキしてる。

 陸さんの腕や…少し乱暴な言葉や……キス…。


 あたしは…



 忘れるために、結婚する。




 〇神 千里


「知花。」


 俺が声をかけると、エスカレーターに乗りかけた知花は俺を見付けて嬉しそうな顔をした。

 急がなくてもいいのに、エスカレーターを小走りに降りて。


「お待たせ。」


 ロビーで待つ俺に駆け寄った。


「走らなくてもいいのに。」


「だって…待ち合わせて帰るなんて、嬉しくって。」


「……」


 …ちくしょう…

 こいつは…

 なんだって、こんなに可愛いんだ!!


 手を取って引き寄せると。


「…もう。こんな人の多い所で…」


 知花は少し照れくさそうに首をすくめた。


「いーだろ?家に帰ったら、おまえは子供達にとられちまうんだから。」


 そう言いながら、指を絡める。


「そんなの…千里だって、華月に夢中になるのに…」


 赤くなる知花を見るのが快感で、つい顔を覗き込みながらそんな事を繰り返してると…


「もー、どこの高校生カップルかと思っちゃったよー。」


 …背後から、能天気な声。


「…邪魔すんな。」


 恨めしそうな顔で振り返ると。


「ま、神の元気の源だもんね。仕方ないか。」


 アズは手をひらひらとさせながら。


「知花ちゃん、またね~。」


「あ、はい…さよなら…」


 エスカレーターを上って行った。



「…さ、軽く茶でも飲んで帰るか。」


 アズの姿が完全に消えたのを見届けて、そう言うと。


「え?でも時間…」


 知花はキョトンとして、ロビーの時計を見た。


 今夜は来客があるとかで、食事会だから早く帰って来いと言われた。

 が、18時までに帰ればいいらしい。


「おまえと二人の時間も欲しいなーって思って、一時間早く言った。」


「……」


 知花は無言で瞬きを数回。

 だが…赤くならねー…な…


「…嘘ついたから…怒ったか?」


 少し心配になって、顔を覗き込んで言うと。


「…ううん…」


 知花はうつむきがちに、小さく言った。


「…こんなに幸せで…いいのかなあ…って…」


「……」


「何だか…怖くなっちゃう…」


「……」


 もちろん…ハートを射抜かれた俺は…


「…バカだな…」


 ロビーの真ん中で、知花を抱きしめる。


「えっ…あ…千里…ちょ…」


「マジ、愛しくてたまんねーよ…おまえが。」


「…恥ずかしいよ…」


 知花が腕の中で何か言ってるが、聞こえやしない。

 俺は知花をギュウギュウと抱きしめて、何なら濃厚なキスでもしたいぐらいだったが…


「また千里か。家でやれよ。」


 ナオトさんに、頭を叩かれて…踏みとどまらされた。




「それでね。」


「……」


「…聞いてる?」


「ああ。」


「…あの…そんなに…」


「何。」


「…そんなに見ないでよ…」


「何で。」


「…恥ずかしい…」


 そう言って、知花は下を向いた。



 事務所の近くのカフェ。

 知花とここに来るのは初めてだ。

 奥のテーブルで、俺達は向かい合って座って…

 ほんと…俺の嫁さん、可愛いぜ…って、じっと見つめた。



 大部屋で飯を食う時は、知花はだいたい俺の隣だ。

 だから、こうして正面から顔を見るのは…すごく新鮮な気がする。



「続きを聞かせてくれ。」


 知花の話す子供達のエピソードが、めちゃくちゃ面白い。

 毎晩、その日にあった事をベッドで話したりはするが…

 こうして正面で顔を見ながら聞くと、またいつもと様子が違って楽しいもんだ。


「……」


 知花は少しだけ唇をアヒルのようにした後、話し始めた。


「…聖と華月がね?同時に泣き始めたと思ったら、同時に泣き止んだりして、華音があたしに『スイッチどこにあるの?』って聞くの。」


「ふっ…」


「ほんと…聖と華月って双子みたい。」


 そう言って、知花はカップを手にしてホットミルクを飲んだ。



 …周りは俺の事を『病気だ』ぐらいに思ってるかもしれねーが…

 自分でもそう思う。

 今、知花が持ったカップにさえ妬きそうだ。

 大事そうに両手で包まれて…


 羨ましい。



「次のオフ、じーさんち行かねーか?」


「あ、行きたい。」


 俺の提案に、知花は笑顔。

 俺の身内にも、本当に良くしてくれる。


「おじい様が買って下さった子供達の服、着てる所見ていただきたいし。」


「そんな事したら、別荘でも買ってくれるかもしんねーな。」


「もうっ。」


 30分ほど、有意義な時間を過ごして。

 名残惜しいが…早めに帰る事にした。



「ところで、来客って誰だ?」


 一緒に帰るって分かってたんだから、車で来ても良かったが。

 手を繋いで歩きたかった俺はチャリ。

 知花は俺の手元を気にしながらも、絡めた手を離さずにいてくれる。


「さあ…あたしも誰かは聞いてないの。」


「へー…堅苦しい客じゃなければいいんだけどな。」


 それから、少しお互いのバンドの話にもなったが…


「知花。」


「ん?」


 チュ。


「…もー…」


「今なら誰も見てない。」


 そんな事の繰り返しで…早めに帰るつもりが、いい時間になった。



「ただいまー。」


 裏口から入って、二人で大部屋に入ると。


「おかえりなさーい。」


 義母さんが…少しいい格好をしている。


「…何の席っすか?」


 俺が首を傾げて問いかけると。


「もう…言ってもいいのかなあ?」


 義母さんは、ばーさんを振り返って問いかけた。


「麗のお見合い相手が来られるんですよ。」


「……」


「……」


 ばーさんの言葉に、俺と知花は顔を見合わせた。


 …見合い相手が来る…!?





「いいのかー?麗、結婚するぞー?」


 さっき、玄関から入って客間に通された男。

 それが…麗の見合い相手だった。

 俺は大部屋から、まだ事務所で打ち合わせ中だという陸に電話する。


『…今、打ち合せ中なんすけど…』


 陸はヒソヒソとそう言った。

 どーにでもなるだろーが。

 そんなのは。

 内心そう思いながら。


「あ、そ。もう、相手がうちに来て座ってんだけどな。」


 投げやりに言った。


『…え?』


「食事会だとか言うから帰ってみたら、見合い相手が来てたんだ。なかなかいい男だぞ。」


『……』



 いつだったか…スタジオの前で陸に会って。

 麗とどうなってんのか…聞き出した。

 陸自体は、麗に対して恋愛感情があるかどうか分からない…と。


 俺としては…

 そんな気持ちで可愛い義妹と寝たなんて言われると、どうにかして陸を麗のモノにしてやりてーと思って…


「おまえは、まだ自分の気持ちに気付いてないだけだ。」


 暗示にかける作戦に出た。

 果たして、それが効いてるかどうかは謎だが…



「ま、仕方ないな。麗が決めることだしな。ただ…幸せになれるかどうかは別として。」


『……』


 無言…って事は、言いようがないからなのか。

 それとも、少なからずともショックを受けているのか。


「じゃ、悪かったな。」


 そう言って電話を切る。


 …正直…分は悪いのかもしれない。

 だいたい…黙って並ぶだけなら、陸と麗はお似合いだと思う。

 陸は女好き(今思えば、叶わない相手への気持ちを誤魔化すための陸なりの手段にも思えるが)として周りに知られてるが、性格はいい。

 頭もいいし、何より…

 顔がいい。

 その辺、麗の好みではある。


 でもなー…

 見た目は文句のない麗だが、性格的に…難点がある。

 可愛い所もあるが、それは麗の中身を知らなきゃ気付けない部分だ。


『見た目はいいのに、我儘でひねくれてる』


 これが、麗が持たれる印象。

 ま、本当に我儘でひねくれてるんだけどな。


 それを受け止める事が出来る男…

 …うーん…

 少なくとも、今来てる見合い相手は、麗の見た目に釣られてやって来たはずだ。


 無理だな。



「おっ。」


「あ…」


 大部屋を出た所で、麗に出くわした。

 濃紺の着物。

 まあ…綺麗だけどな…


「おまえ、本当にいーのかよ。」


 見下ろしながらそう言うと。


「…何の事よ…」


 麗は唇を尖らせて答えた。


「…意地ばっか張ってっと、大事なもん見失うぜ?」


「…大事なもんって?」


「自分の気持ち。」


「……」


「負けてもいーじゃねーか。誰かを好きでいる自分を好きになれよ。」


 目線を麗と同じぐらいまで下げてそう言うと、麗はぷいっと視線を背けて。


「…あたしは、もう…今日来てる人に…決めるんだもん…」


 麗らしくない、弱々しい声で言った。


 …はー…

 ほんっと…面倒臭い奴。


「…やれやれ。可愛くねーな…」


 俺は麗の頭をポンポンとして…一旦庭に向かう。



 二階堂陸。

 来いよ。

 おまえが来なきゃ…


 麗は一生幸せになんてなれねーんだよ。

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