女神さま?


「……?」


 遠くから、甘い声が聞こえてくる。

 その声がどうしても聞きたくて、ココは重いまぶたを持ち上げた。


 目に飛び込んできた光が眩しくて、ぼんやりと視界が滲む。

 何もかもがぽやぽやとした世界で、その人は心配そうにココの顔を覗き込んでいた。

 

 淡い金色の髪に、透き通ったマゼンダ色の瞳。

 キラキラ輝く瞳が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。


 誰……?

 すごくきれいな女性ひと……。


 もしも女神様がこの世に顕現したならば、きっとこんな姿になるのだろうとココは思った。


 嬉しい。


 帰ってきてくれた。


 ずっとずっと待っていた。


 魔界のみんな、待っていた。


 会えることを心待ちにしていた。


 魔王の伴侶がいなくなってからというもの、自分こそが魔王の伴侶だという不届き者がたくさん出てきた。そのたびに魔王は辛い思いをしていた。それが本物だったならどれほどよかったのだろうと。

 魔族達は魔王を愛するあまり、いや、魔王に愛されたいあまり、何度も何度も魔王を傷つけていたのだ。


 ココたちだってそうだ。

 やっと会えると持っていたのに、みんな偽物だった。期待を何度も裏切られた。


 だから今度だって、偽物だろうと思ってしまった。

 けれど会ってみたその人は、会った瞬間から他の人たちとは何かがちがうのだと、本能的に理解した。


 この人に仕えられたのなら、どれほど幸せだろうと思える人だった。


 全然嫌な人なんかじゃなかった。


 わたしたち魔族はきっと、この御方に尽くすために生まれてきた。


「大丈夫?」


 手を伸ばしてきたその人は……。


 ◆


「おーい、大丈夫〜?」


 きゅう、と伸びてしまったココの顔を覗き込む。

 なんだかよくわかんないけど、奇声を上げて傾斜から転がり落ちていった彼女を助けたのは、ついさっきのこと。

 別に大した怪我はしていないかった。

 ただ、大きなたんこぶができていたので、治しておいたけど、なんかあったら心配だな……。


 そばにいたオスフェルがため息をついた。


「姫。どうかこの子を嫌わないでやってはくれまいか」


「……嫌う?」


 突然何を言い出すのかと彼を見る。


「この子は悪い子じゃない。だが如何せん、猪突猛進すぎる……」


「別に嫌ってなんかないよ。だけど……嫌われているのはわたしのほう」


 オスフェルにそう言うと、彼はまたもや悲しそうな顔をした。

 それからわたしではなく、魔王さまを見る。


「姫は本当に、魂についた傷が深い。自らの価値を全然分かっていない」


「……俺があまり外へ出さなかったからだろう」


 魔王さまは首をゆるく振った。

 なんかわたしのせいでもめちゃってるみたいだけど、全然なんの話をしているのか理解できない。


「いいか、プレセア姫。貴女を嫌うものなど、この大陸のどこを探してもいないはずだ」


「……そんなこと、ある?」


 現にわたし、ココには嫌われてるけど……。


「わたしの子どもたちを見ろ」


 あいかわらずもふもふと、わたしを取り囲む子犬たち。


『ひめさましゅき!』


『だっこぉ』


『あそぼー!』


「わたしたちは、普通の魔族たちの前には姿を現さない」


 そういえば、オリオンが嫌われているって、言っていたっけ。


「貴女は根本的に、まだ自らの存在価値を理解できていないようだ」


「……そうかなぁ」


 わたしは、女神族で、魔王さまの伴侶なんでしょ?

 ちゃんとわかってるけど……。


「ああ。貴女はこの世界でもっとも大切な女性だ。何者も貴女に逆らうことはできない」


 オスフェルが困った顔をするように、わたしも困った顔になってしまった。

 それって、どういうこと?

 と問い返そうとした時。


「うーん……ですの……」


「あ」


 ココのまぶたがぴくりと動いた。


「大丈夫?」


 彼女の顔を覗き込む。

 ゆっくりとまぶたが持ち上がり、ぼんやりとした焦げ茶色の瞳と視線がぶつかる。


「私……?」


 ぱちぱちとココはまぶたを瞬かせた。


「大丈夫? 起きられる?」


 そう声をかけると、ココはきょとんとした顔になった。

 自分が何をしていたのか、覚えていないのだろう。


「さっき傾斜から転がり落ちちゃったんだよ。でも怪我も治したし、どこも悪くなってないから大丈夫」


「女神様……?」


「え」


「女神様ですの」


 ココはわたしを見てそう言った。


 や、やばい……。

 やっぱ頭、ちゃんと治療できてなかったのかな。


「ごめん、もう一回魔法かけるから、ちょっと待ってね」


「待って!」


 ココはそう言うと、跳ね起きた。

 ぎょっとして寝かせようとしても、小さな体のどこにそんな力があるのかというくらいに、ココは言うことを聞いてくれなかった。


「私、私……ッ!」


「へ?」


「姫様がやっとお帰りになられたのに……ッッ」


「あの……」


「ごめんなざいでずの”ぉおおおお」


 目覚めてそうそう、ココはすごい勢いで泣き始めてしまった……。



「それで、お前はそんな馬鹿な噂を信じて、姫が偽物だと思っていたと」


オスフェルがそう問いただすと、ココは涙に濡れた顔で頷いた。


「でも……でも、思っていたよりも最高に可愛くて、素敵で、優しくて、いい人でしたの……」


 そ、そう……?

 なんか照れる……。


「やっと分かりました。私達の姫様がお帰りになったのだと……」


「なんと愚かな」


 オスフェルは深い深い溜息をついた。

 ココは私達の前に正座させられていた。

 子犬たちは空気を読まずに、わふわふとその辺りを駆け回っている。


「謝って済むことじゃないと分かっていますの。でも、本当にごめんなさい」


 べたー、とココは地面に額をつけた。

 その上を容赦なく子犬たちが踏んづけて遊び回る。

 どうやら何かの遊びだと思っているらしい。


「うわ、ちょっとやめなよ!」


 どろどろになってるよ。

 あわててココを起こす。


「どんな罰でも受けますの。もう、死んで償うしか……」


「いや大げさすぎでしょ!?」


 そんな馬鹿なことってないでしょ。

 と魔王さまを見上げれば、彼は黙っていた。

 その表情を見て、不安になる。


「ね、ねえ、そんなのないよね?」


「……女神族への謀は、れっきとした大罪だ」


「え!?」


 衝撃を受ける。


「普通なら処罰を受ける」


「な、なんでっ? 別に何もやってないじゃん!」


 自分のせいで誰かが傷つくのは、好きじゃない。

 いや、正義感とかじゃなくて、単に後味が悪くなるからってだけなんだけど……。

 

 ぐい、と腰をひかれ、ぽすんと魔王さまの腕の中に引き込まれた。

 抱きしめられて、囁かれる。


「人間界では、俺は人間を好きに裁くことはできない。でもここなら違う」


 静かにそう言われて、わたしは目を丸くした。


 ココ、なんでそんなこと言っちゃったの。

 言わなかったらバレなかったんだよ。

 ずっと黙っておけば、罪だってなんだって、バレなかったんだよ。


 そう考えて、気づいた。

 やっぱりココが、素直で、別に悪い人じゃないないのだろうと。 


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