Glorious Health side-Miori- 4

 最後のお客様がお帰りになると、ゆるゆると閉店作業が始まった。

 私と明日葉ちゃんはトイレの掃除、ホールの掃除機がけ、テーブル拭きを手分けして行う。

 メインキッチンはラストオーダーが終わり次第お掃除を始めていたので、パートの長谷川さんがホールの清掃を手伝いに来てくれた。

 その間にマスターと奥様は明日のお支度をしてから、売り上げの精算作業をして、閉店を迎えた。


「今日も一日お疲れ様でした」

「じゃあ、美織先輩。変な人に気をつけてね!」

「明日葉ちゃんも、帰り道気をつけて」


 少しずつ日が長くなってきたとはいえ、七時を前にするともう日の光はない。

 夜風が吹くと、肌寒くてコート越しに腕を擦る。

 少し横道に逸れると飲み屋街が広がっていることもあって、フォルトゥナの周りはそこまで暗くはないけれど、その代わりに色んな人物が闊歩しているため安全とも言い難い。

 明日葉ちゃんは制服で小柄な背をすっぽり隠すほどの大きなリュックを背負って駅の方へと駆けて行った。

 私はフォルトゥナを出てすぐ右の方向へ視線を向けた。歩いて十分とかからず、高野さんの勤める老舗の百貨店がある。

 私もこの百貨店の五階にある、フロアの半分を占めている大きな本屋さんが好きでよく利用しているけれど、高野さんの勤める化粧品売り場にはあまり足を踏み入れたことがない。

 ブランドの化粧品を買うくらいならば本に費やすというくらい、私は化粧品に無頓着だからだ。

 それでも化粧をするのは、周りのみんなが化粧をしているからという理由に過ぎない。

 周りから浮かないように。大人として恥ずかしくないように。

 とりあえず、寝不足の隈を隠して、健康そうに見えるように塗りこんで……そんな薄っぺらな化粧だ。

 暗くなった誰もいない店内。あちこちの漏れ出た光が窓に反射して、自分の草臥れた顔が浮かんでいる。



 ――合コンかぁ。



 気乗りしない理由は、昨日彼氏と別れたからだけではないのに気付いた。

 その彼氏と出会ったのも合コンだったからだ。

 

「お待たせしましたぁ!」


 雑踏から、一際明るい声が飛んできた。

 振り返ると、昼間と変わらず、お手本のようなメイクを施している高野さんがいる。


「行きましょっか」


 くるりとターンすると、高野さんは今来た道を戻り始めた。

 私の一歩前を高野さんは跳ねるようにして歩く。

 綺麗に螺旋を描く彼女の栗色の髪がその度に弾む。

 きっと、高野さんは恋が始まるのではないかという期待に胸を躍らせているのだろう。

 私は目立たないようにそっと隅に居ようと決めて、高野さんの背を追った。

 百貨店の前を通って、二つ目の角を右に曲がる。

 昼間とは違い、お店には眩いほどの明かりが灯っている。

 高野さんは風を切るように、明かりのより輝くほうへと颯爽と進んでいく。

 どこのお店に行くのだろう。

 気になって声を掛けようとしたところで、彼女は振り向いた。


「ここのお店なんですよ。来たことあります?」


 階段の手前に、手書きの立て看板があった。


「名前は聞いたことありますよ」


 一階の醸造所が経営している、クラフトビールを売りにしているブルーパブだ。

 彼氏はビールが好きで、よくこのお店に来ていた。

 何度か車で送迎をしていたため、どういうお店かはなんとなく聞いている。


「美織さん飲みます?」

「今日は車だから遠慮します」

「えー。代行使いましょうよー」

「高野さんは気にしないで飲んで大丈夫ですよ」

「そうですかー? じゃあ、遠慮なく」


 お店に続く人一人が通れるくらいの狭い階段を上ると、木製のドアがあった。

 高野さんの後に続いてドアを潜る。

 店内は仕切られてはおらず、長テーブルが横にずらっと並んでいて、各グループが纏まるように座っている。

 中は週の初めだというのに、人で埋め尽くされていた。

 どのくらいの広さだろうか。百席はいかないまでも、フォルトゥナのホールの二倍はある。

 なにか飲み会が行われているらしく、店内は盛り上がっていて、ビールのジョッキを四つも持った店員さんが忙しなく駆け回っていた。



「二名様ですか?」

「あ、待ち合わせで――あ、ナホちゃん!」


 テーブルの連なる店内の奥の席で、高野さんに向かって大きく手を振っている女の人が居た。

 声をかけてくれた店員さんに軽く会釈して、奥の席へと向かう。


「お疲れー」


 席にいる人達を見渡して、場違いな所に来てしまったなと思った。

 高野さんの友人は、やはり化粧に余念がなく、爪の先まで女子力が高い。

 薄暗い店内でも藤色のネイルにラメとラインストーンが煌いている。

 リップを塗りなおしたくらいの私が、横に並ぶなんておこがましいような気がする。

 そして、男性陣は揃いも揃ってスーツだった。この辺りの職場の人、ということを感じさせる。同時に手堅い職業なのだろうなぁと思った。

 とりあえず、今までの接客で身につけた笑顔を貼り付ける。


「遅くなりました、よろしくお願いします」


 へらり、と笑って、すこしだけ間を空けて席に着いた。





 ドリンクと料理がテーブルを埋め尽くしたのをきっかけに乾杯をする。

 男性四人、女性四人。二つのテーブルを使っても、すこし狭く感じる。

 自己紹介に適当に相槌を打ちながら、みんなの取り皿へ料理を分けていく。

 一通り配り終わってから、やっと自分の取り皿に分けた料理に手を伸ばした。

 フライドポテトに掛かっているハーブがほのかに香って美味しい。

 きのこのピザはベースが味噌になっていて、優しくて懐かしい味がする。

 

「これ、美味しいよね」


 周囲の賑やかさもあって、話しかけられたと気付かずに、さらにもう一枚とピザに手を伸ばす。すると、すっと取り皿に載せて差し出された。


「気に入った?」


 目の前に座った人が男の人が人懐っこい笑顔を浮かべた。

 ツンと主張する八重歯が可愛らしい人だ。


「そうですね。味噌のピザは初めて食べましたがけっこう美味しいです」

「俺も、初めて味噌味のピザ食べた」


 隣では、高野さん達が盛り上がっている。

 目の前の男性は会話に入るつもりがないのか、私と黙々とピザを食べていた。

 時折目が合うと、ニコッと笑顔を返される。

 ――今まで、周りにいないタイプだな。

 お手洗いに行く振りをして、そっと席を立った。



 お店を出て、さらに上に続く階段の中ほどで腰を下ろす。

 飲み会は嫌いではないけれど、気を遣って空回りしている自分に疲れてしまった。

 会話も弾んでいるようだし、このまま抜け出して帰ってしまいたい。

 先ほどは寒いように感じた風が、今は心地よい。

 膝に肘をついて、ぼうっとお店の入り口を眺めていると、お店から出てきたお客さんと目が合って思わず視線を下げた。


「ここで何してんの?」


 先ほど目の前に座っていた彼が、わざわざしゃがんで私の視界に入ってきた。

 口の端が上がっていて、少し楽しそうにも見える。


「飲み会つまんない?」

「いえ、そういうわけでは……」

「ふうん。俺はつまんないんだよね。ああいう子、苦手だし」

「ああいう子?」

「自分の可愛さを理解して、武器にしてる子」


 特定の誰かではなさそうだけれど、今日集まった面子はそのカテゴリに当てはまるのだろう。

 彼は私の座っている場所より下の段へと腰を掛けると、背を反らすようにして見上げてきた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る