ココの衝撃


「まったく、陛下はどういうおつもりですの……?」


 ココ・ブランシェットは一日を憂鬱な気分で過ごしていた。

 幻獣のお世話をしたあとなのか、動きやすいワンピースには白い毛が大量についている。手にはバケツを持ち、中にブラシや雑巾を投げ込んでいた。


「子育て期の幻獣に、ニセモノ様を会わせたいだなんて……」


 遠くに見える我が屋敷を見て、帰りたくない、とでもいうようにため息を吐く。


「母狼のストレスになるだけですの……」


 ココは幻獣の世話を任されている、大陸でも選ばれた血筋の者だ。

 幻獣は女神の子とも呼ばれ、繁殖すればするほど、大陸に繁栄をもたらすという言い伝えがある。

 実際、幻獣は滅びの一途を辿っており、現在「銀狼」と呼ばれる幻獣が子どもを生んだことは、吉兆として大陸に広く知らせられていた。


 ブランシェット家の血筋は、もともと幻獣の世話をするための選ばれた血筋だ。だから幻獣の世話をすることも許されている。


 けれど、一般人が来たら、どうなるのだろう?


 子育て期の狼は、ベタベタ触られたり、騒がれたりすることをひどく嫌がるし、何より気が立っているのだ。ストレスが溜まって、体にいい影響がないことくらい、考えてみればすぐに分かる。


 ココは腹を立てた。

 

「どうしてニセモノ様なんかに、貴重な幻獣のお子を見せなければなりませんの?」


 幻獣の子は、まだふわふわとしていて、とても愛らしい。

 それゆえ、密猟などの憂き目にあいやすいのだ。

 だからブランシェット家は幻獣に子が生まれたら、慎重に、厳重に、親子を守る。

 

 かわいいだのなんだの言って動物にベタベタ触るような輩は、ココは大嫌いなのだった。想像するだけでストレスが貯まる。


「まあいいわ、夕飯のお誘いもすっぽかしてやりましたもの。ニセモノ様のお顔だけ、確認しておきましょう」


 そう言って、ココは自分の屋敷に帰った。


 ◆


 家族にガミガミ言われないように、ココはそっと裏口から屋敷に入った。

 食堂をのぞけば、そこはもうもぬけの殻だったので、きっと風呂にでも入ったのだろうとその場をあとにする。

 風呂場の近くに来たところで、ココの勘はあたったようだと気づいた。

 何やらわいわいがやがや騒がしいのだ。


(ふん、どんなものだか、確かめてやりますわ!)


 ココはそろ〜っと、壁から顔を出して、騒がしい場所を見てみた。


「もう疲れたんだろう」


「う、ん……」


「部屋に案内しますよ」


 そこにいたのは、いつもの全身黒の衣装に包まれた魔王と、ココの兄オリオン、そしてお付きのティアナだった。


(あれは……ティアナ姫ですわね。そういえばお世話係は、ティアナ姫になったと言っていましたっけ……)


 ふーん、と興味なさそうに、ココは鼻を鳴らした。


(ところでニセモノ様はどこに……)


 きょろきょろしていると、魔王がこちらを向いた。

 その瞬間、その腕に抱かれていた小さな子どもの姿が、目に飛び込んできた。


 ココの心臓が、どくり、と音をたてる。


(えっ……!)


 ぱちん、と脳に衝撃が走った。

 なぜか、目が子どもから離せなくなる。


(な、なんですの……?)


 それは、未知の感覚だった。

 衝撃を受けたあと、じわじわと胸に喜びのような感情が広がる。

 いうなれば、それは「幸福」という感情だった。

 今すぐここから駆け出して、彼女のもとに行きたいと思ってしまう。

 

 ココがぷるぷる震えていると、兄のオリオンが目ざとく妹を発見した。


「ココ! 何をしているんだ、そんなところで! 陛下と姫様がいらっしゃっているのに、お出迎えもしないなんて」


 そう言われて、ココはびくっとふるえた。

 慌てて皆の前に進み出る。


「ご、ごめんなさいですの……」


 兄がぺこぺことオズワルドに頭を下げていた。

 オズワルドは特に気にしていないようだ。

 けれどココはそんなことよりも、オズワルドの腕の中にいた小さな少女のほうが、気になって仕方なかった。


 甘えるように魔王の胸に頬をすりつけるその少女が、プレセアというのだろう。


 通常ではありえない、不思議な輝きを宿す金色の長い髪。

 同じく金色の長いまつげからゆっくりと現れたのは、宝石のように輝く、美しいマゼンダ色の瞳だった。

 文字通り、まるでカッティングされた宝石のようにキラキラと光る不思議な目をしている。

 

(魔力形質ですの……)


 ココはそれを初めて見た。

 莫大な魔力をその身に宿すものは、体に異変を起こすことがある。

 プレセアは、まさに魔力形質を来した娘だった。


 それだけじゃない。

 ココはこのように顔の整ったひとを初めて見た。

 まだ幼いが、他とは明らかに何かがちがう。

 愛らしくもあり、美しくもあり。

 きっとココは、人生の中で、この娘よりも綺麗な生き物は見ないだろうと思った。プレセアは、まさに「愛される」ために生まれてきたような娘だ。 


 ぼうっとプレセアを見ていると、オリオンに挨拶するよう促される。

 ココは慌てて頭を下げた。


「コッ、ココ、ブランシェット、でひゅの」


 緊張しすぎて噛んでしまった。

 心臓がばくばくして、落ち着かない。


 プレセアが、とろとろとした目をゆるませた。


「うん、ありがと……よろしく……コッココ……」


「ココ様ですよ」


 ティアナが苦笑して訂正する。


 花びらのように小さく可憐な唇から紡がれたのは、果実のように甘い声。

 その声を聞いただけで、体がふるふると震えてしまった。


「獣人族は人一番、忠誠心が高いんです。妹ははじめて伴侶様の威光に触れて、どうしていいのかわからないのだと思います」


「銀狼の子どもも生まれたばかりで、ココも付ききりなんです……」


 兄が何かを言っている。

 けれどココはそれを聞くこともなく、ぽうっとプレセアを眺め続けた。

 そのうちプレセアは、目を閉じて、完全にくうくうと寝入ってしまった。


 そして、ようやくココは、自分の気持ちの整理がついた。



 か



 か



 かわいい……。

 


(え……? 可愛いすぎますの。え?)


 頭が混乱パニックを起こしたみたいだった。


(天使……?)


 あんな可愛い子供、初めて見た。

 天使……?

 あちがう、女神さまのお子様……。


 オズワルドの態度も、今までに見たことがないほど、優しくて甘かった。


(あんな顔をする陛下は、初めて見ましたの……)


 ココはごくりとつばをのんだ。

 オズワルドはあまり感情を見せる方ではない。

 いつも物静かで、たとえどれほど悲しいことがあろうと、常に無表情に努めていた。嬉しいことがあれば微笑む程度だし、けして動揺などもしない。

 まるで感情がないのでは? というくらいに、表情が変わらなかったのだ。

(そこがまたいいのだと令嬢たちからは人気はあったが……)


 けれど今はどうだろう。

 プレセアを愛おしげに、大切に大切に胸に抱くその姿を見ていると、なんていうかこう、見てはいけないものを見ているような、そんな気分になった。

 魔王はそっと、プレセアの額に唇を寄せる。プレセアはくすぐったそうに、身じろぎをした。


(……っ!)


 あの少女は気づいているのだろうか。

 魔王の幸福そうな顔に。

 それがどれほどすごいことなのかに。

 プレセアがのんきに眠っている今、彼女を抱く魔王は、世界中の娘たちが憧れるような、甘く優しい顔をしている。きっと、普通の娘だったら、魔王のその表情を一生の宝物にするだろう。


(でも傍から見たらロリコ……あ、やば、不敬ですわ)


 ココはプレセアたちを、ポカーンとして見送った。


 ……。


 …………。


 ………………。


 プレセア様、しゅき……。


 わ、わたしもプレセア様をお世話したい……。


 彼女のそばに仕えたい……。



「……ってちがーう!!!!」



 ココはハッとして、大声で叫ぶと、ばしーんと自らの頬を叩いた。



 あやうく流されるところだった。

 ココは肩でぜいぜいと息をはいて、さらにぱんぱんと頬を叩く。


「しっかりしますの! ココ・ブランシェット!」


 あれは、ニセモノなのだ。

 誰がなんと言おうと。

 

「あれは、ニセモノ!!!」


 ぶんぶんと首を振る。


 でも、本当に?と心の中で自分が首を傾げていた。


「明日になれば、分かりますの。幻獣たちに、判断を頼みましたもの……」

 

 ココは呟いた。

 幻獣たちなら、もしも伴侶と偽ったなら、噛み付くなりなんなりして、プレセアを追い出してしまうだろう。


「明日にははっきりしますわ。あのひとがニセモノなのかどうか」


 ニセモノだったら、覚悟しろ。

 本物だったら、それでいい。


「それに全っっ然かわいくないですのよ」


 そう言って、ココは三回ほど心の中でプレセアを否定する言葉を呟いた。


 可愛くないですの!

 可愛くないですの!!

 可愛くないですのーっっ!!!


 それからちらっと去っていく魔王の後ろ姿を見る。

 魔王の肩にほっぺを乗せて、すやすやと眠る、プレセアの顔。

 


「いや可愛いですの!?」



 それだけは揺るぎない真実なのだと、ココは思った。

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